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「第3夫人と髪飾り」、「フルメタル・ジャケット」とフエの米問屋

新型コロナが蔓延する前の話です。私は、ベトナム・フエ出身の友人に誘われて、フエに遊びに行きました。フエは、ベトナム中部にある都市で、グエン朝時代には、王宮がおかれ、歴史遺産や由緒のあるお寺も多く、日本でいえば、京都や奈良といった感じの古都です。私は、友人の実家に行ってびっくりしました。友人の実家に行って食事することになって行ったのですが、友人の実家があまりにも大きくて立派なお屋敷だったのです。

フエ市は、その中央にフオン川が流れているのですが、友人の実家はフオン川のほとりの旧市街にあり、立地がよいうえに、広くて趣のある建物なので、その半分がカフェ・ショップになっていました。私が行った時も、大勢の欧米人観光客が旧市街の散策の途中に立ち寄ってベトナム・コーヒーを楽しんでいました。

その友人の曾祖父は、米問屋として幅広く商売をして、かなり裕福な暮らしをしていたそうです。当時は、大勢の奉公人が屋敷に毎日出入りしたり、屋敷のとなりの倉庫に米を運び込んだり、とても賑やかだったことでしょう。ちなみに、友人の曾祖父には、第2夫人と第3夫人がいたそうです。数年前に「第3夫人と髪飾り」という映画があり、19世紀北ベトナムの富農の様子が、美しく描かれていました。友人の実家は、中部フエの米問屋ですので、映画の設定とはまったく違いますが、そこで繰り広げられる暮らしには共通するものがあったのではないかと想像します。

https://crest-inter.co.jp/daisanfujin/

フエといえば、ベトナム戦争の激戦地のひとつです。南ベトナム民族解放戦線が、1968年1月にアメリカ軍を一斉に奇襲攻撃し、アメリカの施政下にあったフエ市を一時的に占領しました。テト攻勢と呼ばれる北側の大攻勢です。しかし、アメリカ海兵隊が直ちに反撃を開始し、フエ市内で25日間にわたり激戦が繰り広げられました。最終的にフエはアメリカ軍が取り戻すのですが、その過程で、フエ事件と呼ばれる虐殺事件が起こったり、現在、世界遺産に登録されているグエン朝王宮の大半が破壊されたりしています。

ちなみに、フエ事件というのは、南ベトナム解放民族戦線兵士が南ベトナム政府公務員や軍人・警察官、学生やキリスト教の神父、外国人医師などの一般人などを大規模に虐殺した事件で、アメリカ軍の発表によれば犠牲者の総数は2000人以上であるとされています。(ウィキペディアによる)

フエの戦いの様子は、「フルメタル・ジャケット」という映画に描かれています。この映画はスタンリー・キューブリック監督の名作で古い映画ですが、戦争の狂気と若者の成長が描かれており見る価値があります。

フエの街をフオン川がゆったりと流れています。フオン川は、王朝時代も、戦争中も、そして現代も変わらずに流れています。

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