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疾渡丸ノート (01)  奇跡の弁財船 気仙丸の取材について

8月20日発売予定の新刊シリーズ、「幕府密命弁財船 疾渡丸」についての執筆こぼれ話などを書いていこうと思います。

まずは、一枚の写真を見てください。

大船渡商工会議所提供


一艘の、帆船の写真ですね。そり上がった船尾と、特徴的な高い帆柱が印象的です。そして、いろいろなものが散乱している陸地・・・

陸地? いや、今度は、反対側から引いた写真です。

大船渡商工会議所提供

中心から、やや右寄りにさっきの帆船が小さく写っています。そしてここは陸地ではなく、海です。奥まった湾の一角。そして、海には破壊された他の船や車、大量の瓦礫や木片、ゴミなどが散乱しています。

撮影日は、2011年(平成23年)3月11日。2万名以上の犠牲者をだした東日本大震災の当日です。場所は、岩手県大船渡市。お隣の陸前高田市に次ぐ大きな被害を受けた場所です。

多くの人命が失われ、湾奥に広がる市街地は、まるごと津波に呑まれてしまいました。街の主要区画は破壊され、停泊していたすべての船舶が重大な損傷を被りました。


しかし、その中で、唯一ぷかぷかと浮いていた船。それが、冒頭に掲げた「気仙丸」だったのです。

この船は、江戸時代の商船いわゆる「弁財船」(べざいせん)の木割り(設計図)をもとに、平成3年(1991年)12月に竣工した復元船です。自前の動力は持っておらず、水上を移動するには、帆を上げて風を受けなければなりません。被災当時の船齢はちょうど30年でした。

実は、「疾渡丸」執筆に際し、今は陸上に揚げて展示されているこの船を取材させてもらいました。


千石船、と呼称されていますが、これは当時の弁財船の一般的な通称みたいなもの。気仙丸は比較的小ぶりに作られた船で、だいたい350石積み程度の弁財船を復元したものだそうです。

実は、復元弁財船は他の地域にもあります。中でも大阪の「浪華丸」、青森の「みちのく丸」などは、気仙丸よりももっと大きく、石積みでいうと正真正銘の千石を超える大船なのですが、様々な事情で現在は取材困難。

そこで、船の管理に当たられている大船渡商工会議所のお手を煩わせ、現地で数時間にもわたり取材をさせていただいた次第なのです。

実船は年間多額の費用をかけてガラスコーティングされ、きちんとメンテナンスされています。お隣の陸前高田を象徴していた「奇跡の一本松」にも匹敵する「奇跡の弁財船」を、なんとしても後世に残していこうという東北人の不屈の気概を感じます!

そして、商工会さんのお口添えをいただき、なんと実際にこの気仙丸建造に関わった船大工集団の脇棟梁、管野孝男さんに直接お教えを請うことができました。

菅野さんと筆者


いやもう、至れり尽くせり・・・菅野さんにお話をお伺いして、自分がそれまで弁財船の操帆の仕組みを完全に誤解していることに気付かされたり、船の各部に異なった木種を使用して、それぞれの特性を活かした文字通りの「適材適所」を実現していたり、独特な轆轤や帆桁の仕組み、特徴的な帆摺管(ほずれくだ)の効用、巨大な舵の上げ下げ、復元された当時の精緻な排水装置「すっぽん」など、実物の中を外を這いずりまわりながら、それまで知るよしもなかった弁財船のあれこれを知ることができました。

このあたりは、書けばそれだけで一冊の本になるくらいの情報量がありますので、いずれ「疾渡丸」の各話あちこちで触れていきたいと思います。

とりあえず、チョイ出しの写真だけ・・・

冬場は立入禁止ですが特別に。動画に登場した観光ガイドの佐藤さんも特別参加


船内の水夫たちの居住、作業区画「矢倉」


矢倉の中に、特徴的な轆轤が見えます。重量物の積込みや操帆にも使われました


甲板は揚げ板式になっており、大量の荷物を積めます。左は排水装置「すっぽん」


左は着脱式の帆柱を固定させる基部。右は船底最深部。あえて水を吸うようにできている


やはり百聞は一見に如かず。
非常に実り多い実船取材でした!

大船渡商工会議所の猪俣さん、今野さん、吉田さん。そして菅野さんと佐藤さん。ご協力とご教示、誠にありがとうございました。

ちなみに、気仙丸は今でも乗組可能です。なかなか行けない人には、吉田さんが一生懸命に手をかけておられる「バーチャル気仙丸」がおすすめ。

独特の操作系に慣れたら、実際に乗り組んでいるかのように弁財船を体験できます。


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