見出し画像

起死回生のM&A(第1話/全4話)|無敵の仕事術

2016年4月に文春新書より発売された書籍『無敵の仕事術』は、僕が実際に過去体験した3つの大きな仕事を小説形式で紹介することで、若手ビジネスマンが社会変革に挑む姿をリアリティを持って追体験できるように工夫されています。

4つ目の大きな仕事はフラクタの創業と経営であり、それはかつて日経ビジネスで『サムライ経営者アメリカを行く!』(のちに『クレイジーで行こう!』[日経BP社として書籍化])として連載されました。

今回、文藝春秋社のご厚意によって、コロナ禍の中で過熱するであろうM&Aをテーマにした小説ストーリー部分を無料で公開できる運びとなりました。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

非情な外資系ファンド

「今回のケースでは、マイナスの価格で事業を譲受けるという私どものご提案は、妥当であると考えております」


 空調のよく効いた夜の会議室に、カンファレンスコール用のスピーカーを通して、外資系ファンドの冷たい声が響く。

「再三お伝えしていますが、通常の計算方法では、そんな価格にはならないとこちらは考えているのです。追加の資料をお出ししますので、もう一度ランニングコストを計算し直してみていただけませんか?」

 こちらも応戦するが、反応は薄い。

 この件に関しては、これまで何度も説得を試みてきたが、全く埒(らち)があかない。人間、ひとたび自分が優位な立場に立つと、ここまで相手に冷たくなれるものだろうか。この人たちだって、学生のときはこんな人間ではなかっただろうに。何が彼らにこうして慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言葉を吐かせるのだろうか。袋小路に入り、出口の見えない交渉の途中、経済的に見てどう考えても理屈に合わないことを主張し続ける相手の声を聞きながら、これでは相手の性格に問題があるとしか思えない。果たして、彼らは何のために仕事をしているのだろう。全部、金のためなんだろうか。だとしたら、金の力というのは恐ろしいものだ。


 外資系ファンドと僕たちとの交渉は平行線を辿り、事態を好転させるための微かな手がかりも得られぬまま、今回の電話会議も終了してしまった。

「何が妥当なんだ。マイナスの価額で事業を買いますなんて、聞いたことない。ほんと、とんでもない話だよ」。

 電話が終わると、僕たちと弁護士は、口々に同じような言葉を吐き、やり場のない怒りを爆発させた。電話会議が終わった後の、弁護士事務所の会議室には、焦りと苛立ちが充満していた。交渉相手である外資系ファンドに、完全に足元を見られている。迫り来る交渉期限を前に、事態は膠着したまま、いっこうに進む気配を見せない。


 二〇〇四年七月、東京八重洲。僕はコンサルティング会社のスタッフとして、ある不動産会社の企業再生プロジェクトに参加していた。不動産のデベロッパーを中心とした事業を行って、東証一部に上場していた僕たちのクライアントは、バブル崩壊以降長く続いた不動産市況の低迷に苦しみ、取引をしていた金融機関による追加支援の合意をついに得られず、その四月、倒産手続きに入っていた。本来であれば、企業が倒産にいたる前に、しかるべき再建計画を立案して、それを組織的に実行に移しつつ、成果を見ながら金融機関の信頼を得て資金をつなぎ、徐々に事業を立て直していく支援をすることが僕たちコンサルティング会社の仕事であるはずだが、このクライアントに関しては、長く続いた金融機関との交渉が不調に終わったことから、やむなく倒産手続きに入ることになっていたのだ。


 不動産に関連する事業を営むためには、たくさんのお金がかかる、何しろ商業ビルやマンションをどんどん建てては、売っていくのだ。土地を購入して建物を建設していくために、建設業者には先にお金を払わなければならず、一方で、それを購入する人たちからは後でお金が入ってくる。この間のお金をつなぎ続けなければならないことから、不動産事業には金融機関の支援が不可欠だった。当時、多くの不動産関連企業、建設関連企業が自主再建を目指し、多くの支援要請が企業再生を専門にするコンサルティング会社に持ち込まれたが、大きい会社であればあるほど、また、関連当事者が多ければ多いほど、すぐには会社の業績を上向かせることができず、バタバタと倒産手続きに進んでいった。

倒産手続きというスピードレース

 倒産手続きに入ったからといって、僕たちの仕事が終わるわけではない。例えば、民事再生手続きや、会社更生手続といった倒産手続きは、基本的には、公的な機関(裁判所)を入れて借金を整理するプロセスであり、そういう意味では、この手続き期間中も、事業は継続して運営されており、従業員もこの手続き前と同じように働くことが認められている。


 一方で、裁判所が入ることで、借金が整理されてもなお、自主的に事業を再建できる見込みが薄い場合には、「倒産企業」という烙印を貼られてあまり時間が経たないうちに、志のある関連事業者に、残った事業を売却するなりして引き継いでいくことが、ファイナンスを知る僕たちの、腕の見せどころでもあった。この処理、すなわち事業をスポンサーに譲渡していく取引を、裁判所を介した倒産手続きの標準期間である六~八カ月のうちに行うことができなければ、基本的には裁判所からの「破産宣告」によって全ての事業を閉じなければならない。売れる資産を全て売って、返せるだけの借金を返す。自主再建もできず、スポンサーも見つけることができなかった場合、この会社で働く何百人という従業員の人たちは、一夜にして仕事を失うことになるのだ。これは壮絶なスピードレースであり、経営者にとっては、決断の連続を迫られる仕事であった。


 僕たちのクライアントは、主に3つの事業を営んでいた。不動産デベロッパー事業とホテルの運営事業、そしてレストラン事業がそれだ。倒産手続きに入った後の混沌とした状況下、クライアントは既に3つの事業を自力で再建する道を諦めていた。この10年、事業を上向かせることができなかった当時の社長に再度経営再建を託すことは難しい、やはり新しいスポンサーの元、新しい経営者の元で、再出発を図るのが正しい選択だろうと、周囲を取り巻く金融機関も思っていたのだ。

スポンサー探しと競争入札

 自力で再建しないならば、スポンサーを探すしか道はない。倒産手続きに入った4月、僕たちコンサルティング会社の奨めにしたがって、このクライアント企業はスポンサーを選定するために、すみやかに競争入札手続きを行う流れに進んでいった。


 入札とは文字通り「札入れ」のことであり、事業を買いたいと思う人(この場合は法人)が、自分がこの金額だったら買っても良いと思う金額とその他条件を記載した提案書を、しかるべき期間のうちに提出し、その内容(主に金額)を競う行為だ。事業会社や、ファンドなどの金融会社、約20社程度に声をかけて、入札に参加してもらう。10社を正式に参加させ、一次入札でそれを3社に絞り、2次入札で1社に絞る。競争入札というのは、各々を競争させることで、できるだけ高い価格で事業全体を売り、同時に多くの人に声をかけたことで、フェアな取引であることを対外的にアピールする効果があるため、裁判所は倒産手続きにおける競争入札を奨励していた。最後に残った1社とスポンサー契約を結んで、事業を譲渡し、お金を受け取れば、取引終了だ。


 ホテルの運営事業とレストラン事業については、この流れがスムースに進み、順調にスポンサー契約締結まで漕ぎ着けることができた。一つひとつの取引が成立に向かうたび、コンサルタントの僕たちは胸をなでおろした。 

情報が漏れている?

 事件が起こったのは、ホテルの運営事業やレストラン事業の取引が成立しようとする、ちょうどその頃だった。合計10社が参加した不動産デベロッパー事業の1次入札に関しては、無事に3社が通過し、各々の会社は、次の2次入札に向けて準備を進めているはずだった。ところが、用意された数週間の追加検討期間中に、1社、また1社と、「2次入札には進まずに、取引から降りたい」という連絡を入れてきたのだ。


 現時点である程度の価値が見込めるものの、今後爆発的に収益が拡大していくわけではないその事業を譲り受けることに、投資家として躊躇があったのかも知れない。こうしたことは、企業再生の現場では、まれに起こることではある。だが、せっかく絞り込んだ3社のうち、2社が降りてしまうということになるのは、僕たちにとっては想定外だった。


 結果的に、2次入札の期限を前にして、手続きに参加しているのは、外資系ファンド1社だけになってしまった。1社だけにはなってしまったが、競争相手がいなくなってしまったことを伏せつつ、このまま形式通りに2次入札を行い、この外資系ファンドの最終提案をもって、スポンサー契約を結ぶ。この流れに乗せていくことさえできれば、さほどの問題は起こらないはずだった。


 ところが、この外資系ファンドが2次入札の提案で、1次入札とは手のひらを返したような提案内容を記載した書面を送付してきたことから、問題は起こったのだ。そこには「事業をマイナスの価格で譲り受けます」と書いてあった。すなわちそれは、「お前たちの方から現金をよこせ。ならば俺たちがお前たちの腐った事業をタダで引き取ってやるよ」という提案だったのだ。1次入札の提案から一転、良からぬ方向にことが進んでいた。


 どうやら、1次入札に参加していた2社が降りたという情報が、残る1社の外資系ファンドに伝わっているようだった。倒産手続きにおける競争入札というものは、競争相手がいなくなった途端に、その意味を失う。一人しか買い手がいない場合、言い値で売買価格が決まってしまうからだ。


 そこには倒産手続きならではの、悩ましい問題が2つあった。一つは、倒産手続きの期間が、そもそも6ヶ月間しか予定されていないこと。倒産手続きが始まり、ひとたび競争入札の手続きが始まったら、3~4ヶ月の時間を使ってしまい、もう一回競争入札をやり直す時間がほとんど残されていない。要は、一発勝負なのだ。

閉店間際のスーパーで

 これは、閉店間際のスーパーマーケットの鮮魚売り場を想像してもらえれば、分かりやすいかも知れない。


 一日中、棚に並んでいたこともあり、時間がたって多少劣化しているかも知れないが、まだまだ食べられるマグロやイカのお刺身も、さすがに次の日までは持たない。だから、20時に閉店するスーパーマーケットでは、18時半を過ぎると、「10%引き」「30%引き」、最後には「半額」というシールが貼られていく。廃棄するよりも、少ない利益を確定するほうがマシという判断だ。さらに、閉店間際の19時50分に、店にお客さんが1人しかいない場合には、その人に売るしか選択肢はなくなり、もしどうしても売りたければ、「持ってけドロボウ」の投げ売りをするしかなくなるのだ。裁判所を介してスケジュールが決まっている倒産手続きでは、閉店という確かな期限が存在するのだ。


 もう一つ状況を困難にしていたのは、入札手続きの途中で、その他の候補者を新たに擁立することの法的な問題が残っていたことだ。それには優先交渉権といわれるものが影響している。競争入札の期間中は、他の人とは交渉しませんよ、という約束事だ。


 優先交渉権の一方的な白紙撤回の有効性が争われた、UFJ信託銀行買収を巡る住友信託銀行と三菱東京フィナンシャル・グループとの訴訟に決着がついた2006年以降、法的にもその強制力が薄くなったといわれる優先交渉権も、当時はまだ幅を利かせていたのだ。したがって、交渉相手は自分たちだけだと知ってしまった外資系ファンドは、それが道徳的にはどうであれ、自分たちの立場を最大限利用しようとすれば、提案価格を下げることができる。売り手である僕たちはそれを飲むより他選択肢がない。何しろ競争相手がいないのだ。そこで、マイナスの価格というものが先方から出されたのだ。


 マイナス評価の入札手続きを、そのままの形で進めることには倒産手続きの間に入っていた裁判所も難色を示していた。お金をつけて事業を譲渡しようものなら、ただでさえ少ない会社の現金が大幅に減ってしまう。倒産後に残った少ない現金の配当を受けるのが、この会社にお金を貸してきた金融機関や、取引先企業にとっての最後の望みなのだ。


 スーパーマーケットの鮮魚コーナーの例えで言えば、「半額」まではディスカウントできても、タダでお刺身を客に持って帰らせることはできないということだ。一度こうした取引を認めてしまえば、次の日から、スーパーマーケットの鮮魚コーナーで18時半よりも前にお刺身を買う人などいなくなってしまう。18時半以降に来店すれば、タダでお刺身が手に入ってしまうという認識が、主婦の間に広まってしまうからだ。


 ならば、裁判所には他にどんな選択肢があるだろうか。この取引自体を裁判所が認めなければ、外資系ファンドによるアコギな取引が成立しないという一方で、不動産デベロッパー事業は破産宣告を受けた上で、清算に進む。従業員の人たちは全員、職を失ってしまう。同じくスーパーマーケットの鮮魚売り場の例で言えば、明日以降もマグロやイカが詰まったお刺身セットの適正価格を維持することを目的にして、今日は廃棄してしまうということだ。これは、スーパーマーケットの体面を保てる一方で、マグロたちは誰にも食べられることなく、廃棄という形で、その生涯を閉じることを意味する。つまり、このフレームの中にあっては、行くも地獄、戻るも地獄なのだ。


 僕たちは外資系ファンドと粘り強く交渉を繰り返した。外資系ファンドが利益を取れるように十分低い価格で事業譲渡を行い、事業を継続運営させることで、従業員の雇用を守りたい。だが、マイナス価格には無理がある。僕たちは、対面と電話会議を使って、どこをどう見積もっても、この事業はマイナスの価値にはならないことを、ロジカルに説明し続けた。ただし、それはことごとく不調に終わった。実際の価値よりも安く買えるならば、それを安く買わない人間はいないと、彼らは言うだろう。そして、買った直後に、通常の価格で転売して、利益を稼げばいい。それがビジネスだ。従業員の生活?そんなこと知ったこっちゃない。外資系ファンドならではの、強気の交渉姿勢だった。

(第2話に続く)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
- どうせなら、挑戦する人生を歩みたい -
「誰でも起業して成功することはできるんです」
TBS『Dooo』に出演した際の動画はこちら↓↓↓

前編20分:

後編20分:


サポートいただいた寄付は、全額「メンローパーク・コーヒー」の活動費に充てられます。サポートいただく際には、僕に対して直接メッセージを送付することができます。直接お会いしたことがある方以外からのメールには滅多に返信しない僕ですが、サポーターの方にはきちんと返信しています。