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タイムリープ【ショートショート】


人生を、やり直したい。

人生を、やり直したくて、たまらない。


あの時、ああしていれば。

あの時、道を間違えなければ。

あの時、手をのばしていたら。


孤独な中年になってしまった、俺。


細々と生きていく金はあるが、派手に生きていく金はない。

体のあちこちに不具合はあるものの、薬を飲み続ければ生きていける。

やりたいことはないが、人の無様な生き様を笑い飛ばすことはできる。

気が付けば周りのやつらはみんな家庭を持って、愚痴を言いながら幸せに生きている。

気が付けば俺は家庭を持てず、愚痴すら口にせず黙って生き続けている。


どうしてこうなってしまったんだろうかと、ぼんやり考えることが多くなった。


生まれた家はそれなりに金に余裕のある家だった。

ただ、父親と母親は仲は良くなかったし、かわいがられた記憶がない。

学生時代は子供じみた遊びをするのがばかばかしくて、本ばかり読んでいた。

大学を卒業して工場で働くようになり、家を出て一人暮らしを始めた。

人付き合いが面倒になり、会社とアパートを行き来する日々が続いた。

実家を売り払って、両親を老人ホームに入れ、見送った。

金がたまったのでワンルームマンションを買った。

借金はないが、貯金もあまりない。

趣味はなく、質素な暮らしが身についている。

定年まであと十年、何事もなく生き続けていれば、退職金など合わせて老後も慎ましやかに生きていけると思われる。

朝は六枚切りのパンとコーヒー。

昼は社食のうどん。

夜はコンビニの弁当。

酒は飲まないし、タバコも吸わない。

朝八時に出勤し、夕方七時に家に帰る。

晩飯を食い、風呂に入って歯を磨き、動画サイトで子供の頃に見た番組を視聴してから就寝する。

休みの日は部屋の掃除をし、布団を干してゴミを片付け、たまっている新聞に目を通し、日用品の買い物に行く。

雨の日は布団を干さず、傘を差して買い物に出かける。

休みは火曜土曜だから、病院に行くこともある。

ただ繰り返されるだけの、盛りあがりのない毎日。


俺は、なぜこんな毎日を送ることになってしまったのだろう。

俺は、なぜ誰かと共に暮らす毎日を得ることができなかったのだろう。


……俺は、いつまでこんな毎日を過ごすことになるのだろう。


毎日、平穏無事な顔をしながら、心の中はどんどん追い込まれて行った。

毎日、日に日に増してゆく、どうしようもない焦燥感。

毎日、何も変わらず、淡々と過ぎて行く時間。


朝から雨模様の火曜、俺はいつもの様に動画を見ていた。

お笑いスペシャル、歌謡ショー、探検隊、君の知らない世界……、子供の頃見た番組だ。

夢中になって見た訳ではない、ただ流し見していたような、番組。

『タイムマシンは存在する!!』

ああ、見たことがあるシーンだな、そんなことをぼんやり思いながら、動画を視聴する。

あの頃は本ばかり読んでいたこともあって、こういったバカげた番組を蔑みながら見ていた。

タイムマシンがあるならば、なぜ未来から人がこないのだ、来ていない事こそが、人類は時を超えることができない証拠だと息巻いていたのだ。

頭の悪い理論を、実にテレビ向きに淡々と語る識者。

大人になってから改めてみると、この手の討論番組は実にエンタテインメント性を重視した、ただのバラエティ番組であるとよくわかる。

番組の視聴が終わる頃、おすすめ番組のサムネイルに、気になるものを見かけた。

『タイムリープのやり方~人生やり直したい人、必見~』

……この手の、ばかばかしい番組は、見たことがなかった。

だが、なぜか……時間を持て余していたこともあって、クリックをしてしまったのだ。


画面に流れてくるのは、実に胡散臭い、タイムリープの実践方法の、教授。

タイムリープとは、時間跳躍……、自分の意識だけが、過去や未来の自分自身の身体に乗り移る事らしい。

過去の、とある一瞬に意識を飛ばし、そこに今の自分を乗せ換えるとでもいえばいいのか。

戻りたい時間を決め、何度も何度もその場面を思い浮かべる。

過去の自分と同化し、頭の中の想像から現実の出来事へと意識をすり替える。

現実と過去の境が分からなくなったら、もう成功したようなもの。

過去の自分が、自分の意志で動き出したら、タイムリープは成功している、あとは人生をやり直すだけ。

コツは、リアルな感覚をなぞることらしい。

例えば、昔食べた給食の食感、におい、聞こえてきた声、感じた印象、そういったものを細かく思い出すことが重要なのだそうだ。

ただ漠然と、小学六年生に戻りたいとか、生まれたばかりの頃に戻りたいというのはできないらしい。


……思い出せる、瞬間。

いろいろと過去に意識を持って行こうと試みるのだが。

印象深い出来事がないからか、漠然としかイメージがわいてこない。

ざわついていた運動会の感じ、ごちゃついていた教室内の感じ。

流されるままに過ごしていたせいか、リアルな場面が浮かんでこない。

実家の味気ない感じ、両親の熱のない感じ。

淡々と受け入れていたせいか、リアルな場面が浮かんでこない。


それなりに事件はあった。

盲腸になって入院したし、中学校は火事で燃えてしまったし、実家にトラックが突っ込んだこともある。

だが、それはあくまでも起きた事象を目撃しただけであって、その瞬間を熟知していたわけではない。

ただ、なんとなく、入院したなあ、火事で燃えていたなあ、トラックが突っ込んで部屋がつぶれたなあ、そういう薄い記憶しか残っていない。


記憶が希薄な者には、タイムリープができないのだと、落胆する。

希薄な記憶しか残らないような人生だったからこそ、やり直したいと願うのに。

まざまざと思い出せるような強烈なインパクトのある出来事と出会うために、やり直したいと願うのに。

何度も何度もなぞれるような、強烈に印象に残る場面がない。

何度も何度も思い返したい、固執できるような印象に残る場面がない。


俺はこのつまらない人生を全うするしかないのだ、そう思って視線を下げた、その時。

『タイムリープできる神社に行ってきた』

別のおすすめ番組が目に留まった。

なんでも、タイムリープを経験した人が訪れた神社があるらしい。

番組を見てみると……神社は、ここからほど近い場所にあることが判明した。


……運命を感じた。

安っぽい運命だ、乾いた笑いが出た。

安っぽい運命しか浮かばないほど、己がからっからに干からびていることに愕然とした。

ふと窓に目をやると、雨が上がり、空に虹がかかっているのが見えた。


……運命を感じた。

安っぽい運命ではないのかもしれない、期待のようなものが、感じられた。

安っぽい運命を変えられるかもしれない、一抹の望みを、感じた。

俺は靴を履き、じめじめとした湿度の高い空気の漂う外界へと踏み出した。


午前中の小雨は、晴れ上がった空の下、そのあとを早々に消し去ってゆく。

日陰に残る、雨の名残。

日向に見える、雨の名残の揮発する揺らぎ。

じりじりと照り付ける、初夏の太陽の日差し。

じりじりと迫りくる、俺の運命を変える場所。

やけに車通りの多い細い道路を右に曲がると、神社の鳥居があった。

鳥居をくぐり、石畳の境内へと入り、しばしあたりを、散策する。

雨上がりだからか、蚊柱があちらこちらにできていて……、避けながら砂利を踏んだ。

蚊が一匹、耳元でぶんぶんと飛んでおり、非常に不愉快だ。

境内と言っても、澄んだ空気は感じられない。

どちらかと言えば、湿気のこもった、重苦しい空気が漂っている。

湿気のせいか、本殿に続く階段から独特のにおいが立ち込めている。

木の腐った、土と砂と雨の混じった泥臭いにおい。

「あっ!」

水分を含んだ階段の最下部で、足を滑らせてしまった。

右腕の肘付近を擦ってしまったらしい……血が、にじんでいる。

あわてて指で拭うと、土の匂いに混じって鉄の匂いがした。

なかなか止まらない血に、額から汗が噴き出した。

怪我をした方の手の甲でグイと拭うと、じゃりっとした不快な触感が額に残った。

……転んで手をついた際に、砂が付着していたようだ。

手をつき、立ち上がって、砂と土を払う。

……転んだのに、時間を越える事は、なかったな。

ハプニングは起きたものの、血を流しただけで、一秒だって時間をさかのぼることはできていない。


結局、何も変わらずか。


思わず、空を仰ぎ見た。


ポツンと、雨が、一粒……俺の鼻の頭に、落ちた。


火照った顔に雨の粒はずいぶん冷たくて、はっと……今の状況を顧みるきっかけとなった。


時間を、さかのぼることなど。

時間を、さかのぼったところで。

ここに来ても、意味はなかった。

ここに来ても、無駄に終わった。

ここに来たら、何かが変わると思ったのに。

ここに来たのに、何も変わらなかった。


ただ漠然と。

時を超えることなど、出来ないのだと、悟った。

タイムリープなど、ただの空想だと、思い知った。


何をすることもなく。

何を目指すわけでもなく。

何も感動のないままに。

ただただ、時が過ぎていった。


平凡な毎日を、平凡に過ごした。

平凡な毎日の合間に、多少の出来事はあったが、己の生き方を変えるようなインパクトを得ることはなかった。

このまま、平凡に、人生を終えるのだな。

そんなことを、思いながら、平凡な毎日を、送り続けた。


俺は、いつもの様に、平凡な毎日を送るために、ベッドから起き上がろうとした。

……。

体が、動かない。

……。

いよいよ、自分にも、こういう瞬間がやってきたのか。

……。

手も、足も、頭も、瞼も、何一つ、動かせない。

……。

頭が、痛いような気もするが、よくわからない。

……。

おそらく、今、この瞬間、俺の体の中で、命の存続にかかわる、重大な損傷が起こっているのだ。

……。

だが、俺には、どうすることも、出来ない。

……。

俺は、一人暮らしの、孤独な人間なのだ。

……。

孤独死とは、こういう事なのか。

……。

誰も、助けに来ない。

……。

孤独な俺は、自ら動かねば、自分以外の誰かに遭遇することはできないのだ。

……。

会社に所属していれば、誰かが不審に思って尋ねてくることもあっただろう。

……だが。

俺が定年で会社を退職したのは、二週間前。

誰も訪ねてくるはずがない。

公共料金は自動振り込みだ。

退職金が入っているから、しばらく自動で引き落とされるに違いない。

俺の部屋は、マンションの一階だ。

気密性の高いマンションであることを気に入って購入したから、二階や外に俺の痕跡が漏れ出すことはないと思われる。

ドアの鍵は厳重に閉めてあるし、窓も全て閉めてある。

郵便物はほとんど届かないし、新聞はもう取っていない。

スマホは充電中で、手のとどかない位置にある。

そもそも、指一本動かすことができない。


何もできないので、ただぼんやりと、昔を思い出す。


子供の頃、淡々と生きてきたことを思い出す。

青年の頃、淡々と生きてきたことを思い出す。

中年の頃、淡々と生きてきたことを思い出す。

壮年の頃、淡々と生きてきたことを思い出す。


老年に入ろうという今、淡々と生きていくつもりだったのだが。

ぼんやりと昔の事を思い出しながら、意識が遠のいていく。


頭に浮かぶのは、ああ、タイムリープを試みた、あの日のことだ。

タイムリープをしようと躍起になっていた、あの日。

タイムリープをしたというネットの書き込みを見て、足を運んだ神社。

タイムリープをしようと、乗り込んだところで足を滑らせ転んだ、神社の階段。

蚊柱がまとわりついて耳に不愉快な音が響いた、おぞましさ。

特に神聖な気配を感じなかった、湿気のある空気。

階段の砂と土と腐った木と雨水の匂い。

自分の腕からにじみ出た血の匂い。

汗を拭った、手の甲と額のざらつき。

手をついて立ち上がった瞬間の、心のざわつき。

降り始めた雨の冷たさに驚いた瞬間。

時間をさかのぼることができるはずがないという、諦めの気持ち。

無駄なことをしたという、怒りとむなしさの入り混じった感情。


あの日のことが、ありありと思い出せる。


あの日、俺は、何を思ったのか。

あの日、俺は過去を変えたいと思って、わざわざ乗り込んでいって。

あの日、俺は、何一つ変えることができずに、血を垂らして家に帰ったんだ。


ああ、あの時、過去に帰ることができていたならば。

ああ、あの時、過去に帰って、人生をやり直していたならば。

俺は、こんな最期を迎える事には、ならなかったはず。

誰かに看取られて、心穏やかにこの世に別れを告げることができたはず。


あの日、あの時、あの瞬間。

纏わりついた、蚊の大群。

何度拭っても垂れてきた、血。

何度拭っても、じゃりついた額の汗。


雨上がりの湿った空気の中で、不愉快な気持ちがどんどん押し寄せて。


なんで俺ばかり。

なんで俺は。

なんで俺は、こんな所に。

なんで、俺は、こんな所で。


……くそっ、気分が悪い。

こんなところ、来るんじゃなかった。

おかしな妄想に取り憑かれて、俺は狂っちまったんだな。

もう、おかしな番組を見るのはやめて、ごく普通に生きよう。

人間、おかしなことを考えて突拍子もない人生を送るのが間違ってるんだ。

波風を立てずに、穏やかに人生を終えたら、それでいいじゃないか。

一発逆転を狙うなんて馬鹿げている、地道にまじめにコツコツと生きていくべきだ。


ぽたりぽたりと垂れる血を、拭う事もせず。


俺は、降り始めた冷たい雨に打たれながら、家路を急いだ。


…どうせ魂に刻み込むのなら、楽しい記憶の方が良いですよね。
今ハマりすぎてて、たぶん私が臨終のときに思い出すこと間違いなしのお品はこれ。


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