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BUMP OF CHICKEN「Gravity」歌詞の個人的解釈 前編

はじめに

 こんにちは、たかしと申します。

 普段はニートと学生と趣味的小説書きを行ったり来たりしていますが、今日は前からやってみたかったBUMP OF CHICKENの楽曲の歌詞についての自分なりの解釈と言いますか、考察をタラタラとここに書きつづっていこうと思いますので、どうぞお付き合い下さい。

 今回取り上げるのは、2020年9月10日に配信が開始され、youtubeでもMVが公開された新曲「Gravity」です……良い、本当にとてもいい……
 この楽曲は9月18日公開のアニメ映画「思い、思われ、ふり、ふられ」のテーマソングでもあるので、この曲を聞いて気に入った方は劇場に足を運ばれると、なお良いかもしれません。
 こんなご時世ではありますが、劇場の売上はBUMPの応援にもきっと繋がりますので、ぜひ。

 現在、youtubeには林響太郎監督が監修した実写版MVと「思い、思われ、ふり、ふられ」の映像とコラボレーションしたアニメ版MVがあります。
 どちらもとてもクオリティが高い映像です。胸に来ます。下にリンクを貼っていますので、もし万が一まだ曲を聴いていないという方がいれば、これを読む前に聴いてください。公式動画には再生数、高評価でどしどし貢献です。そして気に入ったらダウンロードで購入しましょう。お金に余裕があれば、CDが出た時にも買いましょう。
 無料やサブスクでなんでも気軽に聴ける時代ですが、だからこそ活動を続けて欲しいアーティストを直接応援することはとっても大事です。よろしくお願いします、よろしくお願いしましたよ?(念押し)

実写MV https://youtu.be/sMi91M_Xl28

アニメ版MV https://youtu.be/ZzxKD9Ol6B4

 歌詞は解説する時に適宜引用しますが、通して読みたい方はこの下に貼るリンクから見ていただくか、実写版MVの概要欄にも歌詞が載って(親切な時代になったなぁ……)いますので、そちらを見ながら読んでいただくとよりわかりやすいと思います。

歌詞 https://sp.uta-net.com/song/290787/

※歌詞の解釈についてはあくまで私の個人的な見解であり、皆さんそれぞれの解釈を制限したり妨げるものではありません。歌詞の読解の一つの助けとして、この記事が皆さんのお役にたつことが出来れば幸いです。

一番Aメロ前半

 さて、前置きという名のダイレクトマーケティングが長くなってしまいましたが、早速本題に移りたいと思います。まずは一番Aメロ前半から。

帰ろうとしない帰り道 いつもどおり
視界の隅っこ ほとんど外 君が鼻をすすった
空を割る夕方のサイレン
給水塔の下 あれは蝙蝠こうもり

 はぁ……もうすごい。一行目からすごい。なんですかこの情景描写は……こんなのもうほぼ小説です。いや、こんな短いフレーズの中にこんなに過不足なく豊かな描写を入れ込んでいることも考えると小説で同じことをやるより大変かもしれない。本当にBUMPは歌詞が上手い。この時点でもう唸るしか出来ないです。でも一応記事のハッシュタグに #歌詞考察 って入れてしまいましたので、唸ってばっかりもいられません。とりあえず細かく一行ずつ見ていきましょう。

帰ろうとしない帰り道 いつもどおり

 詩でも小説でも、一番最初の一行というのはいわゆる「掴み」としてとっても重要な要素になってくるんですが、その点ここは完璧です。ここの一行だけでもう登場人物の関係性が見えてきます。でももう少し状況をはっきりさせたいので、次の行にいきましょう。

視界の隅っこ ほとんど外 君が鼻をすすった

 ここで、この場の登場人物が、視点の人物(後に出てきますが、これは「僕」です)と、「君」の、おそらく2人であろうことが分かります。
 なぜ、"視界の隅っこ"なのかといえば、「僕」は、"帰り道"で一緒に「君」と歩きながらも、「君」の方へは直接視線を向けていないからでしょう。
 それが、照れくささからなのか何なのかについては、歌詞では直接の言及はありません。BUMPの歌詞によく登場するテーマとして「本当の気持ちを言葉で表すことは出来ない」というものがあって、それはこの曲の中にも使われています。
 言葉で表現することがどうしても出来ない、微妙で絶妙な、形にしてしまった途端に壊れてしまう繊細な感情。それをどうにか音楽と言葉の組み合わせで表現出来ないかともがき苦しみながら歌を作り上げるのが、BUMP OF CHICKENの永遠のテーマなのだろうと、私は思っています。
 長くなってしまいました、次は二行まとめて行きましょう。

空を割る夕方のサイレン
給水塔の下 あれは蝙蝠こうもり

 ここです、ここ!"夕方のサイレン"が"空を割る"んですよ……?
 こんなに鮮やかで、なおかつ的確な言葉選び、ありますか……?少なくとも僕は、他でこんなのは見たことないです。この曲の中で一番好きなフレーズかもしれない。
 少し深読みすると、この"割る"は、夕方の静かな空気の中を割るように響き渡るサイレンという描写と同時に、二人(「君」と「僕」)の間に"割って"入り、今日の日の二人の別れを告げるサイレン、とも取れるかもしれません。この辺りは本当に個人の解釈になると思います。

 "給水塔の下 あれは蝙蝠(こうもり)"のフレーズは、"あれは蝙蝠こうもり"と言っていることから、おそらく給水塔はかなり遠くの方にあって、その下をヒラヒラと動く小さな影を、動きなんかを見て「きっと"あれは蝙蝠"だろう」と確信めいた推測を立てているところだろうということが分かります。
 ここはなんでもないような描写に見えますが、ここで大事なのは"給水塔"や"蝙蝠"そのものではなく、「僕」がどこに視線を向けているのか、というところです。
 さっき、「僕」は「君」を視界には入れておらず、「君」の鼻をすする音だけが聞こえる、という描写がありましたが、そんな「僕」がどこを見ているのかと言うと、それはここにある通り、遠くにある"給水塔"やその下で舞う"蝙蝠こうもり"なんです。
 "帰ろうとしない帰り道"、要は帰りたくない、まだ一緒にいたいはずなのに、どうしてか「君」のことを直接見ることは出来ない。視界のやり場に困って、遠くの給水塔なんかを見てしまう。でも、そうしている時にも、"視界"の"ほとんど外"にいる君のことは、視界に入れられないからこそ強く意識してしまっていて、だからこそなんでもないもののはずの"給水塔"や"蝙蝠こうもり"が、あまりに鮮烈に、その時、その状況と一緒に脳裏のうりに焼き付いてしまう。
 そんな、直接経験したことは無いはずなのに、何故か胸にじわじわと深い懐かしさ広がるような青春の原風景を聴く人に疑似体験ぎじたいけんさせるのが、藤原基央の歌詞の真骨頂と言えるでしょう。本当にすごい。

一番Aメロ後半

 もうAメロの前半だけで文章が結構な量になってしまっていて恐ろしいですが、構わず続けます。続いて一番Aパート後半です。

僕らは時計を見ないようにしていたけど
そんなふうにして時間に気付いてしまうから
かき消すようにして喋ろうとして
なんだかやっぱり黙ってしまう

 はい、ここからは情景描写から打って変わって、心理や動作の描写になります。ここも二行づつ、丁寧に行きたいと思います。

僕らは時計を見ないようにしていたけど
そんなふうにして時間に気付いてしまうから

  "僕ら"という、「僕」と「君」をまとめた表現ですが、ここでようやく「僕」が出てきましたね。そんな"僕ら"は、"時計を見ないようにしていた"ようですが、それは何故でしょう。やっぱり、帰りたくない、離れたくないからだろうと思います。
  "そんなふう"というのは、一つ前の情景描写にあった、"空を割る夕方のサイレン"や"給水塔の下"に"蝙蝠こうもり"がいること(蝙蝠こうもりは、夕方やその先の夜の訪れを表すものとしても使われているのかもしれません)をおそらく指していて、別れる時間が来てしまうことから目を背けたくて"時計を見ない"ようにしていても、そういった周囲の景色や音が、別れなければいけない時間の訪れを、無理やり"僕ら"に気付かせてしまうのでしょう。

かき消すようにして喋ろうとして
なんだかやっぱり黙ってしまう

 そして、"夕方のサイレン"や"給水塔"の"蝙蝠こうもり"に、来て欲しくない別れの時を"気付かせられてしまう"から、気付かされたくないから、それを"かき消す"ように、なんとか「僕」は言葉をつむごうとするのですが、それに失敗してしまう。この、「寂しさ」や「もどかしさ」のようなありきたりな言葉では表現しきることの出来ない、絶妙な雰囲気、空気感を表現する作詞の妙が、ここにはあると思います。

一番Bメロ

 ようやくBメロです。果たして私はこれを最後まで書き切ることが出来るのでしょうか……というか、これを最後まで読む人は本当にいるのでしょうか……
 そんな不安はとりあえず仕舞しまっておかないと先に進めないですね、大丈夫だと自分に言い聞かせて続けます。

君の影の君らしい揺れ方を
眺めてるだけで 泣きそうになったよ

 ここは、序盤のAパートとサビをつなぐ重要な部分で、メロディもAパートからは変化して、この二行のフレーズの後に音楽も一気に盛り上がります。

 歌詞を見ると、「僕」は"君の影の君らしい揺れ方"を見ています。先程、「僕」の視点の方向が大事だと言いましたが、さっきまで「君」の方ではなく、"給水塔の下"の"蝙蝠こうもり"に向いていた視点が、ここで一気にグイッと手前に、おそらく背中から夕日を受けて地面に映る"君の影"へと、ここで移っているんです。
 ここでもまだ、「僕」は「君」の方へと直接目を向けることはできていませんが、それでも"サイレン"や"蝙蝠こうもり"によって、「別れ」を意識させられることで、より「君」への気持ち、「君」に対する意識が高まったからこそ、視線は動いたのでしょう。
 そして、そんな"君の影"は、"君らしい揺れ方"をしているのです。影から読み取ることの出来る、「君」の何気ない、「君」らしい動作の一つ一つが、もしかすると直接「君」を見ることよりも鮮烈せんれつに、「君」という存在を「僕」に感じさせるのです。

 だからこそ、「僕」の胸の中にはどうしようもない想いが込み上げて、それが涙になってあふれそうになってしまうのです。

一番サビ

盛り上がってまいりました、いよいよサビです。

見つけた言葉いくつ 繋げたって遠ざかる
今一番伝えたい想いが 胸の中 声を上げる
そんなの全て飛び越えて 子供のまま笑って
裸足のメロディー歌うから いつも今を許してしまう
笑顔のまま ずるいよな

 少しわかりにくいのですが、実はこのサビの最初の二行とそのあとの三行では、「誰について言っているのか」が違います。そのあたりも含めて、一つづつ分けて見ていきましょう。

見つけた言葉いくつ 繋げたって遠ざかる
今一番伝えたい想いが 胸の中 声を上げる

 このサビの最初の二行は、「僕」の胸中について語る部分だと読み取れます。
 Bパートで"泣きそうに"なるほどに込み上げた想いは、きっと「僕」の中で"いくつ"もの言葉となって去来したのでしょう。例を挙げるのも野暮やぼなことですが、例えばそれは「離れたくない」「一緒にいたい」あるいはひょっとすると「愛おしい」という言葉だったのかもしれません。しかし、その言葉たちをいくら繋ぎ合わせても、むしろそうすればするほど、本来胸の中にあったはずの気持ちからは離れたものになっていってしまうのです。
 この部分は、先程も書いたように、BUMPのいくつもの曲に共通するテーマである「本当の気持ちを言葉で表すことは出来ない」が出てくるところです。
 "今一番伝えたい想い"がどれだけあったとしても、それは"胸の中"でしか"声を上げる"ことが出来ないのです。

そんなの全て飛び越えて 子供のまま笑って
裸足のメロディー歌うから いつも今を許してしまう

 しかし、「僕」がそんなふうに、気持ちを言葉にすることの出来ないもどかしさを抱えているとはつゆ知らず、「君」は心のままに歌い、笑います。そう、この部分は、「僕」についてではなく、「君」について歌っている部分なのです。
 "そんなの"というのは、サビ前半の、気持ちを言葉にしようとしても出来ない「僕」のもどかしさ、悩む気持ちをおそらく指しています。それを"全て飛び越えて"「君」は、まるで悩むことなど何も無いように"子供のまま笑って"いるのです。"子供のまま"とわざわざ言っているのは、「君」と対照的に、「僕」の心中は子供の心と大人になろうとする、なってしまう心の間で揺れ動いていて、だからこそ苦しんでいることを表しているのではないでしょうか。
 より正確に言えば、これまでの歌詞で描写されてきた「経過する時間からいくら目を背けたとしても、周りの風景、環境から、時が移り変わったことを思い知らされ、別れる時が来たことを理解してしまう」ということは、その日一日のことだけを指しているだけなのではないのかもしれません。それと同時に、いつか時が経って大人になり、今は一緒にいる"僕ら"が離れ離れになってしまうのではないか、という「僕」の気持ちとも重ねられているのではないかと、私は考えています。
 そんなふうに子供と大人の間で揺れ動き、ごちゃごちゃと頭の中で気持ちを言葉にしようとして出来ず悩んでいる「僕」とは対照的に、「君」は"子供のまま"、"裸足のメロディ"を歌います。"裸足"というのはもちろん、本当に裸足で歌っているわけではなく、心にある気持ちを全く飾らないままに伸び伸びと、鼻歌か何かにして歌っているのでしょう。もしくは、歌だけではなく、「君」の笑顔、"君の影"から見えた"君らしい揺れ方"、そして「君」の歌う歌を含めた全てが、ありのままの姿でありのままの心を表現する"裸足のメロディ"なのかもしれません。

 "いつも今を許してしまう"、ここも少し読解が難しい部分ではありますが、ここまでこの文章を読んでくださった皆さんなら、きっと私がどういう風に解釈するかわかってくださると思います。
 つまり、将来に来るかもしれない別れのことを意識してしまい、「君」と一緒にいるとそのことで思い悩んでしまうけれども、"子供のまま"で"今"を楽しんで"笑って"いる「君」を見ると、「僕」も、ついそんな悩みは棚に上げて、今を一緒に楽しむことを自分に"許してしまう"、ということなのではないかと思います。

笑顔のまま ずるいよな

 そして、一番サビのラスト、この部分ですが、その少し前に"子供のまま笑って"とあるのに、なぜまたすぐに"笑顔"と繰り返すのか、と不思議に思う人もいるかもしれませんが、ここは歌詞の最初の部分から続く「視線の移動」と関わってきます。
 どういうことかと言うと、一番Aパートでは"給水塔"やその下の"蝙蝠こうもり"、つまり遠くの方の景色に向いていた視線が、サビ手前の一番Bパートでは"君の影"、つまり「僕」と「君」の2人が歩く足元まで近づいて来ています。そして、一番サビの歌詞も音楽も一番盛り上がる部分を経て、ようやく"笑顔"、つまり「君」の顔にまで目を向けることができたのです。
 そして最後の"ずるいよな"、これは、「僕」にとってこんなにも難しい、心に思ったことを思ったままに表現することを、さも簡単にやってのけること、そして、「僕」はこんなにも二人のいつか来る別れについて思い悩んでいるのに、「君」はそんなことは少しも考えもせず、今を心のままに楽しんでいること、そういったことを全部含めた、少しうらやむような気持ちを込めて、"ずるいよな"と言っているのでしょう。でも、確実に「僕」は、「君」のこの飾らない楽観に、どこか救われていることでしょう。

おわりに(次回に続く)

 ぜぇ、はぁ、はぁ……さて、とりあえずこれで一番の僕なりの解釈は書くことができたので、二番以降は後編として、次の記事で書きたいと思います。

 まだ前半だけですが、いかがだったでしょうか?私としては、なんか歌詞で「ずるいよな」とか言ってますが、こんな上手い歌詞が書ける藤原さんの方がよっぽどずるいと思います……
 前々から思ってましたが、こんな短い歌詞の中にこれだけの感情と情景を描けるなんて、一体頭の中はどうなっているんでしょうか……本当に凄まじい。細部を掘れば掘るほど新しい発見が出てきます。本当に、こんな素晴らしい曲を作ってくれてありがとうという感謝の言葉しか出てきません。ありがとうBUMP OF CHICKEN、ありがとう……

 拙い文章でしたが、もし面白い、もしくは共感できると思ってくださったなら、後編も読んでいただけると嬉しく思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

(2020/9/20 追記)
 後編のつもりで書いていた次の記事が、予想を大きく超えて長くなってしまったため、次回は「中編」となります。こちらにお詫びして訂正します。

(2022/1/23 追記)
 noteに新しい編集機能が追加されたので、フリガナと目次、見出し画像を追加しました。

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