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ポールの頭の中を想像してみるの巻5。

そして、そこが「ゲットバック・セッション」が行き詰まった原因の一つにもなっています。セッションの前に作られたアルバム『ホワイトアルバム』、その作り方は各自が時々に作ってきた曲を脈絡なく集めた内容になっています。各自(例えばジョンのダム)から流れてくる水を使って、ザ・ビートルズの川に流す(バンドで演奏して)、それぞれの水脈から流れ出た水を使ってでも、とりあえず、最後「ホワイトアルバム」となる田圃で収穫までには至りました。初期などはそれぞれのダム水の水質も似たようなものでしたので(聞いていた曲が同じですからね)各自が勝手に作っていても、似たような楽曲、ビートルズ川の水を使った田圃、作られる穀物は一定の質で安定していました。が、中期〜後期にもなると「こういう料理を作りたいからダムからこういう水を流して曲を作ってくれや」と(主にポール)の指示によってアルバムが作られることになります。それぞれのメンバーのダムに貯まっている水量と水質が異なってきましたからね。で、「このままじゃ、ビートルズ田圃を作ることさえ出来ないし、そうなれば穀物も出来ない。やべえな。そうだ!初期型の田圃をまた作ればいいんだ。あの頃の水(7th含有量多し)をダムから引いてきて、、と、そうなればまた田圃は初期のような黄金色の穀物で輝いて、、」と、そういう状況だったのでは?と。で、結果はご存知の通り。最後に一応、収穫まではしたけれど、作られた料理にポールの手は一切入っておらず。

さて、この一連の妄想は、タイトルの通り「ポールの頭の中身を想像してみるの巻」です。初期の曲やカヴァー曲ばかりを演奏していていた「ゲットバック セッション」、デビュー前、自分たちを突き動かしていた曲作りの肝は何だったのか?を思い出す。ジョージ・マーティンが用意した曲を気に入らなかったあの感覚。ビートルズは言語化はしていなかったと思いますが、あの頃のこだわりを思い出す作業が“7thを使ったメロディ”に表出したのだと思うのです。それが「ゲットバック」となる即興作曲演奏の正体。                            その頃のポールの無意識には「ジョンがオノ・ヨーコから戻ってこないかなあ」という感情も含まれています。それが表現されているのが歌詞ですね。「戻ってきて~~!ゲットバック~~!」歌詞については時々の感情込みの創作です、本人も比較的に(のちに)言語化しやすいのではないでしょうか。 

第一回に書いた、ポールの脳内に走っている「メロディは7thに行け」の道しるべ、それが出来た背景の推察、いかがでしょう、ダムの比喩に書き直すと「7thの水だけ田圃に流そう」ですね。状況的に「ゲットバック・セッション」が求める音として7thが必要だったんです。初期のモチベーションを取り戻すために。ただし、ここでポールの誤算がありました。ポールもジョンと同じく無意識の王。            

ポールが持っていた当時のダムは溢れかえるほどの水量、おそらくビートルズ内でも圧倒的な量と質のメロディ貯蔵量になっています。世界レベルの水源を持っているんですね。だから、まあ、ダムから溢れてる水を、文字通り我田引水しているのです。初期の意識とジョンへの感情が入り乱れたときなどに『ゲットバック』を作ったりする、が、当初に作るべき穀物を自分で決めたのに、なんだか流れてきた水を何も考えずに使ってみたら『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』が田圃で出来てしまった。最初に作ろうとしていた料理に合わないのに「これはこれで美味しいからいいや!」と。ある意味、才能がありすぎるから、水源豊富なダムを持っているからの適当さ、、。他のメンバーが「これ、お前が作ろうとしていた料理に合わなくね?単体で出せばよくね?」みたいな。           

音楽の知識を覚えて(勉強して)作曲する意識とザ・ビートルズ流の曲作りの違いを今までの連想話で考えてみるとこうなります。                               【作られた穀物、使われた水の成分分析をしても、ダムに水を貯めることはできない】

とはいえ、水の流れと水質がわかれば、流れてくる水源を辿れる。川の流れ、上流にあるダムの存在、そこに貯まる水はどこから来ているのか?それは分かります。まさに研究ですね。流れる川の護岸工事、適切な水量の調整などは、プロデュースやレコーディング・エンジニアリングに、編曲作業は(料理)に例えられるかもしれません。「ゲットバック・セッション」が破綻した後、プロデューサーのジョージ・マーティンとエンジニアのジェフ・エメリックが呼び戻され、どんな水が流れてきても「多様な作物の収穫が出来て、老舗料理を出せた」の当然のことだったのかも知れません。           

ザ・ビートルズ流の曲作りをまとめてみます。まず、水(好きな音楽)を貯める。好きな曲を自分で弾いて歌う。ダムの水(和音とメロディの関係)が貯まってきたら、自分なりにそれを放出する方法を試してみる。その水を適切に自分の田圃や畑に取り入れて(可能なら誰も作ったことがない)穀物を作ってみる(オリジナリティの誕生)。そしてその素材を使ってアルバムという料理を完成させる(ちなみに盛り付けるお皿(ジャケット)に凝ったりもする)。      

どうでしょう?どこを学べば自分たちの田圃や料理を作れるのか?当然、この連載で書いてきた作業はあくまでも(ビートルズ流)です。貯水量最大級のダムが2つ、いい流れがある川(正確な歌唱ピッチ)、一流護岸工事と水質調査員の存在、誰も大量生産したことがない穀物、作った料理は世界中に広まっていく。

ビートルズが作ったその料理が舌にあって、自分でも料理を作りたいと思ったら何をすべきか?料理の分析よりもダムに水を貯めて、川をいつも流れるようにしておくことが大切なことなのではないでしょうか。それをビートルズも分かっていたのだと思います。干上がってしまった川からは何も生み出せないのです。

あ、今まで、その地域名をリバプールと書いてきましたが、                 正式にはリヴァプール(Liverpool)、その名の通りマージー川の河口で、彼らは生まれて育ったんですね。

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以上、長い原稿おつきあい、ありがとうございました。ポール流の作曲、その大枠を想像してみる短期連載になりました。作曲時にポールの脳内に流れているかもしれない意識、それがなんとなくでも伝わっていればと思っております。「才能とは自分に何かができると信じることである」大好きなジョン・レノンの言葉ですが、それを信じるためには何かを(強烈に)好きになって、そこから何かを貯める必要があるのだと思っております。音楽的知識はそれがなくては(使えない記号)でしかありません。

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