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デューン 砂の惑星 PART2

全米で去年7月に公開された「オッペンハイマー」は上映時間3時間の長尺ものであるのにもかかわらず特大ヒットとなり、アカデミー作品賞受賞作品としては「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」以来、実に20年ぶりに興収3億ドル突破作品となった。



そして、上映時間2時間46分の本作は米国では長いハリウッドのストの影響で供給不足が起き停滞していた映画興行における久々の大ヒット作品となった。



ところが日本での興収は現時点では前者が8.2億円、後者が6.9億円だ。この2作が現時点での2024年公開外国映画の興収トップ3に入っているということを考えると、洋画不振がさらに悪化しているだけという見方もできなくはないけれど、米国というか海外での好成績を考えるとコケてしまったと言わざるを得ないレベルだと思う。

何故、長尺映画は海外でヒットするのに日本では当たらないのか?

この謎に対する答えとして思いつく理由は一つしかない。それは、日本人と外国人では映画鑑賞に臨むスタンスが違うということだ。

日本人は3時間の間ずっとスクリーンを見ていなくてはいけないと思っているし、できれば途中でトイレに行ったりすることや、仕事の呼び出しのメールや電話に対応するのは避けたいと思っている。

でも、外国人は別に3時間ずっとスクリーンを見ていなくてもいいと思っているのだろう。野球観戦なんかと同じように、途中でトイレに行きたくなれば行けばいいし、メールが来たら返信すればいい、映画が長いと思ったら、連れと顔を見合わせて“つまんねぇ!”とくっちゃればいいと考えている。

だから、外国人は上映時間が長くても気にしないし、逆に日本人は気にしてしまうということなのだろう。

そして、日本人は3時間もおとなしくしている自信がないから長尺映画は見に行かないという選択になる。国産のテレビドラマやアニメの劇場版ばかりヒットする理由にはこうした作品の上映時間が2時間前後で収まっていて見やすいというのもあるのではないかと思う。

そして、本作はテキトーに見る外国人の鑑賞スタイルにマッチした内容だった。
アカデミー作品賞にノミネートされた前作は、“いいところで終わりやがって”という終わり方に不満はあったものの、一応、1本の映画として見られるようになってはいた。

それに対して、本作はダラダラと話が続いているという感じだ。テレビ(配信)ドラマ4〜5話分くらいを続けて見させられたような感じだ。この続編は映画ではなく、テレビでも配信でもいいが、ミニシリーズとして作った方が良かったのではないかという気もした。

その一方で、欧米で本作の評価が高い理由もよく分かった。

異なる出自の主人公が砂漠の民を率いていく様子は移民を増やすための大義名分である高度外国人材政策を進めたい先進国の思惑と重なる。
その一方で、この主人公やその一族が特殊な能力を使って人心を操る姿は与野党問わず各国の政治家を批判しているようにも見えた。そう言えば、プロパガンダを宣伝と訳す字幕はどうかと思う。

勿論、本作における各勢力の闘争の背景にあるのは資源を巡る覇権争いだ。なので、嫌でも現実世界におけるエネルギー資源を巡る駆け引きを想起してしまう。

そういう現実世界とのリンクが欧米メディアには受けているんだろうなと思う。

ところで、前作の邦題は「DUNE/デューン 砂の惑星」だったのに、今回は「デューン 砂の惑星 PART2」となり、DUNEが消えているのは何故?同じ言葉を繰り返すのはバカっぽいからやめたってこと?でも、そんなこと言ったら、デューンと砂の惑星もほぼ同じ意味なんだけれどね。


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