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最後の国民的ヒット曲「恋チュン」10周年

AKB48の代表曲の一つ“恋するフォーチュンクッキー”がリリースされたのが2013年8月21日ということで10周年を迎えることになった。

代表曲というのは、そのアーティストのキャリアを代表するヒット曲もしくは名曲と呼ばれる楽曲であることが大前提であり、多くのファンに支持されていることは勿論のこと、ファンでない人にも知られていなくてはならない。

そうした代表曲をAKBは5曲も持っている。“恋チュン”以外の代表曲は、“会いたかった”(2006)、“ヘビーローテーション”(2010)、“フライングゲット”(2011)、“365日の紙飛行機”(2015)といったところだろうか。

“大声ダイヤモンド”(2008)、“言い訳Maybe”(2009)、“ポニーテールとシュシュ”(2010)なんてあたりは今でもライブやフェスでやれば大盛り上がりになるが、これらの楽曲はAKB以外のアイドルのファンも含めたドルオタの間での知名度はめちゃくちゃ高いが(アイドル共和国の国歌みたいなもの?)、ドルオタでない者にはそんなに知られていないと思うしね。

結局、地上波の大型音楽特番で代表曲として繰り返し歌われる楽曲とか、テレビドラマの主題歌になったような曲、モノマネのネタにされた楽曲など、非オタの耳に届く機会が多かった曲が代表曲になりやすいということだ。

この5曲の中で最大の代表曲を1曲選ぶとなれば、好き嫌いはさておき、多くの人が“恋チュン”と答えるのではないかと思う。

というか、“恋チュン”は日本のポピュラー音楽史における最後の国民的ヒット曲だと思う。

秋元康が手掛けたおニャン子クラブ関連楽曲が次から次へとオリコン上位に初登場し、翌週には一気に下降するというのが繰り返されるようになった80年代後半以降ヒットチャートは形骸化した。

そして、アイドル、演歌、ロックなど様々なジャンルを取り上げる歌番組もそうしたヒットチャートの変化を受けて衰退していき、それに伴い国民的ヒットは生まれにくくなった。

90年代はミリオン・ヒットが連発されたが、その背景には当時、ブームとなっていたカラオケボックスで10〜20代が歌うためにお手本として買っていたことがあったので、カラオケボックス文化と縁遠かった中高年には(彼等はスナックやキャバクラのカラオケがメイン)それらのヒット曲はほとんど知られていなかった。

2000年代以降、街の音としてのヒット曲の多くは配信から生まれるようになった。しかし、CDセールス・ランキングは、複数バージョンをリリースしたり、握手会などの特典会参加券を封入したりした複数枚購入を促す作品ばかりが売れるようになり、ヒット・チャートと街の音との乖離は一層進んだ。

そして、10年代半ばになってくると、日本でも本格的にサブスクリプション音楽配信サービスがローンチされるようになり、音楽は完全に個人が好きなタイミングや場所で自由に聞くものとなり、レコードやCDの時代のように家族みんなで一緒に聞いたり、友人と貸し借りしたりすることはなくなった。

というか、ストリーミングで音楽を聞くことが主流になったということはイヤホンで聞く、つまり、自分一人で聞くことが多くなったということを意味する。

レコードやCDの時代なら、子ども部屋から漏れ聞こえる音楽を両親や祖父母が聞き、これが今の流行りかと知ることができたが、音漏れしない現在の聞き方では家族と最新ヒット曲を共有するのは難しい。

今年を代表するヒット曲であるYOASOBI“アイドル”や去年のAdo“新時代”はいずれも記録的なヒット曲だとは思うが、いずれも国民的ヒット曲と呼ばれないのはそういうことだ。

なので、“恋チュン”が国民的ヒット曲になれたのは、2013年はまだ、日本ではサブスクが本格的に登場する前だったからと言えるのではないかと思う。

CDというメディアはアイドルや声優などのファン向けグッズ扱いになってしまっているし、CDやレコード、カセットテープなどのフィジカル媒体のプレーヤーを持っていない人も多い。スピーカーを通して音楽を再生する人がほとんどいないことを考えれば、“恋チュン”レベルで老若男女、幅広い属性の人に認知されるヒット曲は今後登場することはないと思う。

“恋チュン”という楽曲が国民的ヒットとなれたのは、歌詞、メロディ・サウンド、振り付けが三位一体となっていたからだと思う。

まず歌詞については、当時の指原莉乃のパブリック・イメージ(実際はヘタレでもブスでも庶民でもなかったが)をそのまま歌詞にしたことが国民的ヒット曲になれた理由ではないかと思う。

誰が見ても可愛いとか美人とかセクシーと思われるようなタイプではない親近感のあるキャラクターだから、この曲も親しまれたという面はあると思う。
ヘタレでブスで庶民で、今はうまく行っていないかも知れないが、何かのきっかけで幸運を掴める時が来るよというメッセージが東日本大震災の発生から2年ちょっとでまだ、ダメージの残る日本国民に勇気を与えたという意味もあったのではないかと思う。
また、2012年の年末から始まった第2次安倍政権の進めた経済政策アベノミクスの効果は少なくとも2013年にはあったことこら、こうした前向きになろうと思える歌詞が支持されたのではないかとも思う。
もっとも、2014年に消費増税され、アベノミクスの効果は吹っ飛んでしまったけれどね。そして、それを認められないネトウヨと、わずかの期間でもアベノミクスの効果があったことを認めたくないパヨクの争いが激化し、現在にまで至っているが…。

そして、音楽性だ。これは少しでも音楽、特に洋楽に興味を持っている人なら、70年代から80年代初頭のディスコ・サウンドと70年代のフィラデルフィア(フィリー)・ソウルがベースになっていることは明らかだ。パクリ一歩手前と言ってもいいほどだ。だから、センターを務めた指原莉乃が最初、この曲を聞かされた時にダサいと思ったのも当然だと思う。この辺りのサウンドが好きな世代というのはおそらく彼女の親よりも年上だと思うしね。でも、ダサいサウンドだからこそ、普段、AKBの楽曲を聞かない世代(後期高齢者とか幼児)にまでこの曲が広がることができたのではないかと思う。ダサい=古くさい=唱歌・童謡みたいな発想かな。

それから、何と言っても、この曲が広まっていった背景で無視することができないのが振り付けだ。この曲がリリースされた2013年辺りになると、SNSなどに一般人が動画を投稿するのも普通のことになってきた。恋チュンの振り付けは盆踊り一歩手前の老若男女が振りコピしやすいものだから、一般人から組織まであらゆる人が振りコピ動画を投稿し、そのおかげで楽曲自体も拡散したというのもあるのではないかと思う。振り付けは自分たちで新たに撮った映像でも、楽曲はオリジナルをそのまま使っているものがほとんどだしね。

そう言えば、リリース当初、イントロでさしさんが、

♪おにぎり〜おにぎり〜

と手でおにぎりの形を作りながら叫んでいたけれど、いつの間にかそれってなくなってしまったよね。

あと、さしさんが

“飛びますよっ”

って合いの手入れるのも好きだった。

自分の頭の中ではいまだに、こういうのが含まれたバージョンで再生されているんだよね。

とにかく、色んな面で影響力の大きな楽曲だったと思う。

だから、2013年の日本レコード大賞にこの曲ではなく、EXILEの“EXILE PRIDE 〜こんな世界を愛するため〜”が選ばれたことが猛批判されたんだよね。

日本の映画や音楽の賞が出来レースだというのは誰もが何となく感じていることだ。特に、日本アカデミーやレコ大のような、ノミネートをノミネートと呼ばず優秀賞受賞なんて言っているところなんて、何の信憑性もない。
それでも、お祭りだし、特にレコ大なんて年末の風景の一部になっているから、まぁ、今年もやっているねくらいの気持ちで結果をチェックしておこうとなってはいたんだよね。

でも、“恋チュン”が受賞しなかったことにより、ただでさえ低かった信憑性はさらに低下してしまった。

業界内の取り決めで受賞者を決めるのではなく、きちんと楽曲の持つパワーで判断し、“恋チュン”を選んでいれば、レコ大の価値ももう少し延命できた気がする。


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