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質的研究の新しい教科書:『定本 M-GTA』(木下康仁著)を読んで。

そろそろ論文に向き合わないとなぁというタイミングで、少し前に出版された本書に出会えたのは幸運でした。

質的研究の代表的な一つの手法であるグラウンデッド・セオリーにはいくつかの「流派」があります。その源流はグレイザー+ストラウスによる『データ対話型理論の発見』であり、先日のnoteで述べたのでここでは深入りしません。

グラウンデッド・セオリーの中で、私が読む領域の論文で、現時点で最も目にするのはM-GTA(修正版グラウンデッド・セオリー)です。今回取り上げる『定本 M-GTA』の何がすごいかと言えば、M-GTAを提唱した木下先生自身の手になるところです。

言わば、木下先生における総括的・統合的なM-GTAの解説本であり、この一冊でM-GTAは十分に学べる内容となっていました。これまで木下先生の本を二冊買って読んでいたのにもったいないなという気持ちがゼロではありませんが(笑)、M-GTAのみならず他の流派のグラウンデッド・セオリーを学ぶためにも欠かせない必読書と言えそうです。

基本的には、「質的研究をされるなら座右の書としてください、以上!」というメッセージに尽きるのですが、触りとしてどこがすごいかの印象を記します。

M-GTAの考え方の根本

第一にすごいのは、研究手法としてのM-GTAの位置付けを整理されている点です。

方法が内容を担保するのではなく、内容を内容として評価するという考え方である。自然科学的科学観に立脚する数量的研究では方法が内容を担保するので、そのために客観的分析が求められるのとは対照的に、質的研究では内容の評価とその内容を導いた独自の方法、そして、両者の関係が重視されるのである。M-GTAは研究者の主題化、すなわち【研究する人間】を中心に据えることでこの関係のバランスをとる。(71-72頁)

自然科学における研究手法は、方法論が厳格であり、方法論によって内容の正当性を担保するという考え方にあります。つまり、適切な方法に則っていれば、誰が行っても同じ結果内容が出る、という考え方です。

もちろんこうした考え方が適用される領域は多いでしょう。しかし、適用しない領域に対して無理に数量的研究を援用しようとしたことに、元々はグレイザー・ストラウスは疑義を呈して、現実に根ざしたデータから理論を立ち上げるというグラウンデッド・セオリーを主張したのです。

しかしながらその手法論への言及が弱かったために現在はさまざまな「流派」が自身の正当性を主張し合うという状況にあります。木下先生がM-GTAで提示しているのは、【研究する人間】という言葉を用いて研究を行う主体が社会に対して開いた状態であることです。

【研究する人間】は、研究を社会的活動と規定し、その中心に研究者をおくための考え方であり、研究者を社会的存在とし、抽象化しないための視点である。(59頁)

実践を重んじ、発展的な研究に従事したいと思う人にとって、M-GTAというアプローチは一見の価値があるのではないでしょうか。詳しく学習されたい方はぜひ本書を手に取ってみてください。

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