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『プラグマティズム古典集成』(植木豊編訳)を読んで(2)哲学的概念と実際的効果(ジェイムズ)

第2章はジェイムズの講演録です。プラグマティズムを最初に提示したのはパースであると冒頭で述べ、パースの考え方を説明しながら自身のプラグマティズムを披瀝しています。謙虚な導入から自説へと導く姿勢には気持ち良いものがあります。

ジェイムズのプラグマティズムとはなんでしょうか。端的に言えば、将来にとって意味を見出せる志向性を持つもの、と言えそうです。

この考え方を提示するために、興味深い思考実験を挙げて説明しています。世界の終わりという時点において哲学には意味があるのかという問いを立て、結論としてはない、と断言しているのです。言い換えれば、将来において違いを生み出すことができなければ哲学は不要だ、ということであり、編訳者の言葉を借りれば「未来を見据えた帰結主義的意味理論」と言えます。

講演ならではの面白さとしては、ジェイムズが仮想敵においていたのは誰か、という点です。

『ふわふわする漱石』にも書いてありましたが、ジェイムズは英国経験論を徹底するというアプローチでプラグマティズムを論じています。それを受けて本章では、ジェイムズは、英国経験論と大陸合理論との統合を目指したカントを徹底的に批判しています。

私の見るところ、哲学が歩んできた真の道筋は、カントを通してというよりも、むしろカントを迂回して、進歩してきたのであって、そのようにして我々が今こうして立っている地点に到達したのです。(52頁)

講演で話していることなので強い文章になっているということもあるのでしょう。私はカントを好きな方ですが、ここまで全否定されると清々しさすら感じられます。

後ほど扱う第8章では、パースはカントを尊重していると推察できる箇所があります。具体的には、パースが提唱する「プラグマティシズム」という概念はカントをリスペクトした上での呼称であるという点です。カントを巡るジェイムズとパースの評価が、両者のプラグマティズムに対する捉え方の相違になっているようですね。


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