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日本神話とBescumber

はじめに

この記事は素人の自由研究であり、厳密な考証は行っておりません。
また、学術的あるいは政治的主張をするものではありません。

起こり

ゆる言語学ラジオ』というコンテンツがある。
ゆるく楽しく言語の面白さを解説するというコンセプトのもと、2021年3月から公開がはじまり、まもなくyoutubeチャンネルの登録者数が10万人を超えるだろう急成長中のチャンネルだ。
雑学好きな人なら絶対にハマると思うのでぜひ見てほしい。どの回も面白いので全部見てチャンネル登録まですれば良いと思う。ちなみに、podcastでも配信を行なっている。

そのチャンネルに『OEDおもしろ単語』というシリーズがある。
Oxford English Dictionary(OED)という、全20巻21,728ページにも及ぶ英語辞典を通読した人物が記した本『そして、僕はOEDを読んだ』をベースに、面白い英単語を紹介するシリーズ(全3回)だ。

・Artolater:パンを崇拝する人
・Gymnologize:インドの哲学者のように裸で議論する
など、それいつ使うの?そもそもなんで単語にしようと思ったの?とツッコミたくなるものや
・Microphily:知性や地位において対等ではない者同士の友情
・Apricity:冬の太陽の暖かさ
など、ぜひ使っていきたい美しい単語などが紹介されている。

さて、ここからが本題だが、第2話でとても気になる英単語が紹介されていた。
その単語は「Bescumber」、意味は「糞を撒き散らす」。
どうしてそんな小学生が好きそうな単語が気になったかというと、その英単語の訳語としてドンピシャな日本語表現を知っていたからだ。
それは「糞まり散らかす(くそまりちらかす)」というものだ。ただ、これをどこで知ったのか忘れてしまったし、「まり」ってなんだろう?

こうして、「糞まり散らかす」の正体を解明するための自由研究が始まった。

高天原にて屎まり散らかしき

「糞まり散らかす」という表現がどこで使われていたのかはあっさりと判明した。それは、古事記である。

古事記は日本最古の歴史書とされているものだ。歴史書といっても、多くの部分は天地の始まりや神々に関する話であり、神話や伝説と表現した方が分かりやすいだろう。「イザナギ」や「イザナミ」、「国生み」や「岩戸隠れ」など、聞いたことがある人も多いのではないだろうか?

そんな、日本の創世記とも言える荘厳で神聖そうな書物に「糞まり散らかす」はあった。以下はこちらのサイトからの引用である。

【訓読文】
爾に速須佐之男命、天照大御神に白したまはく、「我が心、清明き故に、我が生めりし子、手弱女を得つ。此れに因りて言さば、自ら我勝ちぬ」と云ひて、勝さびに、天照大御神の営田のあを離ち其の溝を埋め、亦其の大嘗聞こし看す殿に屎まり散らかしき

【現代語訳】
そこで速須佐之男命は天照大御神に、「私の心は清く明るいから、私の生んだ子は女子だった。これによって言えば、当然私の勝ちだ」と言って、勝ちに乗じて天照大御神の耕作する田の畔(あぜ)を壊し、灌漑用の溝を埋め、また大御神が新嘗の新穀を食べる御殿に糞をしてまき散らした

クソは「糞」ではなく「屎」という漢字が使われてるので、以降は「屎まり散らかす」に表記を統一したいと思う。

「屎まり散らかす」の説明に入る前に、速須佐之男命(スサノオ)にツッコミを入れておく必要があると思う。
謎のロジックで勝利宣言して、破壊活動を行なった後に糞をまき散らすってどうゆうこと?クズすぎない?
神様が糞をまき散らす描写なんて入れたら、神威が弱まってしまって神話として良くないんじゃないかなと思う一方で、人間の理解を超えた存在であることは十分アピールできている気がするので差し引きゼロといったところだろうか。
このあとスサノオは更なる狼藉をはたらいて高天原(神々の住む場所)から追放され、その後もなんだかんだあってヤマタノオロチを退治して英雄っぽくなるらしいが、それは本件とは関係ないのでこの辺にしておこうと思う。

調べたところ、「屎まり散らかす」の「まり」は排泄するという意味の動詞「まる」の連用形らしい。また、「散らかす」は引用文では「散らかしき」となっているが、過去を表す助動詞の「き」が後ろにきて連用形になっているだけだと思う、たぶん。
(「糞」と「屎」の違いは、あまりよく分からなかった。。)

「屎まり散らかす」の謎は解けたわけだが、ここに一つの仮説が生まれた。
もしかして、古事記の英語版に「Bescumber」が使われているんじゃないか!?
どうしてこの仮説の真偽を確かめないままでいることができるだろうか?いや、できない(反語)

Did Susanoo bescumber at Takamagahara?

そもそも、古事記の英語版は存在するのだろうか?
→普通にあった。
冷静に考えてみれば、世界各地の神話の日本語版があるのだから、古事記の英語版が無い方がおかしいと思う。

初めて古事記を英訳した人物はイギリスの日本研究家、Basil Hall Chamberlain(バジル・ホール・チェンバレン)らしく、なんと1882年に完訳している。「Bescumber」は古い表現らしいので、これはもしかしたら期待できるかもしれない!

Basil Hall Chamberlain著(翻訳)『The Kojiki: Records of Ancient Matters』

また、Gustav Heldt(グスタフ・ヘルト)という研究者が翻訳したものが、2014年にコロンビア大学出版より刊行されていることが確認できた。
チェンバレン訳から約130年の時を経て(それだけの時間があればかなり研究が進んでいるはずだ)「屎まり散らかす」がどのように翻訳されたのか、アイビーリーグに名を連ねるアメリカ名門大学のお手並み拝見といこう。

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Gustav Heldt著(翻訳)『The Kojiki: An Account of Ancient Matters』

余談だが、古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)がAmazonに著者として登録されており、著者ページもある(英語版もある!)。
1000年以上前の人物に対して「 フォローすると、最新刊やおすすめ作品の情報を入手できます。」という説明はなんだか間抜けで面白い。どうせならプロフィール画像も追加してあげたい。
最新刊やおすすめ作品の情報が来ることはなさそうだが、「太安万侶をフォローしている」という謎の自慢はできるようになるかもしれない。
太安万侶もこんな未来は想像していなかっただろう。

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チェンバレン訳「屎まり散らかす」

本題にもどり、まずはチェンバレン訳から確認してみよう。

Then His-Swift-Impetuous-Male-Augustness said to the Heaven-Shining-Great-August-Deity: "Owing to the sincerity of my intentions I have, in begetting children, gotten delicate females. judging from this, I have undoubtedly gained the victory! With these words, and impetuous with victory, he broke down the divisions of the ricefields laid out by the Heaven-Shining-Great-August-Deity, filled up the ditches, and Moreover, strewed excrements in the palace where she partook of the great food.

残念ながら、「Bescumber」は使用されておらず「strewed excrements(排泄物をまき散らした)」という、若干オブラートに包まれた表現になっている。というか、これだとスサノオが糞をしたどうかは分からず、他人あるいは動物の糞をまき散らしたとも解釈できる。日本の神様に気を使ってくれたのだろうか?

当該部分には以下の注釈が付いている。

In the original written 屎麻理 which is partly ideographic and partly phonetic for kuso-mari. Motowori interprets it to signify "excrements and urine"; but the parallel passage of the "Chronicles" which he himself quotes goes to prove that mari had not the latter meaning, as does also another well-known passage in the "Tale of a Bamboo-Cutter."

日本語訳すると以下のような意味だ。
注)素人の意訳であり、不正確である可能性があります。

原文(漢文)の「屎麻理」は一部は表意文字で、一部は「くそまり」という音を表す表音文字である。本居宣長は「糞と尿」と訳したが、彼自身が引用した「日本書紀」の並行節※は後者の意味(つまり尿)が無いことを示しており、竹取物語のよく知られた一説も同様のことを示している。
※日本書紀にも古事記と同様に神代日本についての記述があり、ほぼ同じシーンが存在する。

これを見るに、チェンバレンは「屎麻理(くそまり)」というかたまりで「糞」を意味する単語として捉えていたようだ。であれば、スサノオが糞をしたと訳さなかった理由にも納得がいく。
チェンバレンの記述を信じれば、日本人である本居宣長も「まり」を動詞として認識しておらず、「糞」なのか「糞尿」なのかで議論しているくらいなので、この頃の解釈ではそれが一般的だったのかもしれない。

ところで、竹取物語のよく知られた一説ってなんだろう?もう少し説明してほしかったと思う。

ヘルト訳「屎まり散らかす」

次に、ヘルト訳を見てみよう。

And so the mighty one Rushing Raging Man spoke to the great and mighty spirit Heaven Shining, saying: “Because my intentions were pure and clear, I have gained weak-limbed women for children. Put thus, I have clearly won the contest!” And so saying, he ran amok in triumph, ruining the ridges between the rice paddies of the great and mighty spirit Heaven Shining, burying their ditches, and also scattering his excrement about the great hall where the harvest feast was held.

「scattering his excrement(彼の排泄物をまき散らす)」となっている。
ここでいう「彼」は当然スサノオのことであり、スサノオ自身の糞をまき散らしたことが明白な記述になっているのである!
これは推測だが、130年の間に行われた研究により「屎麻理(くそまり)」の「まり」は動詞だという説が一般的になったのではないだろうか?

だとしたら、ヘルトが「Bescumber」を使用しなかったことが非常に悔やまれる。アモン・シェイが「そして、僕はOEDを読んだ」の原著「Reading the OED: One Man, One Year, 21,730 Pages」を記したのは2010年、ヘルト訳の古事記が出版されたのは2014年なので十分可能性はあったはずなのに。。

ヘルトだって、「屎まり散らかす」を訳すときにしっくりくる言葉が見つからずにOnomatomania(適切な言葉が見つからなくてイライラしている状態)に悩まされていたはずだ。

もし、ヘルトがシェイの著書を読んでいたのなら、「屎まり散らかす」の訳語として「Bescumber」が使用され、みんなが幸せになる未来があったかもしれない。

過去に戻ってヘルトに教えてあげたい、英語には「Bescumber」という古事記を翻訳するときにとても役に立つ単語があるんですよ、と。

あとがき

古文が苦手だった高校生の頃の私に「あなたは将来、英語版の古事記を2冊購入することになります」と言ったら絶対に信じないだろう。
素朴な疑問を解決しようと思ったら英語版の古事記を読むという謎の事態に発展してしまい、さらに仮説は結局間違っていたのだが、非常に楽しい時間を過ごすことができた。
勝っても負けてもゲーム自体は常に面白いと言ったスポーツ選手(棋士かも)がいたような気がするが、まさにそれだった。

最後に、このような楽しい思索のきっかけを与えてくださった、ゆる言語学ラジオのパーソナリティー、堀元さん・水野さんに感謝を。

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