粘土層について考える

社内起業という稼業?を継続して、この秋が来れば3年目に入る。9月には、大きな節目を迎える運びになった。振り返りというほどではないが、活動での既存層との出会いについて振り返る。

この情報化社会。同様に社内でムーブメントをつくった人たちの経験知がネット上に積み重なっており、ちょっとしたケーススタディであれば、これら先駆者の声から拾い上げることができます。あとは、社内文化と照らし合わせたうえで、どういった反応となるか、という予測も、平成のころの気象予報程度には予測できるようにはなってきていると思います。

そういった意味で、先駆者の作った言葉で言えば「既存事業詣で」と呼ばれる類の社内でのプレゼンも経験したし、取締役への直アポもさほど抵抗感なくできるようになってきた昨今、少しづつ、己の中にも経験知が蓄積されてきたと感じる。

さて、同様に「粘土層」という言葉がある。(社内起業もその一つと思うが)組織内改革の抵抗勢力となる主にミドル層を指す言葉のようです。既存事業という強固な岩盤から、ボーリング(上総掘りかも)で、水脈を見つける類のことをしていると、「粘土層にあたったかな」という経験もときたまあり。

ただ、私が思うに、所謂粘土層とされる人も、過去の自分の置かれた組織内での活動に基づいた経験知に従い、その経験に基づいてアドバイスをしている層と認識する場面が(幸いにも)多いです。ですので、抵抗?にあった際も、少なくとも、こちらの内容を理解・分析したうえで、類似の過去事例に当てはめてリジェクトしているだけ、と考えると、少なくとも感情的にならずに対処できる余裕が生まれてきます。ありていに言えば、「教師データ」が違う層とも定義できます。

折しも、VUCAの時代が叫ばれて久しい昨今、長らく続いた左脳の時代も終わり、ロジカルであるだけで成功するとは限らない、そんな中で、感情的ならず、彼らの声に対しての洞察を行えば、社内の岩盤を打ち抜くヒントが隠されている、そういう風に考えるようになりました。

東西南北に赴き、決してとは言わないが、瞋(オコ)らず、そういうものを志向したいと、考えます。

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