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『プラグマティズム古典集成』(植木豊編訳)を読んで(14)真理の意味(ジェイムズ)

1907年にジェイムズが『プラグマティズム』を出版した後に、プラグマティズムは多くの批判を浴びたようです。それに対して、批判に対する反論として1909年に『真理の意味ープラグマティズム続編』をジェイムズは刊行し、その中の一部の章がこの第14章では取り上げられています。

批判に対する批判なので読んでいて気持ちの良い感じはしないのですが、根本的経験論というジェイムズの重要な論点がここで提示されています。以下では、その点に絞って読み解きます。

プラグマティスト vs. 反プラグマティスト

まず、デューイやジェイムズといったプラグマティストと、それに対する反論を行う反プラグマティスととの主張点の違いはどこにあったのでしょうか。ジェイムズによれば、真理に対する捉え方に違いがあるとして、以下のように対比的に論じています。

プラグマティスとの場合、真理について語るとき、それは、もっぱら、真なる観念についての何か、つまり、真なる観念が有効に作用する可能性のことを意味するのに対し、反プラグマティストが真理について語るとき、ほとんどの場合、当の対象についての何かを意味しているようにみえるということである。(429頁)

つまり、反プラグマティストがある対象そのものに対して真理があると捉えるのに対して、プラグマティストは、対象が将来において有効に作用する可能性を真理と捉えるという違いのようです。

では、どのようにプラグマティストは真理が形成されると捉えるのでしょうか。この点に対してジェイムズが打ち出すのが根本的経験論で、(1)基本原理、(2)事実の言明、(3)一般化された結論、という三つから構成されると言います。

(1)基本原理

私たちが語ることができる事柄は、「経験から導き出された語彙によって定義可能な事柄でなければならない」(430頁)としています。言い方を変えれば、経験できないような事柄はいくら想像しても検討する対象としては適切ではない、というわけです。

(2)事実の言明

さらにジェイムズは、事実について語るという際の事実についても言及します。事実とは「直接的な個別経験の構成要素」(430頁)であり、私たちが個別的に経験する際の多様な存在としての事実という捉え方をしています。事実自体に意味があるのではなく、それらが構成された経験が持つ可能性に意味が生じうるということでしょう。

(3)一般化された結論

多様な事実は(2)で述べたとおり多様に構成され、また再構成されるということが為されます。このことを広げて考えれば、「宇宙は、それ自体において、一つの連結された、あるいは連続的な構造を有する」(430頁)という世界観や空間認識につながることになります。


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