「うかうかと半世紀生きてしまったものの…」エッセイ#3「慣れない釣りにて、静かに困る」
7月末、長野県白馬村にキャンプに来た時のこと。
中3で受験生の娘が白馬高校の見学に行くことになり、ついでに家族で白馬村にキャンプに来た時のことだった。
白馬高校の見学を終え、夜のバーベキュー前にキャンプ場近くの川へ釣りへ行くことになった。
「一匹でも二匹でも今日の晩御飯になるといいね」
などと言いながら、河原へ向かう。
旦那さんが、何かの幼虫を釣り針につけて、子供らに釣竿を渡す。私も自分で釣り針に餌をつけてみようかな…などと思っていたら、
「友香はこれを使ってみなよ」
と、竿を渡された。幼虫や餌などはつけていないが、釣り糸に5つ程、羽のようなものがついていた。それは毛バリというものを付けた竿だった。
毛バリのついた竿と、幼虫を針にとりつけた竿とどちらの方がよいのかもわからなかったが、ちょっと釣りっぽいことができれば…程度の気持ちだったので、それを受け取って、釣りを始めた。
最初はその場でやっていたが、子供らがどんどん川下の方へ移動していたので、私もよさそうな場所を探して移動することに。
河原の石の上や浅い川の中の歩ける所を歩いて行くうちに、岩から岩へ飛び移り、大きな岩場へよじ登った。大きな岩がいくつかあり、そのうちの一つに腰を据えて糸を垂らしては、ちょっとずつ動かして、しばらくしてはまた、糸を垂らし直して…を繰り返すこと十数分。全然魚がひっかかる兆候はなかったが、糸を投げ入れる仕草に慣れて来て、ちょっとした釣り人気分を味わっていた。
ふと、釣り糸の先の毛バリ部分を見ると、なんだか最初と違う。なんだろうと引き上げてみたら、毛ばりの部分がいつの間にかぐちゃぐちゃに絡み合っていて、知恵の輪のようになっていた。
これは釣りどころではない、一旦解かねば…と、黙々と糸をほぐし始めるが、一向に絡みが解消されない。これは困ったことになった。もう釣りを忘れて、釣り糸の知恵の輪ほどきに没頭。
だが、事態はどんどん悪化していった。糸は解けないうえに、毛バリの針が、私の日焼け対策のためにつけていたアームカバーに引っかかってしまったのだ。抜こうとするが、毛ばりには小さな返しがついていて、抜こうとするほどに、しっかり布地に食い込んでいく。返しの方向に布を向けたりして緩めようとするがうまくいかない。
「抜けない!抜けない!」
と、焦りながらも黙々と愚直に抜き差しを繰り返す。効果の見えない作業が嫌になり、
「やっぱり、こんがらがった部分を先にほぐしてみよう」
と、毛ばりがアームカバーに絡んだまま、その先の知恵の輪状態の糸のからまりをこっちかな?あっちかな?とほぐしていく。
しかしやはりにっちもさっちもいかず、
「毛ばりがくっついたままじゃ、ほどけないよな。やっぱり毛ばりを先に抜こう」
と、毛ばりを抜く作業に戻るが、やはり抜けない。
そのまましばらく、毛ばりを抜く作業と釣り糸のこんがらがりを解く作業を交互に繰り返し、発狂しそうになる。
子供らは先の方で釣りに夢中。助けて貰おうとは思わないが、困った事態を誰かに理解して欲しいと、川上の方にいる旦那さんを見るが、旦那さんも大分離れたところで、釣りをしている。川の音もあって、呼んでも全く聞こえなさそうだ。
人に話したところでどうにもならない。
始めに竿を貰った地点には、ハサミや新しい糸などもあるだろう。戻ろうか?
しかし、毛ばりがアームカバーに刺さったままの竿を持ち歩いて、岩場を降りたり、岩から岩へ飛び移るのも難しそうだ。
どうやったらこの状況から抜けさせるのか考える。
① 聞こえないだろうが、叫んで声をあげて、こちらに来てもらう。
② 毛ばりが抜けないので、毛ばりの手前の糸を嚙みちぎる。
③ 毛ばりをアームカバーにひっつけたまんま、なんとか岩場を降りて、ハサミや新しい釣り糸のある場所へ戻る。
どれも無理だ。①は、大声で呼びつけるまでの気力が湧かない。②は、以前何かを噛みちぎって歯が割れたことがあり、治療をしたが再度別のものを噛みちぎったらその部分がまた割れてしまった。以来二度と、固いものや糸などを噛みちぎるのは辞めたのだった。③も、そこまで危ない思いをしながら、戻る気力が湧かない。
どうして、こんなに皆と離れた場所でこんな状況に陥ってしまったのだろう。もう少し近くにいたら、大騒ぎしなくてもこの状況を伝えられたのに。
結局、延々と毛ばりを抜こうとする作業と、糸をほどく作業を繰り返す。毛ばりの返しというのは凄い効果があるものだ。これではつられた魚も逃げられないわけだ。逃げようとすればするほど、深く刺さってしまう。力業でアームカバーの布地を引きちぎる勢いで引っ張るのに、まったく抜けないのだ。ハサミがあれば…ハサミがあるところまで行こうか? いや、ここまで来るのもかなり大変だったのに、毛ばりがアームカバーについて、抜けない状態の竿を持って、岩場を降りるのは、更に難易度が高い。子供らに声を…いや、こんな川音が激しかったら聞こえるわけがない…思考はどうどうめぐり。今はやれることを淡々とやるだけだ。
凄く困っているのだが、糸をほどく行為も、毛ばりを抜こうとする行為も地味なので、誰も私がピンチに陥ってるとは気づかない。
川のせせらぎをききながら、いつしか焦りも忘れ、無心になって行く。
この状況はまるで私の人生のように思えて来た。
今の自分にはちょっと無理…というか、どれも面倒ということをしなければ、困った状況から抜けられず、手ぬるいけれどやれることを、何もしないよりはマシ…と、だらだら続けている。私の人生は、ここの所ずっとこんな感じなのだ。
そんなことに思い至ると、なぜか妙に心が落ち着いて来た。何かの修行のように、淡々と、やれる作業を続けていると、ふと、この毛ばりの針金を伸ばしてみたくなった。
丸い引っかかりがあるから、抜けづらいが試しにまっすぐにしたら、もう少し抜きやすくなるのではないだろうか?
そう思いついて、爪で押さえながら釣り針の丸みを伸ばす作業をしていたら、いきなり、釣り針が糸からスポっと外れたのだった。
釣り針はアームカバーに引っかかったままだったが、体が釣り竿と分離できて、大分気が楽になった。その後、糸の絡みもなんとか解けた。
めだたく再度釣りができるようになったのだが、最早、私には釣りを続けたいという気力が残っていなかった。
とりあえず、旦那さんがいる方へ戻ることにする。伸縮する釣り竿を縮めることにして、手元の方から順番に奥へ収納していく。だが、先端を入れた時、一瞬で糸が消えてしまった。
あれ? 釣り竿の中に糸を引き入れてしまったのだろうか?
再度先端部分を引っ張り出してみても、何も出てこない。 糸と残った毛ばりは釣り竿の中に残ってしまったのだろうか?
困惑しながらも、岩場を降りて行き、旦那さんのいる川上の方へ慎重に移動。
旦那さんに事の次第を説明し、釣り竿を見てもらう。
「糸も毛ばりもないね。切れて、川に流れたんじゃない?」
そんなバカな…。
あの後、私は釣りをしていないし、竿を短縮する前までは先端に釣り糸はついていたのだ。
先端が入り込んだの一瞬で糸がちぎれたのだろうか?
ちぎれた糸が川に落ちたとして、私がそれに気づかないとかありえるのだろうか?
わからない。
あれほど、絡みついて私を苦しめた釣り糸は一瞬でどこかに消えてしまった。
「どうする? まだ、釣りやる?」
と聞かれたが、もう続ける気持ちは起きなかった。
結局、旦那さんも子供らも一匹も釣れなかった。
キャンプに来て、一応釣りもやったよ…というアリバイ作り程度の体験だったが、次に釣りをする時には、もう少し要領もよくなっているはずだ。
テントまで戻ってから、アームカバーについた毛ばりの部分をハサミで切り取った。アームカバーには穴が空いた。
とりあえず、今後釣りをすることがあったら、アームカバーをするのは辞めよう。
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