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ふと自分の在り方を考える瞬間

何も考えず、毎日をなんとなく過ごしているけど、ふと自分の在り方について考える時がくる。

その時、「このままでいいのか」「どうしたら正解なのか」って一瞬考えるけど、答えが出ないからまた忘れる。

それで、毎日なんとなーく過ごしていると、また同じように自分の在り方について考える。

人は大事なことほど答えを出すのが難しいから、時々ちゃんと考えなきゃって思い出すけど、さんざん考えて答えが出ていないくらいそれは難しいから、考えるのを後回しにして、っていうループをしていき歳だけとってしまう。

なんだってそう。大切なことは、その時にならないと気付かない。気づけないって方があってるかも。

30代で「俺はこの会社で働いていていいのかな」って自分のキャリアを見直すように、何か年齢や瞬間が必要で、大切な人と喧嘩をしたり、別れたりした時に、何気ない幸せのありがたみがわかる。

なんか、ありがたみがわかっても、その過ごしている瞬間は幸せだから気付かないんだけどね。気付かない幸せの渦にのまれてる時が一番だよ。

いつもこういう言葉で片付けちゃうけど、昔の自分はむちゃくちゃお金なくて、昼ごはんも買うのがやっとの時に、飯が食えただけで幸せ。

その幸せの質量は高くて、だんだんと仕事が安定してきて、食べるものや住むところもそこまで困らなくなると、その幸せの質量は薄まる。

もちろん違うとこで幸せがあったりするから、どっちが幸せとかはないんだけど、なんていうか、こうなったらもっと幸せになるのにとか、意外と錯覚なんだなって思う。

夢中に過ごせてることが幸せで、生きる意味なんて考える暇もないくらい夢中になっている状態で死ねたら、それはそれで幸せの渦にのまれているのだろう。

その渦に入る為には、少しずついろんなことを試して、自分のあり方なんて考えなくなった時なんだろうな。

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