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猿の惑星/キングダム

シネコンという形態が東京23区内で定着したのは2003年にヴァージンシネマズ六本木ヒルズ(現・TOHOシネマズ六本木ヒルズ)が開業して以降だと思う。
それ以前にも23区内にシネコンはオープンしていてたし、定員入替制ではなかったものの、楽天地シネマズ錦糸町(現在はTOHOシネマズ錦糸町 楽天地)、池袋シネマサンシャイン(現在は移転してグランドシネマサンシャイン池袋)などは80年代からシネコン的な編成をしていた。
84年にオープンした有楽町マリオン内の劇場も一つのスクリーンで複数の番組を上映するようなことはなくても、客の入り具合で上映館を変更していたのでそうした編成に近かった。

スクリーン数はわずか3つだし、ミニシアター作品を上映しているし、現在は名画座としての役割も果たしているのでシネコンにカテゴライズするのはどうかと思うが、84年にオープンしたキネカ大森は日本最古のシネコンを自称している。

でも、六本木ヒルズにシネコンができたことでシネコンという概念が郊外や地方だけのものではないということが都市部の映画ファンに認知されるようになったのは事実だと思う。

シネコン形態の興行には功罪それぞれの側面があると思う。

旧来型の映画館だと客の入りが悪いと2〜3週間、酷いと1週間で打ち切られることが多かった。しかも、⚫︎⚫︎劇場(大抵は邦画大手3社が拠点とする銀座・東銀座・有楽町・日比谷地区の映画館)他全国⚫︎⚫︎(邦画大手3社などの社名が入る)系ロードショーという公開の仕方だったので、メインの銀座地区で入りが悪いと判断されて打ち切られたら、新宿や渋谷など都内の他の地区は勿論、他の道府県の系列劇場でも打ち切られてしまうのが通常だった。

しかし、シネコン時代に入ると1週とか2週で打ち切られることはほとんどなくなった。
それは、⚫︎⚫︎系というシステムがなくなったのもあるが、旧来の映画館のように1スクリーンで上映される番組が1番組とはなっていないから、少しでも客が来る望みがあれば上映回数を減らしてでもかけることができるようになったからだ。
その気になれば、1つのスクリーンで1日に5番組だろうと6番組だろうと上映することができる。シネコン式の編成をしているミニシアターなんてそういうところが多数派になっている。

しかし、1日に複数の番組を上映するということは、その番組の1日あたりの上映回数が少ないということを意味する。1日1回なんてこともザラだ。しかも、前売の売り上げがイマイチだと初日の時点で1日の上映が1回とか2回しかなかったりすることもある。場合によっては、朝8時台とか夜8時以降の見に行きにくい時間帯にしか上映されないこともある。

旧来の映画館なら入りが悪くても打ち切られるまでは、朝イチの回から夜の最終回まで1日4〜5回は上映されていたから、仕事や他の用事とのスケジュールを調整しながら見に行くこともできた。

でも、シネコンだとピンポイントで1日1回とか2回しか見る機会がないことが多い。これだと、仕事や他の用事とのスケジュールを調整するのが非常に難しい。



そんなわけで、5月10日に公開された本作をやっと見に行くことができた。

自分が見に行ったTOHOシネマズ新宿も他の多くのシネコン同様、1日1回の上映になっていたしね。

出来に関してはネット上のレビューに出ていたように非常に退屈な作品だった。

過去のシリーズ作品はあくまでも人間目線でストーリーが進行していくのに、本作はエイプ(サル)の視点でストーリーが進み、なおかつ、人間のキャラクターがあまり出てこないということもあり、単調な展開になっていたことも要因だと思う。

ストーリー展開上の最大の疑問点は知能が発達したはずのエイプたちが相変わらず、裸に近い姿で生活しているのに、文明が破壊されて言葉を話さなくなった人間がボロくなっているとはいえ、洋服を着ていることだった。

前作までの3作品でエイプ側の主人公だったシーザーが死んでから何世代も経っていて、人間は文化的な生活をしなくなったのに洋服があるというのはおかしな話だ。

結局、冒頭の世界観説明スーパーが観客を騙すためのウソだったんだよね。

オチは文明が衰退し言葉を失ったフリをした人間側のスパイが独裁主義的・強権的なエイプの指導者の世界に潜り込み、人間の文明を復活させるためのデータを奪い返すってものだしね。

ダメだろ!冒頭の世界観説明スーパーでウソついては!

それにしても、このタイミングで本作を見ると嫌でも、Mrs. GREEN APPLEのMV“コロンブス”における差別表現問題を思い浮かべてしまうね…。

過去3作におけるエイプ側の主人公シーザーは紛れもない英雄だった。サルの人権(猿権)の向上のために闘ったわけだからね。

でも、本作においてはシーザーの思想が拡大解釈されて、独裁者が一般のエイプを締め付けるための基本思想になってしまっている。
また、人間側から見てもシーザーは自分たちの文明を奪った憎き存在になっている。

時代とともに偉人に対する評価は変わるものだからね。ミセスはいまだにクリストファー・コロンブスを偉人と思っているらしいが、現在の世界基準では先住民を迫害した略奪者だしね。

今回のミセス問題はファンやネトウヨなどからの執拗な攻撃を避けたいからか曖昧に言及している人が多いが、メンバーが白人のふりをして侵略している=欧米に並んだ存在、つまり、白人になったつもりでアジアを侵略したかつての日本だから、それをコミカルに描いたことが問題視されているんだと思う。

それにしても改めて本作を見ると、この「猿の惑星」シリーズにおけるエイプって日本人を含むアジア人なんだなと思った。
土葬文化があるし、わずか数時間でも先に生まれた方を年上とみなすところとかアジア的だ。

そう考えると、本作における独裁者のエイプというのも一時期に比べると落ち込んではいるものの、依然として米国に次ぐ経済大国となっている中国を欧米が独裁国家と思っていることのメタファーなのだろうか?

そして、スパイの人間=米国人と協力して独裁者を倒すお人好しのエイプは米国の犬である日本を表現しているのだろうか?


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