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心の不調の処方箋は「言葉に煽られない」場所に身を置くこと

体調の不調のシグナルは比較的感じやすいものですが、心の不調のシグナルはなかなか気付かなかったりするのが難点です(最近は体調の気づきもあやしいですが)。

僕自身のことで言えば、ひとつハッキリとわかる心の不調のシグナルというのがあって、それは、過度に称賛したり反対に何かを批判したくなった何かについて、SNSでシェアしたくなっている時(もしくはシェアしてしまっている時)です。

何か、というのは具体的には、自身の仕事の領域に近いこと(もしくは領域そのもの)についての事例やニュースに対する個人の発話が主だったものです。ひとつの事例やニュースを取り上げて、過度に称賛(批判)している人たちを眺めては、同じようなことを考えていた、と気付いた時に、自身も過剰に反応してSNSで発言してしまう、ということです。

この発言の危うさは、何かを称賛(批判)し、それをSNSで発信することで知らず知らずのうちに自身のポジションを誇示していることになっている(いた)ことです。それだけではなく、その発話にエンゲージメントが多くつけば、そこに酔って気持ちよくなってしまっているという症状も併発してしまいます。

その気持ち良さの源泉は、大抵はその称賛(もしくは批判)しているトライブの一員であるという安心と高揚によるもので、要は所属欲が束の間満たされている状態なのだと思います。自身の発話(考え)がオリジナルのものだと錯覚もしている状況なので、そこにエンゲージメントがつくと承認欲求もくすぐられることになります。

この欲の発露の根底にあるのは、自分の仕事や人間関係がうまくいっていないことに対する不満や、特定の誰か(もしくは何か)に対する悪意があったりします。厄介なのは、本人は「真っ当」で「正しい」と思い込んでしまえることで(なぜなら同じようなことを考えている人がいるし、エンゲージメントもつくしフォロワーも増える)、一旦その気持ち良さにはまるとなかなか抜け出せないというループに陥ってしまうことです。

最近はほとんどそういうことは無くなりましたが、以前はよくありました。やはり仕事がうまくいっていなかったり、もっとやれると思っているのに、障壁(それも無駄な障壁)があって突破できない、と苛立っていた時だったように思います。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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