カマキリのたまご
雪の積もらない平野部に位置する我が家は、雪の脅威にさらされた経験がない。雪下ろしの経験も無ければ、車のタイヤ交換すらしたことがない、生粋の積雪経験初級レベル民である。
「ねえ、今年は雪、降るかなあ。去年あんまり降ってないし、今年は降るよねえ?」
「降るといい!」
当然雪に対する危機感はなく、むしろ雪に対する切望感の方が多い。毎年冬になると必ず話題に上るのは、降雪を望んだうえでの気候予想のあれこれである。
「うーん、今年も降らないんじゃないかなあ、だってカマキリの卵がないもん。」
カマキリには、嘘か真かわからないが、やけに信ぴょう性の高いうわさがある。なんでも、カマキリは雪の降る量を予知しており、雪に埋もれない位置に卵を産むのだとかなんとか。
雑草が伸びることをまったく気にしない我が家の庭は、それはそれはカマキリパラダイスになっていて、夏休みには近所の子どもたちが虫取り網を持って採取をお願いに来るほどなのだが、ここ数年卵を見たことがない。
卵を見たのは、十年ほど前の暑い夏の日だった。目の高さに卵を発見したんだけど、その年はものすごい寒波が来て大雪になった。
初めて見たカマキリの卵にフィーバーし、毎日写真を撮っていたりしてやけに印象に残ったんだな。以降我が家では、カマキリの卵は積雪量予測材料として絶大なる信頼を得ているのである。
「雪、降ってほしいな。」
「降ったら大変だよ…。」
「雪だるま作りたい。」
私も子供の時は雪が大好きだったからなあ。気持ちはわかるが、大人になった今、積雪が非常にめんどくさい事を知ってしまったので暖冬を心からを望むわけで…。いやしかしぼっそぼっそと降り積もる雪も風流で、思わず手を伸ばしたくなるし、うーん。
「カマキリの卵探してみよう、高いとこにあったら降るかも!!」
「探そう。」
虫嫌いの息子が庭に出て卵探索をしてしまうほどに、雪は切望されているらしい。……大丈夫かな、冬眠中のバッタが出たら青い顔をしてリビングに戻ってきそうだけど。
少々心配しつつ、私は猫の皆さんにお食事を配るためお皿を並べ始めた。
「お母さん!!あった!!」
「あった。」
猫の食器を洗っていると、何やらウッドデッキの方から声が聞こえてきたぞ。
「いい考えがあるから、ちょっと来て!!」
むむ、いい考えって一体なんだ。また変な浅知恵じゃああるまいな、子どもたちはたまに思い付きもしないようなやらかしをですね…。
リビングからサンダルを履いてウッドデッキに出ると、何やらデッキの下をのぞき込む姉と弟の姿が。
「ここに卵あるんだけどさ!これ、枝ごと切って上の方に置いたら雪降るんじゃない!!!」
「はあ?!なんちゅーはた迷惑なこと考えるのさ!!一生懸命その場所に卵産んだ母カマキリの苦労!!!」
ダメだよ、大自然の営みを邪魔したら……って!!!
「ごめん!!もう枝折っちゃった!!!」
「私に謝るんじゃなくて母カマキリに謝れ!!!」
「ごめんなさい。」
息子が折ったんかい!!!
虫嫌いの息子の手に、カマキリの卵が!!!
うおお、地味にちょっと感動していたりして……。
「なになに、もう、どこにあったの、この卵は…元に戻さないとだめじゃん…。」
「ここだけど。」
娘が指差したのはウッドデッキ下の雑草が集まっている場所。息子の持っている卵は、やけに太い雑草の根元に近い茎部分で、土と根っこがついてる……引っこ抜いたな!!!
「もー、枯れてるから植え直すこともできないじゃん。…とはいえ、この場所は結構大雨振ると水没する場所だから助けたといえば助けたことになるのか?うーん…。」
「助けたんだって!ねえ、せっかくだから上の方に置いとこうよ!!!」
「虫かごに入れておこう。」
うーん、このまま雑草の上にポイするのも失礼な話だし、まあ、卵だからかごに入れておいても大丈夫か。余分な茎を切り落とし、手のひらに卵をのせてしばし模索する。息子がウッドデッキの下に転がっていた古い虫かごを差し出しているので、受け取って中にカマキリの卵を入れてみる……。風が吹くと寒いかもしれないな、雑草も入れといてやろ。
ぶら下がっている物干しざおの端っこに虫かごのひもをひっかけると、カマキリの卵はおおよそ腰の高さに納まった。
「これで雪が積もる!!そり出して遊ぶんだー!」
「あんたもうそりハマんないでしょ…。」
ずいぶん大きく育ちすぎてしまった娘は、子供用のそりに乗る気満々だけど絶対無理だ、乗ったら割れる。
「僕が滑る。」
「ずるい!!大きいそり買って!!!」
「お年玉で買えっ!!!」
まあね、きっとぶたさん貯金箱開けて買う事もないと思うよ、だって今年めっちゃ暑いもん。十一月も終わろうというのに、25度越えとかさあ、絶対暖冬だわ!!
……そんな事があったのが、先週。
「ちょ!寒い!めっちゃ寒い!カイロ買って!」
「寒い。」
ファンヒーターの前で震える姉弟の姿がー!
「なんか最大級の寒気団が来てるらしいよ!」
真冬だろうがスキー場だろうが、てんで気にしないで年がら年中Tシャツに上着一枚の旦那が氷の入ったコーラを飲みながらへらへらしている。…肉襦袢(自前)を相当着込んでいるので、外からの寒波も中からの寒波もまるで旦那には通用しないのだ!!なんという有能な天然自前自分専用ファンヒーター、普段の食欲の権化の賜物であるとしか言いようがない。
「雪降るかな!」
「どうだろ?降ったら工事中止だから、みんなでごはん食べに行こー!」
「行く。」
朝ごはんの片付けをして、リビングから窓をのぞきこむ……、遠くの空にやけに重たそうな灰色の雲がいるなあ、あれ絶対に雪雲だよね。
時折窓が揺れているのは、風が強いからか。あの灰色の雲がこっちに飛んでくるのも時間の問題だぞ、たぶん…。
物干し竿には、カマキリの卵が入った虫かごが揺れている。ベランダの下に位置する物干し竿だから、この場所で揺れている限り卵が雪にさらされる事は、たぶん、ない。多少の雪は卵に届かないのだ。
卵が雪の脅威にさらされるとしたら。雪が積もって下から迫り来る時だけで…。
「わあ!雪だー!初雪!」
「降ってる!」
「わーい!仕事休もう!バイキング行こ!」
「いや、その前にスタッドレスタイヤ買いに行こう、買うべきだね!買ってから食べに行くよ!」
カマキリの卵を侮っては…ならん!いやしかし人為的移動だ、考えすぎか?だがこの雪雲の勢いはどうだ、ヤバい空気しか漂っていないんだけど!
ひやひやしながらカーショップに行き、30分待ちでタイヤを履き替え、帰る事には大雪で大変な目に遭ったんだよ、確か。
…この年以降、我が家には、カマキリの卵は移動してはならんというルールができたんだよねぇ。
今年、近所の子どもが……、卵を見つけて持ち帰ったんだけども。あれ、どこに置いたのかな?…まさか、マンションの最上階とかないだろうね。
やけに重たそうな、灰色の雲を遠くの空に見つけた私は、ちょっとだけ…今年の積雪量を心配していたり、しないでもない、というお話です……。
↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/