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おじさんに優しい目を


 「世の中の文字は小さすぎて読めない!」とは、みなさんご存じのフレーズかと思う。あれほど声を荒らげて怒るほどではないのだが、僕も小さな文字が粛々と見えなくなってきている。荒れ狂う嵐のようだった髪の毛も、フットサル場の質の悪い人工芝のようになってしまった。年齢を重ねるごとに、それぞれから語られるありきたりなストーリーだが、自身にそれが起こるとなんだか感慨深い(?)ものだ。


 若さに勝るアドバンテージは、きっと存在しない。気力も体力も充実しているだろうし、経験が少ないからこそずんずんと前に進んでいけるだろう。衰えを感じ始めた自分からするとそれはとてもまぶしく、とてもうらやましい。「時代遅れになりたくない」とまでは思わないが、「最近の若い者は…」と愚痴るような年齢の重ね方だけはするまいと、自分に言い聞かせている。


 生活の中で、おじさんに触れない日は、おそらくないだろう。僕の塾に通ってくれている生徒たちは、週に数回は僕というおじさんの授業を受けている。


 ドラマでよく目にするあの脇役俳優も、爆発的人気を誇るあのアニメの声優も、ワイドショーの司会を務めるあの芸人も、通勤や通学の際に乗るバスの運転手も、毎日郵便物を届けてくれるあの人も…みんなみんなおじさんだし、かのタピオカを発明したのだって、きっとおじさんだ(所説あり)。


 自身のストーリーの主人公になることを諦めてしまったとか、マナーを守らないだとか、カッコ悪いおじさんもいるだろうがその一方で、小さな物語かもしれないがその主人公になろうと、衰えを感じながらも前に進んでいるおじさんもいる。世界は、数々のおじさんたちが支えている。


 少しでいい、ほんの少しでいい。そんなおじさんたちを、今より少しだけ優しく、温かく見てはくれないだろうか。

石巻かほく 2020年3月1日(日)号 つつじ野 より

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