モンターニュの折々の言葉 378「人生は、なるようにしかならない」 [令和5年4月26日]

「生前は、よく寝ていた縁側をふっと見るとやはりそこで寝ているもんだから、それでこちらは気が安まった。今はそれがないので、いるつもりになるしかない。「まる」の定位置を見てしまう癖が抜けない。寝ている「まる」の頭をたたく癖があった。でも「まる」はもういない。しょうがないから、今はお骨をたたいている。家内は、私の骨壷と一緒に埋めようと思っているらしく、「まる」の骨壷を身近に置いている。」

養老孟司「ヒトの壁」の「ヒト、猫を飼う」から

 今日は、これから外務省のとある先輩との昼食の予定もあって、また、天気も良いので、やることが沢山ありますので、手短に。
冒頭にある「まる」というのは、養老孟司さんがかわいがっていた猫の名前で、享年18。19まで生きていてほしかったので、何歳でしたかと訊かれると、19歳と答えるとか。今日本では愛玩動物として、犬、猫は2000万匹もいるようですが、都会では、猫は役にたつわけでもなく、迷惑をかけるだけの存在であるはずだが、役にたつか、儲かるかという存在ばかりが重視される社会にあって、これだけの数が飼われているというのは、実際の人間関係の辛さの裏返しではないのか、そういう存在にどれだけ心を癒やされているかを示すものではないのかと、養老孟司さんが述べています。
養老孟司さんの「ヒトの壁」は、2020年半ばから2021年半ばに月間「新潮」や、朝日新聞への寄稿文(後に「朝日新書」に収録)等を元にした本ですが、自ら「年を取ると、自分の人生を思い起こすくらいしかすることがない」と言うように、取り立てて、ものすごいことが書かれているわけではないのですが、流石養老孟司さんで、色々と興味深い発見がありました。
たとえばですが、彼の個人史に関わることですが、父親は三菱商事の商社マンで、中国にはよく行っていたようですが、養老孟司さんが4歳の時、34歳(1942年)で亡くなっていたこと(死亡原因は不明)。旧制一高の名簿には、作家の中島敦が同級生として記載されていたそうです。孟司の名前は、中国の孟子から採ったもののようですが、子を使わずに司を使ったのは、女の子に間違えられないようにとの配慮とか。また、彼のお母様は開業医でしたが、一切の公職につかず、また、彼のお母様は開業医でしたが、一切の公職につかず、また医師会の役員になることも拒み続けていたようですが、95歳で大往生を遂げた後、朝鮮日報の記者が、養老孟司さんを訪ねてきたことがあったようですが、それはお母様が戦時中に在日の人たちを差別なく親切に医療を行ってくれていたことがあったからのようです。

 母親のこうした行動というのは、実は、息子である養老孟司さんにも影響(遺伝か)していたようで、母親と同じように、彼は日本社会そのものを受け入れておらず、一種のヨソ者として現代社会を生きてきたということ。80過ぎまで、そうした彼を受け入れてきた日本の社会には余裕がったのは、ありがたいことであったが、「生きにくい、所を得ない」と思ってきたのは、彼が社会を拒否してきたからで、社会を受け入れてこなかった自分のせいであって、社会のせいではないことを80を超えて、遅まきながら気がついたようです。

 この辺はとても興味深い自己分析であり、社会分析でもあります。お母さんは、孟司さんが東大の教授を務めている時期に、「子供のたちのなかで、一番心配なのはお前だ」と言われたようですが、それは、一応社会的「成功」らしいもののを手に入れた息子ではあっても、それはお前の本性とは違うだろういうことを、母親は見抜いていて、危惧を感じていたということであります。それ故に、後に、彼が子供の頃のように、虫捕りに熱中する姿を見て、「子供の頃と同じ顔をしていて、安心した」と語ったようであります。母親というものは、かくもなんとも凄いものです!

 まあ、これだけでも、ブックオフの新書半額セール(300円)で勝った甲斐があったというもの。その他には、自殺する人とどう付き合うかという話、あるいは、進歩とか、進化に関連しての話で、丸山真男の日本という国、あるいは、日本人の人生観、あるいは世界観としての「なる」という思想の話。人が、社会が変わるのは、こうしたから、こうなったというのはAI的であり、米国的ですが、日本は、日本人の古層には、ものごとは「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなり」ではなくてですね、なるようにしかならないという思想というか、諦観的な世界観があるということ。

 この「こうすれば、こうなる的なもの」がまあ、明治維新から長い間、日本人を支配した思想的なものなんでしょうが、養老孟司さんは、80年生きてきて、感覚としては、「なるべくしてなる」「ひとりでになる」という考えに至っているようです。つまり、結果としてこうなったとして、その結果を変えるために、「ではどうすればいいかがわからないから」ということのようであります。
ちなみに、第二次世界大戦で日本は米国にコテンパンにやられたわけですが、ある文学賞の会議で、その後の米国の対日政策に対して、「変だ、不条理だ」と意見を述べた委員がいたようですが、それに対して、山崎正和議長が「戦争に負けたというのはそういうことだよ」と一言述べて、それで議論は終了したとか。

 今日のまとめです、短いですが。過去の成功というか、上手く行ったことや、失敗というか、上手くいかなかったこと等をリストアップして、こうしたから目標が達成できた、ああしたから、勝負に勝てたという程に、行動と結果には厳密な整合性はないようでもありますし、そもそも、人との出会いもそうです。80歳になれば、わたしも養老孟司さんと同じようにですね、「なるべくしてなる」「ひとりでにそうなる」と達観できると思いますが、まだ若造なのか、そこまでの諦観がない。ただですね、アップルの創業者のスティーブ・ジョッブスがスタンフォード大学の卒業式に述べた、「夜には死ぬという前提で毎日を始める」というのは、至言ではないかなあと。

 この言葉こそ、まさしく、「なるべくしてなる」「ひとりでにそうなる」という日本の古層にある思考であり、思想につながるものではないのかなと。

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