見出し画像

クリシェは恥だが役に立つ-酒井宏樹に学ぶ-

先日、ある積読が発酵した。

その本は、酒井宏樹著『リセットする力 「自然と心が強くなる」考え方46』という。
今回はこの本を読んで思ったことを書いてみようと思う。

酒井宏樹著『リセットする力 「自然と心が強くなる」考え方46』
(以降、『リセットする力』と表記)

もしかすると知らない人がいるかもしれないので一応説明しておくと、「積読(積ん読)」とは、入手した書籍を読まないまま放置している状態、あるいは読まれないまま放置されている書籍を指す言葉である。
「発酵」については後述する。

積まれた酒井宏樹

僕は酒井宏樹が好きだ。
サッカーにはあまり詳しくないので、一人の人間として好感を持っている。

なお、この記事では「酒井宏樹」と呼び捨て表記を採用する。
うまく説明できないけど、僕の酒井宏樹に対する敬意を表すには、敬称をつけるよりも呼び捨ての方が気持ちを込められる感じがするのだ。

そうゆうわけで、彼の著書が出版されていると知ったとき、どんな内容だろうと関係なく購入しようと思ったし、実際に購入した。
もちろん読むつもりで購入したのだが、目次を見て読むのをやめた。

以下は『リセットする力 「自然と心が強くなる」考え方46』の目次から第1章を抜粋したものである。

第1章 心を強くする
01 |「不安は妄想」と割り切る
02|プレッシャーは「受け止める」ではなく「受け流す」
03|「否定」ではなく「尊重」から入る
04|「嫌われない勇気」があってもいい
05|「人と比較すること」に意味はない
06|「怒る」のではなく一緒に「解決の道」を探す
07|安定した精神が「冷静さ」を生む
08|自分を見つめ直す
09|順風満帆でなくてもいい
10|自分だけの「ものさし」を持つ
11|自分の「できる、できない」を把握し、周囲と共有する

この目次を見たとき、僕は「どこかで見たような見出しばかりで、なにも新しい学びを得られそうにないな」と思った。それなりに人生経験や読書経験を重ねた人であれば同じような感想を抱くはずだ。

第2章以降もこの調子で見覚えのある見出しが続き、読まなくても書いてある内容が大体想像できてしまい、読む必要がないと考えたのだ。
こうして、『リセットする力』は積読になった。

作家とサッカー選手

積読が発酵する。
これは、読まずに積んである本を読むべきタイミングが訪れることを意味する。
この表現を初めて聞いたのは、僕が大好きな『ゆる言語ラジオ』の第36回だけど、同じようなことを言っている人は他にもいるだろうし、なんとなく感覚を理解できる人も多いと思う。

『リセットする力』は、2022年3月18日に発酵した。
僕は前述の『ゆる言語学ラジオ』のパーソナリティである堀元見さん(以降、「堀元さん」と表記)個人の活動も大好きで、彼がABEMAの『見取り図エール』というバラエティ番組に出ると聞き、リアルタイムで視聴していた。(こちらで無料視聴できるみたいなので、気になった方は見てみると良いと思う。)

ABEMAにはライブコメント機能があるのだが、コメント欄で堀元さんが酒井宏樹に似ているというコメントがいくつかあった。
写真で見比べてみるとこんな感じだ。

堀元さん(Twitterのプロフィール画像より)
酒井宏樹(Jリーグ選手名鑑より)

うーん、似てるか…?
まぁ、よく見ると鼻の形とか、ちょっと垂れ目なところとか、面長で下顎前突気味なところとか…
あれ?雰囲気は全然違うのに、なんか似ている気がしてきたぞ。

似ているかどうかはともかく、これで僕の脳内で酒井宏樹と堀元さんがつながった。

堀元さんは「ビジネス書を100冊読んでうっすらバカにする」というなんとも意地悪な企画をしていて、僕も含めコアなファンを多く獲得しているのだが、ここで扱っているビジネス書には自己啓発書の類も多く含まれる。
そして、目次からも分かるとおり『リセットする力』は紛れもない自己啓発書だ。

酒井宏樹と堀元さん、酒井宏樹の著書と堀元さんの企画という、全く関連性のなさそうなものが完全に付合した瞬間だった。

これ以上ベストな発酵は今後絶対に訪れない。
そう思って僕は4年近く本棚にしまってあった『リセットする力』を読むことにした。

科学本と人生訓

『リセットする力』の内容に入る前に、ここで言う自己啓発書の定義について整理しておきたい。
自己啓発書とは、人生の幸福度を上げるためのアドバイスが書かれている本だと言うことができると思う。本によってアプローチは様々だが、ここでは「科学本」と「人生訓」に大別して考えたい。

科学本は、主に心理学や社会科学の研究結果を一般の人でも読みやすいようにアレンジしたものだ。研究の結果、〇〇ということが分かったので、××すると良いよ!みたいな内容が書かれている。
著者はだいたい大学教授などの研究者で、実験結果や統計データなど、客観的事実によって主張をサポートする形式を取っている。
具体例としては、『やり抜く力』や『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』などがこれにあたると思う。
科学本を自己啓発書と言ってしまうのは研究者の方に失礼な気もするけど、ここでは便宜的にそうさせてほしい。

人生訓は、誰かの経験談である。
著者の経験から導き出された考えを、具体的なエピソードとともに書き連ねたものだ。
具体例を挙げるとキリがないほど、大抵の自己啓発書はこれに該当する。『リセットする力』は酒井宏樹というサッカー選手の経験談なので、当然こちら側だ。

こうやって分けてみると、人生訓よりも科学本の方が役に立ちそうである。
人生訓は一人の体験談にすぎないので、科学的な研究と比べてしまうと、主張の正しさをサポートする力が弱い。
「なんかそうゆうデータあるんですか?」「それってあなたの感想ですよね?」と、ひろゆきさんに言われてしまいそうである。

しかし、今回『リセットする力』を読んで、人生訓も捨てたものではないと思った。次章では本の内容に触れながらこの点を説明しようと思う。

エピソードが9割

『リセットする力』の第11節のタイトルはこうだ。

自分の「できる、できない」を把握し、周囲と共有する

『リセットする力』60頁

やっぱりなんか平凡なことを言ってそうだ。
得手不得手を共有しておくとお互いにフォローしあえていいよねって話でしょ、と。
だが、読み進めると印象が変わった。

たとえば、マルセイユでチームメートのフロリアン・トヴァンは、すごい才能の持ち主ですが、そんな彼にも得意なプレーと苦手なプレーが存在します。彼には「試合を決める」という特別な能力はありますが、守備力に優れているとは言えません。それが共有されていれば、ディフェンダーの僕がフロリアンの苦手なプレーを補うことで、彼が試合を決めるプレーに専念しやすい環境が生まれ、勝利の確率は高まります。
(中略)
自分ができることで、仲間の苦手なところを補ってあげられれば、フロリアンとの連携で多くの場合、サイドを制圧できます。
お互いに役割が分担できて、信頼関係が築けているからこそ、試合では「だいたいフロリアンはこのあたりにいるだろう…ほらいたっ!」と、彼の位置を常に確認していなくてもスムーズな連携プレーが可能となります。
それができるので、僕はこのマルセイユというレベルの高いクラブで居場所を見つけられたのです。

『リセットする力』61-62頁

これは、相互補完の話ではない。
酒井宏樹ほどの才能が埋もれてしまうほどの厳しい環境で生き残るための戦略の話だ。彼はこう続ける。

もちろん自分の得意なプレーは「人の嫌がることをやる」だけではありませんが、実際に僕がボールをもらってロングシュートを打っても、入る確率は下から数えた方が早い。
だからこそ、この世界で僕が生き残るためのには何をすべきかと考えれば答えは自ずと出てきます。
「特別な才能を持った選手が苦手としていることを率先してやっていこう」

『リセットする力』62頁

僕からしたら酒井宏樹だって特別な才能だ。
そんな彼ですらロングシュートの決定率が下から数えた方が早くて、特別な才能を持った選手が苦手なことを率先してやることで生き残っているのだ。

たいていの人は特別な才能なんて持っていない。
だからこそ、(そもそも基準としているレベルが違えど)このような地味で泥臭い話こそ参考にすべきだと思うのだ。

完全に節タイトルをつけ間違っているとは思うけど、いいエピソードだと思う。

人生訓の良し悪しは、エピソードにかかっている。
所詮は一人の体験談に過ぎないので、主張が正しいかどうかという観点では科学本に勝てるはずがない。だから、科学的に正しいかどうかは重要ではなく、何か学びを得ることができる強いエピソードがあるかどうかが重要だ。
そうゆう意味では、『リセットする力』は酒井宏樹という日本最高峰のサッカー選手が、世界最高峰の舞台で経験したことを元にした良いエピソードが詰まっている。

構成とタイトルは1割

『リセットする力』の残念な点として指摘しておきたいのが、構成と節タイトルだ。章立てがイマイチで、節タイトルの付け方が下手だと思う。

章は全部で5つあり、以下のとおりだ。

第1章 心を強くする
第2章 不安を遠ざけ、自信を深める
第3章 切り替える
第4章 勝負に強くなる
第5章 僕が僕であるために

見てのとおり、レベル感がバラバラである。
「第1章 心を強くする」とあるが、2章〜3章も心を強くすることについての話だ。内容的には1章に内包されるべきものが横並びになっているのは気持ち悪い。

そもそも、この本のサブタイトルが『「自然と心が強くなる」考え方46』なので、全部「心を強くする」ことについて言っているはずだ。
にも関わらず、「心を強くする」という章タイトルはデカすぎると思う。
結果、以下のようにほぼ同じ節が2章と3章にできてしまっている。

15|無理に自分を変える必要はない
29|「自分らしい生き方」にシフトする」

節タイトルについては、中身のエピソードと噛み合っていないことが多い。
前述の11節もそうだったが、他にも以下のような節がある。

04|「嫌われない勇気」があってもいい

この節は「嫌われる・嫌われない」という点ではなく、目標にフォーカスしろという話で、それ自体は結構良いことを言っていると思う。
ただ、大ヒットした『嫌われる勇気』に絡めて上手いこと言おうとした結果失敗している感がある。
嫌われることは基本的に避けたいことだから「勇気」たりえるのであって、嫌われないことは勇気でもなんでもない。

他にも、説明のために「他人軸」「自分軸」という概念を導入した結果、逆によく分からなくなってしまっている箇所(第1節)などが気になった。

あと、どうしても許せない点が一つある。
表紙の英語部分をよく見てほしい。

「Nature and mind become stronger」と書かれている。
絶対Google翻訳してそのまま採用しただろ!

「自然と心が強くなる」の「と」は明らかに「and」の意味ではなく、「自然と」という副詞を構成する一要素だ。英訳としては「naturally」の方が適切だろう。
こんなアホな英訳ならつけない方がずっといい。

せっかく酒井宏樹が良いエピソードを提供してくれているのだから、編集者の方にはもっと頑張って欲しかった。

この本を読むときは、章立てと節タイトルを無視して本文だけに集中するのがおすすめだ。

思いやりと謙虚さ

色々と文句を言ってしまったので、また褒めパートに戻りたいと思う。

本書の全編を通して感じるのは、酒井宏樹の思いやりと謙虚さだ。
相手を尊重すること・おごらないことが、彼の基本的な行動原理となっているように思える。

マルセイユでは。ディフェンス陣から「『もっと守備しろ』とフロリアンにちゃんと伝えろ!」と言われます。だけど僕は彼が彼なりに頑張って守っているのがわかるから。それ以上強く要求すると、今度は彼のストレスになってしまうと思い、「最低限これだけはやってほしい」と伝えたうえで、「でも最低限のことをやらないと、もっと苦しくなってよけいに守備に戻らなければいけないよ。そうなると、もっと体力を使うことになるよ」と言うようにしています。するとフロリアンは「そうなるのは嫌だから、ヒロキに言われたことは絶対にやるよ」と約束してくれます。

『リセットする力』81頁

このように、酒井宏樹は相手の身になり、そのうえで良い結果を引き出すために自分が何を出来るかを考える。

僕はまだ人間としては未熟で、人にものを言える立場ではありませんし、僕の考え方だけが正しいとはまったく思っていません。
ただ、海外での厳しい戦いや重圧のかかる日本代表の試合を通して、僕が様々なことに気づいたように、本書が僕と同じ悩みを抱える人のヒントになれば、これほど嬉しいことはあありません。

『リセットする力』4頁

このように、酒井宏樹は自分の考えを相手に押し付けることはしない。
僕は、この態度こそが人生訓のあるべき姿だと思う。

研究者でもないのに「科学的に正しい」と主張したり、ただの経験談を「人生を思い通りにする方法」と紹介したりする、押し付けがましい自己啓発書の著者にはこう言ってやりたい。

-あまり強い言葉を遣うなよ
弱く見えるぞ

久保帯人作『BLEACH』20巻

クリシェは恥だが役に立つ

「クリシェ」とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた常套句や表現、概念を指す。

「人と比較するのはやめよう」とか「価値観を押し付けるのはやめよう」など、昔から誰かが言っていることを声高に主張することは正直ダサい。
人生訓なんてものはおそらく紀元前にだいたい出揃っており、自己啓発書(人生訓)の教えはクリシェに溢れている。

『リセットする力』もその例に漏れず、(目次を見てのとおり)メッセージ自体はどこかで見聞きしたことがあるものばかりだ。

では、全く読む価値がないかと言うと、そうではないと僕は思う。
酒井宏樹にしか語れない具体的なエピソードには、抽象化されたメッセージを超えて心に刺さるものがある。人生訓の面白さはそこにある。

悲しい事実

『リセットする力』は、正直あまり売れていない。

前述の堀元さん企画「ビジネス書を100冊読んでうっすらバカにする」に登場する本にはひどい内容の自己啓発書も多い。
100冊の選定要件の一つとして「10万部(推定)以上売れていること」とあるが、10万部以上売れていることが信じられないほどデタラメなことが書いてある本もある。
記事を書く以上、堀元さんの言うことを鵜呑みにするのも良くないので、100冊のうちから『リセットする力』に似たような内容の本を図書館で数冊借りてみたが、本当にひどかった。

本の発行部数を正確に調べるのは難しいらしいが、刷数に7000~8000を掛けるとおおよその発行部数が計算できるらしい。
『リセットする力』の刷数を調査するために、日本一売っているらしい「オークスブックセンター南柏店」(千葉県柏市は酒井宏樹の地元だ)に行って確認したところ、「2021年3月25 5刷発行」と記載してあった。
つまり、3.5~4万部程度しか売れていないことになる。

隣駅(柏駅)にある「ジュンク堂柏店」と「くまざわ書店 柏高島屋ステーションモール店」にも行ってみたが、ジュンク堂でも結果は変わらず、くまざわ書店に至っては在庫がなかった。

決して全く売れなかったという訳ではないと思うが、デタラメ自己啓発書が10万部以上売れていることを考えると悲しくなる。

だから声を大にして言いたい。
『リセットする力』もっと売れろ!!

おそらく、内向的な性格で自分に自信が持てない10代後半〜20代前半の方にはきっと役に立つ本のはずだ。
本の印税は恵まれない子供達や難病を抱えた子供達を支援している団体に全額寄付されるらしいし、良いことしかない。みんな買おう!

酒井宏樹著『リセットする力 「自然と心が強くなる」考え方46』

あとがき

この記事の作成にあたって、堀元さんの『ビジネス書100冊読むライブ』をかなり参考にさせていただいた。というか、『ビジネス書100冊読むライブ』を見ていなければ、積読が発酵することはなかったので、この記事が作成されることはなかった。
創作意欲を刺激いただきありがとうございました。

その堀元さんがビジネス書を100冊読んで創った現代アートが近日出版される。こちらもきっと面白いので、おすすめだ。

堀元見著『ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律』

本の印税が恵まれない子供達や難病を抱えた子供達を支援している団体に寄付されることはたぶんないが、これを読めばデタラメなビジネス書を購入して、何をしているのかよく分からない著者の懐を潤すという愚行をせずに済むようになるはずだ。
「この1冊あれば他はいらない!」とはうまく言ったものである。


以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?