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顔の情報と、錯覚としての塗り

某巨人一歩手前の描き込みまくった線画をアップ中のたからにゃです、おはようございます。

なんで、こんなに描き込みまくっているかというと、とりあえず、顔の情報を自分にインプットするためです。

普段人の顔、というのはたくさん見ているはずですが、いざ描こうとすると、目、鼻、口、耳が存在することくらいしか、わかりませんでした。

まあ、そんなもんです。

脳というのは、必要ない情報は要領よくカットして、必要な情報を取捨選択することに優れています。

だから、日々、見ているけれど、わたしは人の顔がどういう面で構成されているのか、よくわかりませんでした。

ということで、人間の外観情報を知るために、日々デッサンしています。

いったんは、身体のデッサンも始めたのですが、また、顔のデッサンに戻っています。

身体のデッサンをすることで、おそらく、キャパシティが広がり、目が多少なりとも養われました。

そうすると、顔を描くのに、わたしは全然顔のことを知らないと思ったのです。

顔がいったいどのような面で構成されているのか、知らなければ描けないと思いました。

まあ、別に知らなくても、描こうとすれば描けるのかもしれないですが、それでは実在感が減る気がします。

ということで、知らないなら、観察して描けばいいじゃない、ということで、顔の構造をインプットするためのデッサンをして出力、デッサンをして出力を繰り返しています。

それを、デジタルのGペンで描いて出力していたら、描き込みすぎになっちゃいました……。

インプットには、必要なことでしたが、作品としては、若干ホラー感が漂いますね……。

ということで、今度はその知識を元に、デジタルの油彩平筆をメインに塗り塗りしてみたのが、昨日アップした絵です。

これ ▶ https://note.mu/takaranya/n/nb04f1074134a

で、塗ってみて思いましたが、今度は、表現としての塗りの塗り方を体得する必要があると思いました。

絵というのは、三次元を二次元として表現したものです。

二次元にある絵があたかも三次元として存在しているかのように描かれているそこでは、脳内の錯覚が起こっているのではないかと思いました。

色を置くことで、影となったり、光となったり、面となったり、それらは全て、目の錯覚。

美しい脳内の錯覚です。

で、あるならば、どのように色を置けば、現実が実在しているかのように、美しい錯覚が描けるのかということを知るために、今度は、過去の絵画の模写をしてみようと思いました。

幸い、最近は、過去の絵画がどのように描かれたか、というような本も出版されています。

フェルメールが題材として取り上げられているものもあったので、それを参考にデジタルでちょっと描いてみることにします。

最大の課題は、目ん玉をどうやったら立体的に描くことができるかです。

今のわたしの絵は、陰影については、多少なりとも理解してそれを絵に反映しようとしているけれど、立体感が伴っていない気がします。実在するための何かが足りない。

作品として完成していれば、それはそれで良いのだと思います。

が、自分自身が立体感を超えた実在を感じさせる絵を描きたいという思いが強いので、そこをさらに深堀してみようと思います。

描けば描くほどに、次の課題が見えてきます。

それらは、この世界の成り立ちや実在や美しさをわたしに感じさせてくれます。

絵を描くって、楽しいですね。

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