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窓が開いたら
梅雨の頃からつけっぱなしだったエアコンを、止めることにした。
随分気温が下がってきたからか、自動運転をしなくなった、エアコン。
もう、涼しい風はそこらじゅうに吹く季節になったのだ。
……窓を開けるか。
閉じられていたカーテンをひらき、久しぶりに、景色を望む。
ここは、マンションの、五階…、あたりに、高層ビルは、ない。
目の前には、青い空…、白い雲が、うっすらと広がっている。
少し目線を下げれば、住宅の屋根や、車の流れる道路、人々の歩み、揺れる木々などが見える。
俺は、みっともなく散らかった部屋に光が差すのをちらりと見やると、ため息を…ひとつ。
薄暗い中で仕事に熱中していたから、部屋の中の汚さに…気が付けなかった。明日にでも、一度大掃除をした方が、いいかもしれない。
水垢が少しこびり付いた窓を開けると、穏やかな静寂のあった部屋の中に、外界の騒がしさが乗り込んできた。
車の通る音、どこかで鳥が騒ぐ音、下の階で犬がはじゃぐ音、どこかで扉の閉まる音、遠くで鳴り響いている仄かなサイレンの音、子供たちのはやし立てる音、飛行機の呻る音……。
少し冷たい風も、遠慮をすることなく、乗り込んできた。
……風には、秋の香りがまぶされている。
真夏の力強い緑の息吹とは違う、どこか切なさを感じさせる、勢いを失った木々の香りとでもいうのだろうか。
三か月の間、締め切られていた部屋の中に‥‥外界の空気が、満たされる。
久しく忘れていた、部屋の匂いが、ふわりと鼻腔を…くすぐる。
ああ、このにおいは、初めてこの部屋に越してきた時に感じたものだ。
部屋の中に満たされていた、自分の匂いが外界に解き放たれて、リフレッシュされたのだろう。
フローリングの、木の匂い?
壁紙の、乾いた匂い?
クローゼットの、合板の匂い?
部屋本来の匂いが、戻ってきたようだ。
しばし、風を感じながら、窓の外を……ながめる。
しばらく、こんな風にのんびりとすることもなかったと、今更……気が付いた。
カーテンを閉め切って、温度調整された部屋の中で黙々と仕事をしていた。
……思えば、ずいぶん、不健康な生活をしていた。
空気の入れ替えをすることなく、閉じこもっていたのだから。
これからは、毎日窓を開けて、新鮮な空気を吸う事を、誓う。
窓を開けたまま、仕事途中のパソコンの前に腰を下ろした。
キーボードを叩く俺の耳に、中規模都市の喧騒が心地良く、聞こえてくる。
いつも耳にしていた、無機質なエアコンの送風音、空気清浄機の規則正しい振動音、パソコンのファンの音…そう言った小さな音が聞こえないのが、新鮮だ。
窓の向こう側から、かすかなお茶の香りが届き始めた。
下の階の住人が、いつもアロマを焚いていたことを、思い出す。
心地よい、香しい風に、自然と作業する手も…軽やかになる。
……今日は、早めに仕事を終えることが、できそうだ。
俺は軽やかに、キーボードを叩いた。
……、なんだ?
遠くに、パトカーの音が聞こえる。
……、だんだん、近付いてくる?
すぐ近くで、パトカーの音が、止んだ。
……、騒がしい、声が聞こえる。
立ち上がり、開いている窓から、階下をのぞき込む。
パトカーが、2台…、警察が四人に、あれはここの住人?
……、怪しいな。
一応、確認に行った方がいいだろう。
くたびれた部屋着を脱いで、玄関先に置いてあるスーツに着替え、現場に向かう。
「あの、何かあったんですか。」
一階には、四人ほどの住人…、あ、この人は二階に住む人だな。何度かエレベーターで会った事がある。
この人は見たことないな、何階の人だろう……。
「なんかね、異臭騒ぎだそうですよ。僕は窓閉めてるから気がつかなかったけど、たまたま自販機にコーヒー買いに来たら、こんな感じで。」
「へぇ、ガスもれとかかな?」
「怖いですねぇ……。」
警察と話しているのは、右斜め下に住むお姉さんだ。今日は犬をつれていないらしい。いつもは、お上品な犬を抱いているのだが。
「あの、槇川警察のものですが、先ほど異臭がすると通報がありましてね。何か気づいた事とかなかったですか?」
様子を伺う俺たちのもとに、警察がやってきた。
「僕は二階に住んでるんですけど、気付きませんでしたよ。窓閉めてましたし。」
「私は三階の端にすんでますけど、気付かなかったですね、犬も鳴かなかったし。」
「私も気付きませんでしたね。窓は開いてましたが、下の階のお茶の良い香りしか漂って来ませんでしたよ。」
「そうですか……。」
異臭騒ぎになる程の激臭ならば、気がついてもおかしくない。
それに気がつかなかったのであれば、おそらく、うちから離れた場所が異臭発生源なのだろう。
「今、全戸の生存確認をしています。すみません、部屋を教えてください。」
……大騒ぎののち、うちの下の下に住んでいる人の、孤独死が発見された。
一大事である。
大人数の警察や救急隊員、市役所職員にマンション管理人、さまざまな人々が入れ替わり立ち替わりやってきた。
一月ほど騒がしい日々が続いたのち、次第に落ち着きを取り戻しはじめ、住民はようやく穏やかな生活ができると、胸をなでおろしたのだが。
この事件には、謎が残っていた。
見つかった家主は、まだ死後硬直もしていない状態で、異臭がしていなかったのである。さらに、部屋の窓はすべて閉まっていたという、事実。
家主の、見つけてほしいという願いが、異臭となって上の階に届いたのだと、まっことしやかな噂がながれはじめた。
三階の部屋は、噂が噂を呼び、誰も入居しようとしなかった。
……事件の記憶が薄らいだ、春。
また、異臭騒ぎが、あった。
暖かい、春の陽気が心地良い日のことだ。
三階の部屋は、いまだに空室となっているというのに、異臭が、発生したのである。
しかも、異臭に気がついたのは、アロマのお姉さんだけだった。
恐怖に戦いたお姉さんは、泣きながら引っ越して行った。
……あれから、何度か、異臭騒ぎが勃発したが、結局原因は不明のままであった。
毎年、春先と秋口に起きる、謎の事件。
いつの間にか、マンションはオカルト物件として名高くなったが、俺は気にせず、快適に暮らし続けている。
……家賃も下がったことだ。
長年使っているエアコンを、買い換えるかな?
俺は、電気屋に電話をし。
「どうも~、エコ産業です~。」
「あ、お願いします。」
……意外な、異臭騒ぎの、犯人を。
「お邪魔しま、……っ!お、おぇえ……!」
「へっ?ちょ、ど、どうしたんですか!」
「この部屋、む、無理……。ま、窓、窓、あけっ……!」
知ることと、なったので、あった。
部屋の換気は毎日しようぜ!!!
エアコン屋さんからのお願いでした……。
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