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正座

 雅文は朝から憂鬱でなりません。

 なぜなら、今日、親戚の家で法事があるからです。

 お寺さんに行って、ずっと正座をしてお経を聞いていないといけないのがたまらなくいやなのです。

 しかも、その後和食屋さんでお昼ご飯を食べなければいけません。

 雅文は和食が好きではありませんでした。刺身はべちょべちょして生臭いし、煮物は硬くて変な味がするし、ご飯は味がしないし、味噌汁は苦いからです。知らない大人たちがたくさんいる場所で食事をするのも気が進みません。行儀にうるさいおばあちゃんの近くで、行儀よく箸でおかずをつまんで食べるのも面倒くさいし、もちろんずっと正座をして食べないといけないので、楽しいと思える要素がひとつもなかったのです。

 雅文は正座が大嫌いでした。

 家には畳の部屋がなく、正座をする機会がほとんどありません。座り慣れていないので、すぐに足が痛くなってしまうのです。

 五分としないうちに下敷きになっている足の皮膚が痛みだし、体の重さで悲鳴を上げ始めます。

 痛みを我慢し続けないといけないのがたまらなく苦痛で、逃げ出したくなります。こんなに痛いのに、他の人たちは何も感じないのだろうか…大人になれば痛くなくなるのだろうか…もしかしたら痛みすら感じなくなるほどの状態になってしまうのではないか…お経が終わるまでの長い時間、ずっと頭の中で正座を恨み続けることになるのです。

 長い長いお経が終わった後は、さらに苦痛の時間が待っています。

 立ち上がろうとすると足が麻痺していてふらつくので転びそうになります。足の甲がまっすぐに伸びきっていて、足首がゴリゴリするのはもちろん指先がジンジンと痺れてきて、そのうちビリビリ、チクチクととてつもない痛みに変わってきます。

 しかも、足の痛みに耐えているといとこ達が笑いながらやってきて、一番しびれている部分をわざと手で叩くのです。痛みで泣き出すと、それを見て大人たちが笑うのもたまらなくいやでした。

 どうにかして法事に行かずにすむ方法はないかといろいろと策をねったものの、結局お父さんの「数年に一回のことだから出ないとダメだ」の一言で却下されてきました。行きたくないとごねれば、こっぴどく叱られるのはもちろんの事、お小遣いももらえなくなるのであきらめるしかありませんでした。

 腹をくくって車に乗り込み、大きなお寺さんに行くと、ちょうどおばあちゃんがおじさんの車から降りてくるところでした。

「雅文君、大きくなったねえ」

 おばあちゃんに会うたびに、同じ事を言われるので、雅文は思わず笑ってしまいました。

 しかし、その笑顔は一瞬で驚きの表情に変わりました。いつも元気よく歩いていたおばあちゃんが、杖を使って歩き出したからです。

「おばあちゃん、杖、使っているの」

「年でねえ、これがあると歩くのが楽なんだよ」

 雅文は、杖を突いて歩くおばあちゃんの歩幅に合わせてゆっくりとお堂のほうに向かいました。

 お堂の中には、いつもどおり座布団がたくさん並べてありましたが、見た事のないものも置いてありました。ずいぶん低い、背もたれのあるいすです。

「ひざを悪くしてしまってねえ。いすで失礼するよ」

 おばあちゃんは、正座をしませんでした。

 いすはたくさんあったので、雅文もいすを使わせてもらう事にしました。

 座面の低いいすはすわり心地はあまり良くありませんでしたが、足はしびれないし痛くならないので助かりました。

 お経が終わったので、食事に行く事になりました。

 いつも行く和食屋さんではないお店に行くと、大きなテーブルの下は掘りごたつになっていて正座をしなくてすむようになっていました。

「生物は食べられなくなってきてねえ。軟らかいものはおいしいねえ」

 おばあちゃんは会席料理ではなくお達者御膳を注文していました。

 雅文も、会席料理ではなくお子様ランチを注文しました。

「うまく箸が使えなくなってきてねえ。スプーンで失礼するよ」

 おばあちゃんは和食をスプーンで食べました。

 雅文も、スプーンを使わせてもらいました。

 法事でいやな思いをしないですんだので、これからは楽しく参加できるかもしれないと思いました。

 しかし、その後法事を行うことはありませんでした。

 おばあちゃんが亡くなったので、法事をしようという親戚が一人もいなくなったからです。

 大人になった雅文は、仕事で和食屋に行くたびに子供の頃を思い出し…、正座ができない若者たちに「足は痛くないかい?」と声をかけ、昔話をするのです。

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