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【たから語り】笑顔を咲かせる方程式:猪篠ファーム 藤原嘉朗さん

美味しいお米と美しい景色「猪篠」

草木が青々と生い茂り、小川のせせらぎが心地よい田んぼが並ぶ地区、猪篠。そんな猪篠で米作りをしている藤原嘉朗さんは1953年 兵庫県神崎郡神河町の猪篠地区生まれ。高校(18歳)までを猪篠で過ごし、その後技術者として40年近く神奈川県で働き、定年を機に猪篠へ帰郷。先代から米作りを引き継いだ。

岡崎ゼミ2回生チームKRASSSHは2024年5月11日、藤原さんにお話を伺った。

造り手から作り手へ

藤原さんは技術者としてPCや携帯電話・スマートフォンの小部品などの部品開発をしていた。量産のための工場の立ち上げから顧客担当までの一連の流れを担当していたという。

技術者と農家。似ても似つかないこの二つの職業だがなぜ藤原さんは猪篠で農家として米作りをするようになったのか。そこには藤原さんの猪篠と猪篠のお米に対する想いがあった。

———米作りを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

「(地元)を離れて40年もいましたから、それなりに恩返しというほどではないんですけれども何かしなくちゃなというのと、ここのお米が美味しいと言ってもらえて、そういう美味しいお米をやっぱりやっぱり残さなくちゃいけないと思った」

———技術者時代に身に着けたことで農業に繋がっていることは何かあるのでしょうか?

「米作りに直接繋がっていることは全くないですね、残念ながら。ただ強いて言えば、今までの米作りってのは各農家さんが自分の土地を耕す、まあ言えば個人の家がやっていたんですけども皆さんお年寄りで引退されるとなって誰かが組織的にたくさんの田んぼを管理するようなことが必要になってきます。そうすると少人数で管理するための生産管理をする仕事が必要になる。そういうところで技術者の頃のことが少しは役に立っています」

粒粒辛苦

———猪篠のお米が格段美味しく育つのはなぜでしょうか?

「猪篠のお米が美味しい理由は2つあります。まず上流のほうには人家がないんです。ぽつんと一軒家すらないんです。そんなもんで生活排水が全く流れてこないんで水が綺麗。それから山にはいろんな木が植わっているのですが、それらの木の落ち葉が腐ったミネラル分も川に含まれていてそれで田を潤しています。そういう水が綺麗でちょっと冷たいのが1つ。もう1つは寒暖差が激しいということです。昨年の夏も神戸なんかでは夜エアコンつけっぱなしだったかと思います。ここ猪篠では夜寝るときにはエアコンを切ります。なおかつ毛布や夏掛けを1枚被ります。でなければ朝が冷えて寒いので。ですが日中は他と変わらず暑いのです。ですから寒暖差がすごく大きいのと水が綺麗でミネラル分が含まれている。これはお米に限らず野菜でもなんでもおいしいものが採れます。猪篠はそういう地域になっています。」

———藤原さんが言われる「農業はサイエンス」とはどういった意味なのでしょうか?

「私は工業製品を作っていましたけれども、工業製品というのは環境を整えるのがものすごく楽なんです。例えば半導体なんかはクリーンルームさえ作ってしまえば温度も湿度もクリーン度も全部管理できます。ところが農業っていうのは天候次第で当然肥料のやり方だったりとか、いつ田植えしようかなど全部変わってしまいます。何年か何十年か先にとんでもないスーパーコンピュータが出来て3か月先の気象が全部わかるようになれば農業も楽なのですよ。ですからパラメータが多いからこそサイエンスだと思っています。たぶん〈月にロケットを飛ばすよりも田んぼに稲を作るほうが考えなくちゃいけないパラメータが多い〉のじゃないかと思う。本当にパラメータが多いから周りの環境にいっぱい影響されますからね。でもこれも農業の面白さではあります。」

米作りを行う中で数多くの厳しい面があるが、そこも面白さだと捉えて藤原さんが心から米作りを楽しんでいるのが伝わってきた。また米作りにおいていかに考えることが多いのかを、エンジニアとしての経歴を持つ藤原さんらしい例えで伝えてくださった。

未来につなぐ想い、農業のカッコよさ

———今後、若者は農業に対してどう関わっていくべきだと思いますか?

「わからんなぁ(笑)。まあねぇ、この人手不足の流れは止められないので。今働き方改革でどんどん働いてはいけません、残業はいけませんというようなことを言われていますけれども、それを少し変えてもらって、普通の会社員の人でもセカンドワークみたいのものをもっと出来るような環境にして欲しい。マスコミにも言いたいんだけど…昔はトレンディドラマが流行っていた。田舎から都会に出た若者が恋愛するというような話なんですけれど、そのドラマなどから〈田舎の田んぼで泥にまみれて作物を作るのは非常にかっこいい〉というような風潮をマスコミにも作ってもらえるようにしたい」

———今の若者に伝えたいことはありますか?

「やっぱり農業をやって欲しいね。今から何年先のことになるかは分かりませんけども自分の飯を自分で稼がなければならない時代になるかもしれません。私が現役の頃はお金さえ出せば食べ物は買って来られたけれど、これが何年続くかは分からない。だから自分の食料は自分で作りなさいよとそういうことを言いたい」

たからもの≪昔も今も未来も≫

———藤原さんにとっての「たからもの」は何ですか?

「やっぱり〈人〉ですかね。私は40年猪篠から離れて帰ってきましたけれども、それでもやっぱり昔の同級生なんかがサークルみたいなのを作って迎えてくれたり一緒にゴルフをしたり....そういう意味では『人間関係』がたからものです」

———猪篠の「たからもの」は何かありますか?

「美味しいお米とこの美しい景色、それと紫陽花です。6月頃になると田んぼの畔に紫陽花がいっぱい咲くんです。その景色も〈たからもの〉かと思います」

猪篠での取材と撮影

取材を終えて

今回の取材で、私たちは藤原さんがどのような想いで米作りをしているのか、米作りを含めた農業のこれからについてのお話を聞くことができた。特に印象に残った言葉は「田舎の田んぼで泥にまみれて作物を作るのは非常にかっこいい」という言葉だ。思い返してみれば、藤原さんが指摘されたように、若者を描くテレビドラマに農家に焦点を当てた物語はとても少ないように感じた。農家という仕事については、私たちは知識として知ってはいるけれども、そこにある想いに触れる機会はほとんどない。けれども、今回私たちは藤原さんの想いに直接触れて、そこには実際に食べている消費者の「美味しい」という声や笑顔を咲かせる頑張りがあることを知った。そして、何よりも心から米作りを楽しんでいる藤原さんの「かっこいい姿」に魅せられた。藤原さんの想いはどんな植物よりも強く根を張っていた。

都会の喧騒やインターネット、最新鋭の電子機器の世界から離れて土や作物に触れたくなった。
                              記事担当:KRASSSH 國光穂華・津守翔希

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