あの日あの時noteにいた僕らはかけがえのないモノを得た

noteブームは多分去ったと思う。

ブームが去ったことで、やっと僕はあの時起こっていたことを、少しは冷静に見つめることができるような気がし始めたので、今こうして文章に書き残しておこうとしている。

ちなみに、この文章が「僕」という一人称なのは、僕の中に存在する、未だ公表されていない「僕」という人格をインストールして書いているから。

僕は、この文章が「僕」によって書かれなければならない気がする。ただそれだけの話。


一ヶ月前のnoteには熱狂的なエネルギーがぐるぐると渦巻いていた。

たまたま、友だちがやっていたので、おもしろそうだとnoteを始めた僕も、我知らずそのエネルギーに巻き込まれていった。

僕の乗った舟はそのエネルギーにぐるぐると引き寄せられ、めちゃくちゃに翻弄されて、僕は生きた心地がしなかった。

ただひたすらに、嵐が過ぎ去るのを祈るしかなかった。

とは言っても、僕は、そのエネルギーの端っこに、ちょこんと足をつっこんでいただけだったんだけど。

端っこに足を突っ込んでいただけで、これだけ翻弄されていたのだから、エネルギーの中心付近にいた人達は、さぞかし、ものすごいエネルギーにさらされていたんじゃないかと僕は想像する。

でも、もしかすると、台風の目のように、そこだけ無風で、何かぽっかりと青空が見えていたようなことはあるのかもしれない。

僕はそこに行かない選択をしたから、もうわからないけど。


多分それは、小さくはあったかもしれないけれど、歴史の中に起こる特異点のようなものだったんじゃないだろうか。

体験しようと思って、体験できるものじゃない。

あの日、あのとき、あの場所にいなければ、体験できなかったもの。

どんな体験でも、あの日、あのとき、あの場所にいなければ体験できないかもしれないけれど、自分で起こそうと思って起こせるものではないもの。

僕はたまたまなのか、必然なのか、そこに巻き込まれてしまった。

そして、変わってしまった。


ブームが下火になってnoteに参加した人や、そもそもnoteに参加していない人には、なんのことかわからないと思う。

ただのたわ言に聞こえるかもしれない。

それでいいと思う。

これは、あの日、あの時、noteにいて、エネルギーを感じた人じゃないとわからないことだから。


僕は多分あのエネルギーの渦に何かを与え、何かを受け取った。

そのエネルギーはいつの間にか消え去ってしまったけど、僕の中には、そのエネルギーが残したタネが植えられた。

それがどういう風に芽吹いて成長するのか、僕にはまだわからない。

禍々しい怪物になるのか、綺麗な美しい花が咲くのか。

僕の中でそのタネはまだ眠っていて、密かに息をしている。

いつか花開く日を夢見ながら。



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