言語と解像度、情報と解像度
こんにちは、清原です。
最近よく「解像度」と言う言葉を聞きます。
今回は、「解像度」について自分なりの理解をまとめます。
まず、深津さんのnoteより画像を引用します。
このように画像であったら、解像度が変わることはあり得ます。
一方で、私たち人間の目に映るものは、人によって大きく変わっているとは考えられません。
では、なぜ人によって「解像度」が違うのでしょうか。
■言語と解像度
解像度が変わる理由のひとつに、
「言語」が関わっていると思っています。
パピヨンというフランス語があります。
パピヨンは、フランス語では、蝶(チョウ)と蛾(ガ)という意味を持っています。
私たち、日本人にとっては、蝶と蛾は違う言葉で呼称されますが、
フランスではどちらも「パピヨン」です。
これが「解像度」のヒントになると思います。
蝶と蛾を見せて、似たものだと認識するフランス人と、違うものだと認識する日本人。
どちらも同じものを見ているはずなのに、見ている世界が違うのです。
人は、言葉で世界を切り取っています。言葉にできないものは、何かぼんやりとしていてよく分からない状態で認識することはできません。
言葉を知ること。これが解像度を上げることに近づく、そう思っています。
■情報と解像度
少し話題を変えます。
同じ情報を得ているはずなのに、異なったメッセージを受け取る人がいます。
これも解像度のヒントになると思っています。
上記の写真の、赤い点は、帰還した戦闘機の被弾箇所を表しています。
この図を見て、
A「赤い箇所を補強しよう」
B「赤い箇所以外を補強しよう」
という2つの反応があり得ます。
正しいのはもちろんBです。
なぜなら、この写真を裏返せば、赤い箇所以外に被弾した戦闘機は帰還できなかったと考えることができるからです。
AとBの違いは、解像度の違いです。
同じ事象を目の前にしているにも関わらず、解像度の差によって、違う結果がもたらされるのです。
『情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記』から引用すれば、
「情報は一線だけではその真偽が判明するものではない。すでに述べたように、ダイヤモンドの真偽は、二線交叉、三線交叉で初めて識別出来るもの(以下略)」なのです。
解像度を二つ目方法は、一線二線で情報を確認すること、と言えるかもしれません。
短いですが、解像度についての私の理解でした。
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清原(@Takashi0Zo)
■参考ページ・参考文献
・情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 (文春文庫)
堀 栄三 (著)
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