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モンターニュのつぶやき「手土産は真実を語る」 [令和3年4月18日]

[執筆日 : 令和3年4月18日] 

 我が国首相が、コロナ対策よりも、緊急性のあると考えるアメリカの大統領との会談のために、日本をしばし不在しましたが、あまり芳しい成果ではなかったように報道されておりますが、外交の話は、またそのうちつぶやくとして、今日は、総理が素敵な土産物を贈られたであろうとの憶測で、その土産物についてのつぶやきを少々。

 今から150年以上前の1862年、文久遣欧使節団がフランスを訪れ、皇帝ナポレオン三世に謁見しております。その際、彼等は皇帝に日本の手土産を献上していたのですが、その土産物の所在が長らく不明でした。しかしながら、パリの南に位置するフォンテーヌブロー宮殿に、あたかもタイムカプセルに保存されていたかのように発見され、この6月には、フランスで開催される「フォンテーヌブロー美術史フェスティバル」でお目見えする予定で、その献上品に関する日仏会館主催のオンラインでの講演「再発見!フォンテーヌブロー宮殿の日本美術」ー徳川幕府からフランス皇帝への贈り物」が先日の17日にありました。なお、私が今まで見たことも、聞いたこともない名前の大学の先生(美術関係者)他による講演でしたが、講演者が東大の先生方が多かったのですが、東大の先生というのは、「アカデミック」な専門家が多いなあというのが第一印象でした(つまり、一般の人の知らない知識を沢山もっていて、そして専門以外のことにはむやみに口を挟まない、言わばミス・ヘマをしない人という意味合いがあります)。

 当時日本の美術品の西洋での評価という点では、西欧の玄人にはそれなりに評価されていたのでしょうが、フランス一般人にとっては、珍しいもの、中国のものとは違うという程度で、芸術性等、本当の価値はわからなかったのでしょう。時の皇帝、ナポレオン三世もその芸術的価値を知らずにいたような気がします。でありますから、お土産品がその後どうなっていたのかわからなくても致し方ないのですが、僥倖というか、幸いにして、フォンテーヌブロー宮殿の「中国・日本室」に保管されていた訳です。
 日本の土産品はナポレオン三世の后、皇后であったウジェニー・ド・モンティジョ(Eugenie de Montijo 1826-1920 スペイン語の発音ではエウへニア)の所有的なものとなっていたようですが、ウジェニーは、スペインの貴族の出で、ナポレオン三世はかなりの問題児(下半身に人格なしの)だったようですが、彼女は敬虔なるカトリック教徒で、美貌と知、そして優しさも兼ね備えていた類まれなる女性だったようです、ナポレオン三世にしばしば助言をしていたと言われます(所謂内助の功ですな)。94歳で亡くなっておりますが、当時にしては大変な長寿で、カトリックの信者が長生きできるのは、それなりに意味があるのでしょう。
 土産品としては、絵巻物、屏風、陶器などがあって、専門家曰く、こうした品々は、江戸幕府のお抱え的芸人による作品で、所謂当時の日本のアカデミックな作品であると。後に、ジャポニズムのきっかけとなったとされる、1867年のパリ万博への日本の参加がしばしば取りざたされる訳ですが、このパリ万博に出店・出典したものが日本の庶民文化的なものである(浮世絵や芸者等)のに比べて、文久遣欧使節の持っていった土産品は、日本の庶民の目には触れることのなかった「芸術作品」ということのようで、西欧で流行したジャポニズムとは一線を画すものであります。
 確かに、浮世絵もそうかもしれませんが、世界で人気の高い日本の漫画・アニメ、コスプレ、或いは工芸品的な茶器なども含めて(ラーメンもそうか)、これは一般庶民に人気のあるもので、仏語で「庶民」はpeuple、massesで、「庶民的」はpopulaireというように、国民的とか人気のあるということであります。言い方を変えると、文久遣欧使節が政治的に、外交的にフランス等の欧州諸国に土産品として西欧に持ってた芸術作品は、庶民にとっては、猫に小判、月とすっぽんで、一般のフランス人には何の効果を
与えなかったということでございます。
 ちなみに、浮世絵の西洋絵画への影響という面では、ジャームズ・ティソJames Tissot(仏のナント出身の画家、1836-1902、名前を英語読みのジャームズで通した人)という画家がモネやゴッホ、あるいはロートレック等よりも早く浮世絵を採り入れた作品を描いていたことを今回の講演で知りましたし、興味深いのは、彼は1867年のパリ万博に徳川慶喜の名代としてフランスを訪れた徳川昭武の絵の先生でもあって、昭武の肖像画を描いております。なお、ご案内のように、渋沢栄一もこの一行の一員でありました。そういえば、この時も昭武一行はナポレオン三世に謁見していますが、さて土産物は
何処にあるのか。
 外交を司る者にとっては、土産物の効果という面ではやや淋しい訳ですが、もっとも、フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)「外交談判法」(岩波文庫)にもあるように、近代外交以前は外交官というのは、君主の為に働く者であり、国家的な思慮よりは、君主から褒められる・評価されることが大事だったわけで、遣欧使節団も、ナポレオン三世が喜んでくれることを最優先したと考えられます。他方、ハロルド・ニコルソン(1886-1968)の著書「外交」は、主権が君主から国民に変わってからの外交についての本であり、国家の機能に着目しての外交・外交官の姿が全面に出ている本だと思います。

 土産品の芸術性については私は分かりませんので、何も語れませんが、そうした品々がこれから専門家の目でより詳細に研究されて、所謂歴史的な価値も明らかになるのでしょう。なお、文久遣欧使節には、ご案内のように、福沢諭吉も通詞として同行しておりますので、私的には、今回のオンライン講演で、福沢諭吉に言及した発言がないことに、ああ、やっぱり日本人は、重箱の隅を突くのは得意だけれども、箱の外を見る目はないのかなあと。ちなみに、文久遣欧使節については、宮永孝「幕末遣欧使節団」(講談社学術文庫)は読んでおりますが、福沢は日本の3大自伝書の一つと称される「福翁自伝」でこの遣欧使節団のフランスでの話を語っております。シャム(タイ)と同レベルであると見られていた日本が、面目躍如したのがこの文久遣欧使節のナポレオン三世との謁見での立ち振舞で、金ピカの派手派手しい格好で謁見するかと思われていた日本の侍たちの身につけていた装束の質素さと、毅然とした立ち振舞(特に顔の風貌)に、パリっ子たちは自分たちと変わらない文明度の高い日本を発見し、驚愕するとともに、言葉で一言ではいえない共感性、或いは共時性を抱いた訳です。
 人が深く感動するのは、物そのものではない気がします、作った人の品性、魂の、精神の純度に感動するということです。顔というのは、その精神を表すものであり、福沢諭吉の顔は日本人の知性を表す代表的な顔としてパリの写真屋さんにも残されていた訳です。ジャポニズム、正直私にはよくわかりませんが、極々普通の日本人が愛する物をフランス人が素晴らしと評価してくれたのは、それはそれでよろしいでしょうし、むしろ、当時の平均的日本人の文化度が高かったことを証明するものかもしれません。

 ご参考までですが、公文書管理法に基づいての歴史的文書(外交文書)の審査では、皇室関係者が贈った土産品、あるいは受け取った土産品の内容は明かさないことになっておりましたし、政府レベルでのお土産の中身は、国家機密とは申しませんが、かつては、「外交のツール」の一つであったかもしれませんが、昨今では、そうした外交のツールとしての位置づけよりは、より「儀礼的」なものになっている印象があります。そういう点からは、かつて安倍首相からのトランプ大統領への高価なゴルフクラブのプレゼントは、公的な土産物でなく、私的なものなのでしょう。一般には、日本的な工芸品、特に美術的に優れているものが選ばれているような気がします。そういえば、日本の某国会議員がミッテラン大統領に、なかなか奇抜な土産物を贈っていましたが、あれは果たして何処に。

 最後に、昨日のつぶやきのホーム・グラウンドの話で一言付言いたしますと、外務省の本省での勤務ということで言えば、一番長く執務した場所は、フランスの政務・経済等の担当の西欧第一課、次が歴史的外交文書を扱う外交史料館と公文書監理室、その次がプロトコール業務の儀典官室、そして2005年に開催された愛知万博のための準備室になります。これらの執務が私のホーム・グラウンドとなっているかは分かりませんが、外務省員でないとできない仕事という意味では、プロトコールの業務は面白かったですね。
 特に、1994年の天皇皇后両陛下のフランス公式訪問の時のプロトコール的業務(土産物の事、勲章の授与者リストの事、或いは、会食のメニュの設定等)はそうですし、首席随員であった中山太郎元外務大臣の通訳の仕事も、外務省員であったから出来た仕事ではないかと思います。なお、1990年に皇室の方の通訳でパリからマダガスカルに参りましたが、当時の大統領に渡された手土産は、仏訳するのに苦労した品でしたが、けっして儀礼的なものではありませんでしたが、皇室の方の通訳をした初めての経験であり、これも多分、外務省員であったが故の経験だと思います。そういう経験のせいか、要人の手土産は気になる訳です。今は白日の下に明らかになることはないでしょうが、30年が過ぎて、我が国の歴代総理が諸外国の指導者に持っていった土産が明らかになった時、外交の歴史の解釈も少しは変わるかもしれない、そういう楽しみがあります。
 それくらいに手土産は国家間のお付き合いでは重要であると思っておりますし、日頃の私たちの人とのお付き合いでも、土産物には細心の注意が必要ではないかと思う次第です。でも、要は真心なんだとは思います、高いか安いかではない、心のこもった手土産が一番でしょう。 
失礼しました。

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