『継続するコツ』を読んで

 坂口恭平さんの『継続するコツ』(祥伝社,2022年)を読んだ。途中眠くなってきて、かなり飛ばして読んだので、あまり内容は覚えていない。だが、それでいいのだと思う。コミュニケーションの中身の八割以上は、その場の空気や雰囲気、流れ、なんとなくな感じ、印象なのであって、言葉の意味はさして重要ではないのだから。私にとって読書は筆者とのコミュニケーションである。内容で判断するのではない。その人と観念的な対話をしているのだ。時間を共に過ごしたということの方が大事である。

 坂口さんの文章を読むときいつも感じることがある。それは、彼が熊本県出身、熊本県在住ということだ。かく言う私は、広島県出身、東京都在住である。私の自己紹介を簡単にすれば、私は1990年に広島県福山市に生まれ、その後愛知県稲沢市に移り住み、再度福山市に帰り、6歳の頃父の建てた家に住み、19歳から愛知県の大学に通い、大学院まで通って、27歳になってようやく英語の高校教諭として就職したが、1年足らずで「適応障害」と診断され自主退職。その後、東京に引っ越ししていた両親と3年弱暮らし、昨年、晴れて一人暮らしを再開した。現在は、バイト先だった学習塾で雇われ教室長をしている。なぜ、こんな身の上話をしたのかと言えば、自分がいかに住む土地を変わっていったのかを確認したかったからである。引っ越し回数は、大学在学中の留学も合わせれば8回、住んだ家は8か所である。(詳細に語れば、①広島県福山市瀬戸町の市営住宅→②愛知県稲沢市→③瀬戸町の別の市営住宅→④福山市箕島町の父の建てた家→⑤愛知県刈谷市の大学近くのアパート→⑥9ヵ月ニューヨークに語学留学(そこでも2回住む場所を変えた)→⑤帰国後同じアパートに戻る→⑥愛知県豊田市の勤務先に近いアパート→⑦東京都葛飾区の両親の暮らすマンションに同居→⑧勤務先に近いアパート←今ここ)なぜ私が落ち着かないのかといえば、私自身の暮らしが、絶えず流動しているからである。最も長く住んでいた④の実家も、事情があって、親戚の夫婦が住んでいる。そこはもう私の家ではない。私には帰る家が無いのである。「帰る」という概念が分からないと言って良い。英語で"settle down"を、「落ち着く」「定職に就く」「身を固める」「定住する」という意味の言葉があるが、私にはそれが全く無い。

 長々と自分語りをしてしまった。それが悪いわけではないが、本筋を見失っては元も子もなくなる。坂口さんが熊本のご出身で、熊本に在住されていることを指摘して、私自身の引っ越し歴を顧みて、なんと落ち着きのない人生だと自覚し、それを少し羨ましいなと思ったのである。精神が安定しないのは、ひとえに、住む場所が変わり、仕事が変わり、付き合う人が変わり、恋人がいないからではないだろうか。そんなことを思った。

 私は、きっと何かを作りたいのだと思う。或いは、それでもやはり、何かを継続したいのだと思う。ダイエットでも、仕事でも、勉強でも、趣味でも、交際でも。住む場所がどんどん移り変わり、今住む世界も、きっと近い将来変わってしまうのだと、それこそ諸行無常なのだと、思いつつも、それでもやはり、継続したいのだ。それが何かは分からない。何を継続したいのだろう。

 文芸批評家の浜崎洋介さんという人がいらっしゃる。私は彼の批評が好きで、彼が編集に加わっている『表現者クライテリオン』を読んだり、彼の出演するYouTubeの動画を視聴したり、東浩紀さんがやっている株式会社ゲンロンのプラットフォーム「シラス」の番組に出てらっしゃるのを視聴したりしている。浜崎さんが最近、山本七平賞の奨励賞を授与された『小林秀雄の「人生」論』(NHK新書,2021年)を拝読した。その中に、「生命の持続感」という小林の言葉が引用されていたのを思い出した。私が継続したい、あるいは「保守」したいと思うのは、どれだけ住む場所が変わろうとも、仕事が変わろうとも、付き合う人間が変わろうとも、私が私であり続けてきたという現在完了的時間感覚、それ即ち「生命の持続感」である。

 坂口さんが言わんとしていることは、実にシンプルで分かり易いと同時に、何か土着的なものを感じる、そんな気がする。「肥後もっこす」という熊本県民の気質を表した言葉があるそうだ。(以下ウィキペディア「肥後もっこす」より引用。)

肥後もっこす(ひごもっこす)は、熊本県人の気質を表現した言葉。津軽じょっぱり、土佐いごっそうと共に、日本三大頑固のひとつに数えられる。

肥後の議論倒れ」と言われるのは、議論が大好きだが、それでいて自己主張が強いため議論がまとまらないことが多いことから生まれた言葉である。このような、自説にこだわる頑迷さは「肥後の褐色和牛(あかうし)」と称されることもある。『九州の精神的風土』の著者・高松光彦は、議論好きで自己主張が強く個人主義的であるという点においてドイツ人との強い類似性を指摘している。幕末文久元年(1861年),庄内藩の志士清川八郎らが肥後勤王党に決起を呼びかけに来た時の話で,肥後勤王党の人々は議論百出して意見がまとまらず、清川八郎はこれにあきれて「肥後人は議論するのみ。肥後の議論倒れ」と捨てゼリフを吐いて帰ったと言われている。

『熊本県人』の著者渡辺京二は、いわゆる「もっこす」と言われる人物は一般的な熊本県民から見ても相当変わり者であり、県民の中においてもそう多く存在しているわけではないとも指摘している。現代においては、熊本県のもう一つの県民性で「新しい物が好きな人」を指す「わさもん」の方が多く見られるという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E5%BE%8C%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%99

 坂口さんの「継続するコツ」とは、誰からの評価を受けずとも淡々と進めるというよりも、そんな他者評価を撥ね退ける、そのツッパリ精神にあるのではないか。飄々と生きる、というよりも、「うるせぇ!」「俺は手を止めない!」と叫びながら、自己格闘している。身悶えしながら、痙攣しながら、筆を離さない。なんとかかんとか言いながら、絶対に譲らない。それは自負心ではなく、恐らく持ち前の頑強さなのだろうか。それは、まさに「肥後もっこす」と名付けた方が分かる様な気がする。

 私はそういう土着性に強く憧れる。それは、ないものねだりであろう。土着性を言い換えれば、「到来するもの」である。引き受けざるを得ないもの、己の力ではどうしようもないもの、強いられた役目である。運命というか呪いというか。それを「遺伝」といっては余りにも月並みである。いずれにせよ、私は、そういう強いられたものが無いのである。あまりにも自由過ぎる

 恐らく、私が引き受けざるを得ないものは、文字通りの意味で「自由」である。自由の恐ろしさこそ、私に到来する物として引き受けねばならない。何をしてもいい、しなくてもいい。何処に住んでもいい、住まなくてもいい。仕事をしてもいい、しなくてもいい。何時、何処で、誰と、何を、どのようにやろうがやるまいが、全て、自分次第である。この究極的な自由こそ、私が引き受けざるを得ない、強いられたものである。私は、この自由の前に、恐怖する。この恐怖を乗り越えて、初めて私は本当に落ち着くのだ。

 つまり、自由を与えられたというのは、つまり誰もこの人生に構う者は居ないということである。究極、勝手に自殺しようが私の自由である。この自由を、私は引き受けなければならない。誰も構わない人生を、私は、自分のものとせねばならない。

 私は、使命や運命とは無縁の存在である。私の人生は、絶対これをせねばならない、というような種類のものではない。私の人生は、まさに "freedman" 「解放奴隷」の子孫のようなものである。己以外誰も頼るものがない、孤独を強いられた、自由であることを強いられた存在である。強いられた自由という論理矛盾した状況こそ、私の人生そのものではないか。

 継続しなくてもいい人生を、継続させるためのコツ。私はそれを坂口さんから教わりたいと思う。また読み直そう。




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