モンターニュの折々の言葉 360「『折々の言葉』は無料の『言葉の一品料理』」 [令和5年4月8日]

 家内曰く「秋田の人は気前がいい」と。秋田といっても、かつての佐竹藩、南部藩、亀田藩、等、縦と横にそれなりの面積を持つ秋田ですから、気質も、言葉も場所で異なるでしょうから、一概には言えません。秋田の人が気前が仮に良いとしたら、それは土壌が肥えていて、自然の恵みが他県よりも比較的豊かであったことに、その一因はあるでしょうね。基本的に美味しい米ができる県の人は、気前が良い人が多い気がします。海産物に恵まれている県民もそうかもしれません。

 ところで、これは条件法過去形になるのかわかりませんが、秋田でずっと住んでいたら、私の場合は、父親と同じ様に、40代であの世だったかなあと。遺伝的に私はアルコールの消化分解酵素が少ないので、毎日付き合いで酒を飲んでいたら、食道がんか、肝臓がんか、あるいはすい臓がんに罹って、とっくにあの世に逝っていたと思うのです。秋田の人が気前が良いかどうかよりも、秋田の人であれば、酒が飲めないと秋田で生きていけないくらいに、酒に強いことが求められるのは間違いないでしょう。

 秋田の人、ともかくも、よく飲むは飲むは。なんでそんなに飲むの?と思う位に。酔わない訳ではないけれども、とにもかくにも飲むことに一生懸命。私は意図して秋田の人間とは高校卒業後敢えて交際しなかった訳ではないけれども、同窓生や同級生で東京に出てきている人との交流が皆無だったことの一つには、酒を飲み交わすという文化が体に馴染まなかったからかもしれません。酒が好きな人(愛すると人いうか)は嫌いではないのですが、単なる大酒飲みは嫌い。いつまでも飲んでいるから。

 さて、昨晩、高校の同窓生の招待で彼の馴染みの蕎麦屋に。手書きの地図を頼りに、池袋駅に着いてから、馴染みのない池袋駅の東口の広場に出ると、大勢の若者が。若者というか、少なくとも私よりは若そうな人が大挙して、街を闊歩しているではないですか。池袋という街は、19歳で初めて東京に来た際に知った街でしたが、渋谷と新宿を足して2で割ったような街かなと。飲食店が多い。そんな街の中に、彼のご贔屓の蕎麦屋さんがありました。

 私たちが最初の客のようでしたが、最初の客である私たちが、店を出るのも最後で、4時間近くも居たようでした。蕎麦屋で食事をするのに、3時間も4時間も居たのは何故か?特に考える問題でもありませんが、要するに、お酒を飲むのに一生懸命だったということ。

 料理は所謂蕎麦懐石ですな。蕎麦の良し悪しを言う資格はありませんが、蕎麦はなんでしょう、ビールと同じで、喉越しの良さが肝心なんでしょう。とても美味しかった。とてもという形容詞でしか表現できないのが、もどかしいけれども、それ以外に言葉が見つからない。他の蕎麦屋の蕎麦とどう違うかを説明できない訳で、これは蕎麦に申し訳ないなあと思う。

 蕎麦を食べると言いながらも、お酒好きな秋田の人にとっては、蕎麦はつまみのようなもので、メインは酒、酒、そして酒。初めの一杯で、ビールの銘柄を訊かれて、「縁起を担いで、えびす」を。素敵な薄型の江戸切子の小さなグラスで喉を潤す。それだけで私は満足できるのですが、彼は、なんだか瓶1本では物足りなさそう。それはそうで、彼は毎晩晩酌をしていて、500CCの缶ビールを2本飲んで、足りたいと日本酒を飲むような酒豪。肝臓がとりわけ強いんだろうなあと、私は呆れ顔で、彼の飲みっぷりを眺めておりました。

 最初に京都の豆腐(「ハンガリー豆腐」のような発音の豆腐)を頂き、胃を整えて、その後は、蕎麦懐石の定番の料理が後から後から、終わりがないくらいに色々と出てきて、それに合わせて、店の今日のお勧めの日本酒を頂くことに。

 最初の日本酒は、秋田の「やまとしずく」という酒。米は「秋田酒こまち」を使用したもので、銘酒を色々と販売している秋田清酒株式会社(大仙市か)のもの。やや甘口かな。次は、都内では滅多にお目にかかることはないとされる幻のような酒、土佐の「四万十 絆」。幻というよりも、水の如しのようなすっきりとした爽やかな酒。そして、その次は、これも銘酒として名高い、山形の酒「14代」を。こちらは、余韻もある、ワインに似たような風味が。

 で、もう私的には、十二分に心も体も酔っていたのですが、一服して、席に戻ると、何故かテーブルにはワインの瓶が。ここの蕎麦屋の飲み物リストにはワインは無かったと思ったけれども、と尋ねると、持ち込みましたとの返事。最近飲んだ白ワインで美味しいと思ったワインは、これで、それにフランス人はサプライズが好きだと聞いていたので、そのサプライズを、と。

 彼は、大分、私に感化されてきたかなと思って、ラベルを見ると、フランス産の「シャブリ」。ワイン好きの私には、有り難いことは有り難いけれども、蕎麦にワインは合うのか?と思い、しかし、せっかくの好意でありますので、頂くことに。結論的に言えば、合う人もいるかもしれないし、合わない人もいるだろうということ。ワインという飲み物をどう位置づけるかでもありますが、再三述べているように、私は、ワインを単独で飲むような趣味というか、味覚はないのであります。あくまでも料理の引き立て役がワインで、ワインの味わいは、料理次第でもあると思っているのであります。料理と、そして一緒に飲む相手次第。

 蕎麦が料理なのか、その辺は喧々諤々の論議もあるでしょうが、料理とは、素材に技術的に手を加えて、あるいは、別のものを加えて、素材にはないもの、所謂付加価値を創るものだと私は思っております。五感というか、目で愛で、鼻で香りを嗅いで、舌で転がして、歯で咀嚼して味わい、喉で締めるのが料理の味わい方。面食いのモンターニュですから、麺にはめっぽううるさいのですが、蕎麦は舌も歯も使わない。香りもよく分からない。見た目も皆ほぼ同じ。これは賞味が難しい。ワインが、素材そのものであるような蕎麦の味を引き立てることが出来るかどうかは、なんとも申し上げられませんが、経験としては初で、これは彼の「営業努力」の魂の表れなのかなあと。

 実は、今回蕎麦屋での同窓生との酒を介しての語らいで、驚いたことがいくつかありました。一つは、このシャブリの提供でした。彼の長年の営業マンとしての苦労が滲んでいるとも言えますが、シャブリを持ち込んだのは、営業精神でもあるのでしょうが、お客様(顧客)に対するサービス精神でもある、ワインによるサプライズという演出に。

 もう一つは、彼は普段ゴルフはラウンドも、そして練習もあまりしていないようなのですが、それでも、80そこそこでプレーできている秘訣を証してくれました。それは、朝、歯ブラシで歯磨きをする時、その歯ブラシを左手で持って、スイングの練習(鏡を見てのトップとフィニッシュの形を作る練習)をしているということ。これは、とても興味深い示唆がありましたので、後日、詳細にお話することがあるかもしれません。

 そして、最も驚いたこと、秋田弁でいえば、「どでしたこと」は、彼は、私の「折々の言葉」を昨年の暮の出会い以来、全てファイルに収録して、それを会社の同僚が何時でも見れるようにしていうということでした。彼の蕎麦屋さんへの招待が、「購読料」であるという意味には、本人に取っての私的な情報としての価値と、社員に対する公的な価値としての情報の意味も含まれているといたということ。これはどえらいことだなあと。

 友人、知人宛の折々がいつの間にか、それ以外の人にとっても意味のあるものになっているというのは、大変に有り難いことであると同時に、下手なことは書けないなあという、緊張感を、無責任モンターニュには、荷が重い、何か使命観のようなものを交換的に提示されたような気になったのです。

 ということで、今日は、蕎麦の話はそれとして、実務に携わっている現役の方に、多少はお役に立ちそうなお話を。外交官というのは、ご案内の通り、所謂特権と免除を享受できる立場の人間。特権や免除を享受できるというのは、普通の人にはできないことができるということ。何故享受できるかと言えば、例えば、皇室関係者は、身分に基づいてそれを享受できる訳です。身分に準ずる特権や免除が元々あって、それに職務における活動を円滑にするために生まれたのが職務的特権と免除。

 外交官だと、例えば、刑事事件では現地の警察に逮捕されるというのは基本的にない。無い訳ではないけれども、刑事事件として、現地で逮捕・起訴される前に、日本に帰国する。他方で、民事においては、公権力が行使されるケースが多い。職務に関係のない、例えば、現地で出来た愛人とのトラブルで殺傷事件を起こしたとしても、いち早く、逃げるというか、外交官として恥ずかしいことをしたことをなるべく表沙汰にはしないように、対応する訳です。外交官の活動としてはありえないような、現地で株や不動産などの取引をして蓄財するような事に対しては、課税に関しての免除を享受することはできない訳です。その代わり、ガソリンやたばこ、あるいはお酒は税分が免除される(最近のことは知りませんが、これは大変に助かりました)。

 私が外務省の勤務でこれは面白いと思った仕事の一つに、外交官あるいは、外交使節の特権免除の仕事がありました。外交使節が享受できる特権の一つに、任国の公権力は大使館の同意なく、かってに敷地内に入ることが出来ないという、所謂不可侵権がありますが、外交官の住居も似た面があります。私が儀典官室で勤務した時、日本に存する外国の外交施設・領事施設の特権免除担当班の長でしたが、前代未聞の事件が起きて、特権免除について勉強をさせてもらいました。

 事件は、戦後数例しかない、ペルソナノングラータとなった外交官の事件で、自宅(実際は本人は住んでいない場所)を第三者のカジノ使用に貸与し、小遣いを稼いでいたアフリカの外交官による事件でした。外交官が有する住居に関する特権を放棄させて、その住居に立ち入るためには、大使の同意ではなく、本国の外務省(政府)の同意が必要であるということで、大変にスリリングな経験をしたのでした(警察庁、警視庁との連携操作)。

 当時、何故かこうした外交官の不祥事が都内で沢山あって、覚えているだけでも、銃の所持事件、女子大生強姦事件、大使館内での暴力事件等などが。この時期(2005年?2007年)の前の時期というのは、日本の外務省の職員による大掛かりな不祥事件が発覚して裁判が行われた時期に符号しますが、もしかしたら、都内における外交官の特権免除を悪用した不祥事事件というのは、こうしたことが悪影響していた可能性がゼロとは言えないかもしれません。

 こうした不祥事と同時並行的に、何が変わったかと言いますと、大使館のスペースを活用した営業的な活動を認めよ、という動きが加速化したことであります。大使館の物 理的な役割に質的な変化が生まれて行ったのがこの時期なんです。商業的なPRを行うこ との為に使うとか、ある商品の紹介を兼ねたイベントの活動がどんどんと増えて行った のです。

 勿論、大使館という場所は、国の利益を増進するための役目を担っている訳ですから、例えば、あるレセプションの際に、日本の素晴らしい農産物(果物、米、日本酒等)、や工業製品(自動車、家電等)の紹介をするのは、国益に沿うものでしょうから、大使館、あるいは大使公邸を活用することが問題にはならないでしょう。政治家からすれば、地元の日本酒や、果物などをどんどんPRしてくれる大使館は「割安」な「コスパが高い」ということになるでしょうし、メーカーや商社からすれば、大使館、つまりは日本という国がPRしてくれたら、製品について安心・安全を請け負ってくれているようなもので、有り難い訳です。

 ですから、その後、大使館での最大のイベントとしての天皇陛下の誕生日レセプションでは、日本の製品が全面的にライトアップして紹介されているでしょう。フランスは、この種のイベントが特に盛んでした。大使館、大使公邸の「公的な場所」を「公的な営業」に使うことに慣れていなかった外交官ですが、その後、ノウハウも増えて、今では当たり前のことになっているのではないでしょうか。

 しかし、民間企業で働く人の営業と公的な機関で働く人の営業では、質的な違いがあります。質というか、営業の目的と手法に違いがあるでしょう。民間企業の場合、顧客はある程度限定されるのではないかと思います。他方、国家の顧客というのは、全ての国民になります。選り好みできないのが国家の営業。ですから、天皇陛下は、決してある特定の商品(食べ物であれ、飲み物であれ、書籍もそうですが)を依怙贔屓はしません。全て平等な等価値のものとして扱います。「これが美味しい、あれは面白い」と、名指しで商品名をPRすることは決してありません。

 勿論、好きなものはあるでしょう。日本酒なら、秋田の高清水が良いとか、うどんなら、佐藤の稲庭うどんがいい、いぶりがっこなら、橋本さんが作っているのが美味いといった、好みはあるでしょうが、決して商品名は証しません。国家に使える人というのは、そういうことなんですね。ですから、ときどき、誤解を受けるのは、公務員は上から目線であるというコメントで、何も上から見ている訳ではなくて、なるべく、平等に扱いたい、自由競争なりを通じて、良いものとして明確に判断が出来るなら、それはPRしましょうということなんだと思います。真っ当な競争というプロセスを踏んだものであれば、大いに営業に協力しましょうということなのではないかと。

 今日のまとめです。公務員も人の子。つまりは、言行不一致なんですなあ。ある政治家が「獺祭」は最高だと言えば、ではではと、それを諸外国のお偉い方々にかしこまって、供する訳です。原理原則があるようでないような生き方が出来るのが外交官。でも、国益がどんなものであるかは知っている。生産者の、あるいは、販売に携わっている方々の努力、特に営業努力がどんなに大変なものであるかを知ることもなく、時流に乗って、国益を追求するために、様々な手段を通じて営業努力をしているのが大使館であり、外交官なのでしょう。外交官の営業には、製品のPRというのも確かにありますが、そのPRを可能にしているのは、実は任国の要路との「情報交換」があるからなのです。

 外交官は物は作れません。売れません。彼らが持っているのは「言葉」で、それを使って売り買いするだけです。言葉の魔術師、芸術家でありますから。彼らを評価するなら、日々どのくらい、この言葉を使って、現地で営業努力としての「情報交換」をしているかを見れば良いのです。

 私も外交官の端くれでしたので、美味しい蕎麦と美味しいワインへのお返しは、言葉によることでしかできないのも、理屈にあっているのではないかと。尤も、今は、なんの特権も、免除もない、ただの年金生活者として、「言葉の一品料理」を無料で提供しているだけではありますので、味に関しては保証の限りではありませんので、念のため。

どうも失礼しました。


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