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『プラグマティズム古典集成』(植木豊編訳)を読んで(5)四つの能力の否定から導かれる諸々の帰結(パース)

第5章は第4章の続編です。第4章でバッサバッサと否定された四つの能力(直観能力、内観能力、記号なしで認識する能力、認識不可能なものを思考する能力)を踏まえて何が言えるのかについて説明がなされます。

まずパースが四つの能力を否定して、認識の重要な要素として主張していたのは推論です。本章では外的事実と結びついた推論という点にまで踏み込んでいます。外的事実の認識のあり方として記号が提示されていたのが第4章ですが、本章では記号の持つ三つの相互参照的関係的特質が述べられています。

本章の解題(588頁)に端的にまとまっているのですが、①記号はそれを解釈している何らかの思考に対して向けられていて、②解釈する際に記号は何らかの対象を表象しており、③記号は何らかの関連の中でその関連を記号対象と結びつけています。

こうした記号を、話したり書いたりする際には私たちは言語を用いて行います。パースは、記号の考察から言語の考察へと本章では進めています。

人間は言葉を作る。そして、作られた言葉の意味は、人間が当の言葉に持たせた、しかも、何らかの人間に対してのみ持たせた意味以外の何ものでもない。だが、人間は言葉もしくは他の外的シンボルによってしか考えることができない以上、こうした言葉やシンボルは、人間に対して、突き放して語るはずである。(141頁)

このような象徴と象徴、象徴と人間、といった相互作用に関するパースの言及は、後世のシンボリック相互作用論に影響を与えていると捉えられるのではないでしょうか。

パースは上記引用の後で、人間と言語がお互いに「教育し合う」というなかなか詩的な表現でその関係性を述べています。人は言葉を創り出しますが、生み出された言葉は社会において他者に活用され敷衍する中で新たな意味合いが付与されていきます。そうして言葉が人に対して新たな認識の枠組みを提供するという影響関係も生じます。

人が言葉を創るのと同時に、言葉が人を創るという側面もあるようです。


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