見出し画像

50歳、これから老いて死ぬ予定の私の覚え書き #0

今年の春に50歳になった。

半世紀生きた。大病せず大怪我せずにまだ生きている。我ながらすげえな。誕生日を過ごしてから数週間、そう繰り返し考えた。

50になる前に亡くなった人たちを知っている。病を得たり怪我をしたり、体の機能の一部を失った人たち、そこから回復した人もしない人も見てきた。
「50になる」のは当たり前じゃない。そうできる人とできない人がいる。
そういう世界で、自分はとりあえず半世紀生きた。その事実にはすげえなとしか言えない。なんなんだろうこの事実。「すげえ」以外の言葉にするには私には大きすぎる。

そう繰り返し考えるのにも気が済んできたのか、昨日あたりから違うことを考えるようになってきた。

ここから先いずれ必ず死ぬときが来るまで、私は確実に老いていく。老いながら、死ぬ日を迎えるまで生きる。
それが今から先の私の人生でおそらく唯一、絶対に確定していることなんだよな。それが摂理というものだもの。人間は致死率100%、私も人間なんだから。
これまで何人も見て知ってきた、先に生きて老いて、死んだ人たちのように。

50歳の今の私があるこの心身で、どうやって老いて死んでいこうか。
いつか分からないけれど必ずやってくるその日まで、この私と時間をどう使おうか。

そう考えるのを書き綴っておくのもいいかなと思い立ってイマココにいる。
誕生日はただの数字の通過点という人もいて、まぁそうなんだろうなとも感じる一方、せっかくこういう気分になったんだから覚え書きをするのもいいのではないかなと。

noteにアカウントを作ってから、ここで書きたいことが見えずにきた。それが見えて嬉しい思いもある。この思いには覚えがあって、私はノート(物理)の衝動買い癖があるのだけれど、「そこに書きたいこと」が見えるまでノート棚(というのがある)に置いておく。書きたいことが出てきたらその棚から、その「書きたいこと」が一番よく載りそうなノートを選んできた。書きたいことがない時も、折々思い出したらその棚に目と手を伸ばして買い溜めたノートたちを見て触っているうちに、書きたいことが見えたりもした。今日noteを開いたのは、書きたいことが見えたから。これは紙束のノートではなく、プラットフォームのnoteに書くのがよかろうと感じた。ノートの1枚目の白紙にいつもの万年筆で書くように、noteにするするタイピングするのが按配がよさそうで、そうしてみた。

綴った感触は悪くない。続くかどうかも分からないけど、気が向いたら書くしそれが何回かあったら続くだろう。そのくらいの軽さでやりたい。そうやって綴る文章はあっていい。白紙の上は、そこで立つ私は、その程度には自由なのだし、その自由を私は小さい頃から愛してきたから、老いて死ぬまでの時間にそれも堪能したいと思う。

ここで書いていくのはこんなことだろう、という素描をしておく。

*やりたいこと
*会いたい人
*行きたい場所
*食べたいもの
*書きたいこと
*読みたい本
*望ましい状態
*やらなくちゃならないこと
*やりたくないこと
*目指す死に方(そもそも目指せるのか?

今日は2024年5月29日。パリ郊外はずっと雨の1日だった。洗濯物がまた乾かない。夕食は卵料理を作る。子どもたちはぶつぶつ話しながら聖闘士星矢のアニメを見ている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?