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『プラグマティズム古典集成』(植木豊編訳)を読んで(13)道徳哲学者と道徳的生活(ジェイムズ)

第13章は、イェール大学での講演記録で、前章と同様に『信ずる意志』に所収されています。前章が宗教領域における真理問題を扱っていたのに対して、第13章は倫理領域における真理問題を扱っています。

大変ありがたいことに、ジェイムズは本論文の目的を冒頭で端的に述べています。この章はけっこうごちゃごちゃした内容なので、目的がパシッと最初に書かれているのはせめてもの救いです。

この論文の主たる目的として示そうとしているのは、どんなことでも、そん正しさを判断しうる倫理哲学を、事柄に先立って作り上げることなど、不可能であるということである。(393頁)

真理なるものが事柄より先に存在するのではなく、事柄によって真理は形成されるものであり、その事柄をなす行為に重きを置くというプラグマティズムの考え方に則って論を進めるということを予告しているわけですね。

倫理領域に関して、(1)心理学的問い、(2)形而上学的問い、(3)決議論定的問い、の三つの問いを想定してジェイムズは主張を繰り広げています。要諦と思われる箇所を抜粋し、理解したポイントをまとめてみます。

(1)心理学的問い

単に経験の連結を繰り返すだけではない諸関係が、我々の思考の中に、存在するということであった。我々が持つ様々な理想には確かに数多くの源がある。これらの理想は、肉体的快楽享受と苦痛回避を意味するものと考えたところで、すべて、説明できるわけではない。(397〜398頁)

ここでは私たちの理想(すなわち善)がある単一の事象と紐づいて快・不快として決まるのではないことが述べられています。その結果として、複雑な関係性の中で理想は形成されるということをジェイムズは主張するのです。

(2)形而上学的問い

「善」「悪」「義務」という言葉(中略)は、個人によって支えられているのであって、これを離れて、絶対的性質というような意味はまったくない。(406頁)

形而上学的問いでは、個人の具体的な行為や事柄に則して善悪は判断されるということが確認されています。その上で、絶対的な真理というものが客観的に存在するということが否定しているのです。

(3)決議論定的問い

要求されるものはすべて、要求されているという事実によって、善である。(中略)最善の全体に寄与する行為こそ、最小限の不満しか引き起こさないという意味で、最善の行為であるにちがいない。それゆえ、決議論の尺度からすれば、最小限の犠牲でもって優位を得る理想こそが、あるいは、その実現によって、他の理想の犠牲を最小限にとどめる理想こそが、最高であると称されるにちがいない。(413〜414頁)

善の本質は要求されていることを満たすことにあり、こうした要求は内的な、つまり心の要求であるとジェイムズは述べています。要求を満たすためには行為が必要であり、真理は行為によって形成されるというプラグマティズムの考え方につながります。ジェイムズはこれを言いたいのでしょう。


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