見出し画像

『フラッシュダンス』4Kデジタルリマスター版

アカデミー歌曲賞の受賞・ノミネート曲が地味に感じられるようになったのは80年代末あたりからだ。

その要因としては大きくわけると、
①単なるタイアップが増えた
②選考対象が厳しくなった

の2つがあると思う。

まずは①について。

80年代に映画と音楽の相乗効果で、興行収入とサントラ盤の売り上げがともに伸びた作品は、批評家などからはMTV映画と揶揄された。
「フラッシュダンス」、「フットルース」、「ストリート・オブ・ファイヤー」、「ビバリーヒルズ・コップ」、「ロッキー4/炎の友情」、「トップガン」、「ビバリーヒルズ・コップ2」、「ダーティ・ダンシング」、日本ではヒットしなかったがジョン・ヒューズ作品などがそうしたMTV映画というジャンルの代表作だ。

こうした作品ではミュージカル映画、音楽映画ではないのに、主題歌・挿入歌が長々と流れ、その曲がかかっているシーンではミュージック・ビデオのような演出が行われることも多かった。
「ダーティ・ダンシング」の“タイム・オヴ・マイ・ライフ(英題表記はofなのに当時の邦題表記はオヴだった…)”のように、サントラ盤収録版よりも映画で使われているバージョンの方が長いというものもあるくらいだから(現在はサントラ盤もロング・バージョンで収録となっている)、いかに楽曲推しだったかが分かるかというものだ。

しかし、80年代末くらいになると、映画と音楽の相乗効果ヒットは続いてはいたものの、本編では1コーラスとちょっとくらいしか使われていないというパターンが増えるようになっていった。
「カクテル」からは“ココモ”(ビーチ・ボーイズ)、“ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー”(ボビー・マクファーリン)と2曲のナンバー1ヒットが生まれたが、本編中で流れている時間はそんなに長くない。

90年代になるとその傾向はさらに高まり、エンド・クレジットに3〜4曲まとめてメドレー形式で流れるだけの曲がサントラ盤からのシングル・カットとしてヒットすることが増えた。
1992年のエディ・マーフィ主演作「ブーメラン」のサントラからシングル・カットされ、13週連続ナンバー1の大ヒットとなったボーイズⅡメン“エンド・オブ・ザ・ロード”なんて、本編中ではインスト版がチラッと流れるだけで、きちんと聞かせてくれるのはエンド・クレジットだけ。しかも、そんなに長くは流れていない。

さらには、サントラ盤から生まれたヒット曲であるのにもかかわらず、本編には使われていないなんていう楽曲もちょくちょく登場するようになった。
これまた、エディ・マーフィ主演作だが、1996年の「ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合」のサントラ盤からは多くのヒット曲が生まれたが、そのどれもが本編では使われていなかったりするなんていうケースもあった。

そして②について。

そんなこともあって、アカデミー歌曲賞の選考対象となる楽曲は、単なるタイアップ曲をノミネートさせないためにエンド・クレジットの1曲目にかかった曲までとなっている。

その結果、歌曲賞にノミネートされる楽曲はヒットチャートを賑わせなかったものばかりになってしまった。
2000年以降の歌曲賞受賞曲で全米トップ10ヒットとなっているのは、「8 Mile」からの“ルーズ・ユアセルフ”、「007/スカイフォール」からの“スカイフォール”、「アナと雪の女王」からの“レット・イット・ゴー”、「アリー/スター誕生」からの“シャロウ”のたった4曲しかない。
80年代末以降、複数楽曲がノミネートされる作品が増えたのも、ライバル不在のためであることは間違いないと思う。

1984年のノミネート曲5曲全てが全米ナンバー1 ヒットだったことと比べると、いかに多くの映画ファンや音楽ファンに認知されている主題歌・挿入歌が登場しなくなっているかが分かるかと思う。
そう考えると、1983年の「フラッシュダンス」や1984年の「フットルース」は強豪揃いの中、複数楽曲がノミネートされているのだから、いかにサントラに力があったかが分かるかと思う。

そんな、サントラ盤との相乗効果でブームになる映画を得意としていたのが「フラッシュダンス」も手掛けていたプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーだ。正確に言うと、ドン・シンプソンと組んでいた時期までのブラッカイマーかな。

シンプソンが亡くなり、パートナー関係が解消されて以降、ブラッカイマー作品はスコアもののサントラが増えたけれど、90年代半ばまでは本当にシンプソン&ブラッカイマーのプロデュース作品というのはヒット曲連発のサントラというイメージが強かった。
まぁ、シンプソン死後のブラッカイマー作品でも、「アルマゲドン」、「コヨーテ・アグリー」などコンピレーション系サントラ盤が話題になった作品はあるけれどね。

「フラッシュダンス」以外の80年代のシンプソン&ブラッカイマー作品では「ビバリーヒルズ・コップ」からは、“ヒート・イズ・オン”や“アクセル・F”など。「トップガン」からは“デンジャー・ゾーン”、“愛は吐息のように”など。「ビバリーヒルズ・コップ2」からは“シェイクダウン”、“I WANT YOUR SEX”などが全米チャートを賑わせた。

90年代になっても、「デイズ・オブ・サンダー」からは“ショウ・ミー・ヘヴン”がUKチャートでナンバー1になったし、「バッドボーイズ」からは“シャイ・ガイ”、“サムワン・トゥ・ラヴ”という全米大ヒット曲が生まれた。
シンプソンの生前最後の作品「デンジャラス・マインド/卒業の日まで」からは“ギャングスタズ・パラダイス”が全米の年間チャート1位となった。

そんなサントラとの相乗効果が相次いでいたシンプソン&ブラッカイマーの黄金コンビの第1作となったのが、本作「フラッシュダンス」だ。

本作のサントラ盤からは、アイリーン・キャラが歌った“フラッシュダンス〜ホワット・ア・フィーリング”がアカデミー歌曲賞を受賞し、マイケル・センベロが歌った“マニアック”が同賞にノミネートされた。
全米チャートでは2曲ともナンバー1ヒットになっているし、日本のオリコンでも“ホワット・ア・フィーリング”は総合チャート(洋楽チャートではない!)で1位を獲得している。
「スチュワーデス物語」(スチュワーデスは今では不適切な言葉だが)の主題歌として麻倉未稀の日本語カバー・バージョンも人気を集めたが、同ドラマの放送は1983年10月からであり、この本家のバージョンはそれより前に既に日本でも大ヒットしていたことを考えると、いかに、「フラッシュダンス」という映画が、そして、そのサントラ盤が日本で人気があったかが分かるというものだ。

そんな、時代のサウンドトラックとなった映画「フラッシュダンス」が4Kデジタルリマスター版としてリバイバル上映されることになった。

最近、70〜80年代の名作やヒット作の4Kリマスター版再上映が相次いでいる。その理由として考えられる最大の要因は70〜80年代に青春時代を過ごした世代が映画業界(配給会社など)で権力を握るようになり、自分たちがかつて好きだったコンテンツに投資しても文句を言われにくい立場になったというのが大きいのではないだろうか。

また、コロナ禍になってヒットする映画が若者が見たがるテレビドラマやテレビアニメの延長線上にある作品ばかりになってしまい(「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」や「SING シング:ネクストステージ」のような例外はあるが)、中高年の映画ファンが映画館から遠ざかってしまった(「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」や一部ミニシアター作品のような例外はあるが)ということも大きいのではないだろうか。

中高年を映画館に呼び戻すには、重い腰をあげさせるだけのイベントが必要だ。それには、彼等の青春時代をプレイバックさせるのが一番手っ取り早いということなんだと思う。ただ、再上映ではイベントにはならないから、リマスターして上映しようという感じなのではないだろうか。

ただ、せっかく4Kリマスターをうたっているのに、これらの再上映作品の上映館の多くでは2Kで上映されているというのはどういうことなんだろうか

「フラッシュダンス」と同じ4月15日からリバイバル上映される「少林寺」(こちらも80年代作品)は23区内の上映館は全て2K上映だ。都内では立川シネマシティが唯一の4K上映館だが、これだって、1日1回の上映だ。

さすがに、本作「フラッシュダンス」は23区内でも新宿ピカデリーとグランドシネマサンシャイン池袋の2館で4K上映されるが、それでも新宿は1日2回、池袋は初日は1回の上映だ。

本作と同じシナジーの配給で1週先に再上映がスタートした「サタデー・ナイト・フィーバー」の新宿での上映は既にレイトショーの1回のみになっている。
つまり、配給や宣伝、マスコミが熱い思いをぶちまけているほど(最近よく70〜80年代の映画・音楽ネタのネットニュースを見かけるしね)、興行側は中高年観客を呼び戻すことには乗り気ではないってことなんだろうね。

劇場版「名探偵コナン」や「SING」、「余命10年」、「おそ松さん」など若者受けする作品の上映回数を増やした方が商売として成り立つってことなんだろうね。

若者はたまにしか映画館に来なくてもグループで来場する者が多数派でドリンクやフードを買う人も多い。でも、中高年の映画ファンはよく来てくれても1人で来るし、ドリンクやフードを買わない。だから、劇場はライト層の若者優遇策に走るってことかな。

ちなみに本作の初公開時、自分は本作を映画館で見ることはできなかった。

初めて見たのは、1985年の地上波初放送の時だ。
今でこそ、邦画でも地上波で放送される時はエンドロールがカットまたは短縮されるのは当たり前だったけれど、当時は邦画各社の方が力関係が上だったのか、邦画はエンドロールはカットせずに放送するのが普通だった。

その一方で、洋画はエンドロールや冒頭の映画会社のロゴを切った上で本編も短縮されて放送されるのが当たり前になっていた(現在も本編ノーカットとうたわない限りはそうだが)。
にもかかわらず、本作は本編のみならずエンドロールもノーカットで、しかも、音声も原音に字幕をつけた形で放送された。
当時、絶頂期にあったフジテレビだからできたとも言える放送形態だった。

勿論、劇場初公開時から本作の存在は知っていたし、主題歌だって知っていた。父親が会社の同僚と見に行くと言った時は“一緒に連れてってくれ”と思ったくらいだ。
でも、当時小学生だった自分には本作を映画館で見るチャンスはなかった。
自分以外の小学生からすれば映画館で見たいと思う洋画はSFかアクションくらいだし、親だって、子どもを連れて映画館に行ってもいいと思うのは、国産作品を除けば、洋画ではSFやアクションになってしまう。

1983年の夏休み映画として公開された作品でいえば、松田聖子主演の「プルメリアの伝説 天国のキッス ( 同時上映は「刑事物語2 りんごの詩 」)、シブがき隊主演の「ヘッドフォン・ララバイ 」(同時上映はテレビアニメの劇場版「パタリロ! スターダスト計画 」、たのきんトリオ出演(主演は近藤真彦)の「嵐を呼ぶ男」、角川アイドル主演作「探偵物語」と「時をかける少女 」の2本立て、テレビアニメの劇場版「ドキュメント太陽の牙ダグラム 」と「ザブングル グラフィティ 」の2本立て(正確には短編もつくから3本立て)、ジャッキー・チェン主演のカンフー映画「カンニング・モンキー天中拳」とJACメンバー出演による人気コミックの実写化作品「伊賀野カバ丸 」の2本立て、「スター・ウォーズ」旧3部作の完結編となる「ジェダイの復讐 」、フジテレビ映画で動物モノの「南極物語」、などという作品があったから、子どもだけで行くにしろ、親子連れで行くにしろ、とてもではないが、カバーしきれないというのはあったと思う。

親子4人で行ったら、とてつもない出費だけれど、同僚と見に行けば出費は自分の分だけだしね(まぁ、その同僚は後輩だったらしいのでドリンク代くらいはおごってあげたのかもしれないが)。

そんなわけで久々に「フラッシュダンス」を見た。

自分が年少組に入るくらい、観客はオッさんだらけだった。

でも、配給・宣伝側のオッサンどもが狭い通路に大挙して客席を観察しているのはどうかと思う。自分たちの青春時代を再確認したいという熱い思いで溢れているのだろうが、はっきり言って邪魔だ。“いつまでいるんだよ”と文句を言っていたオッサンもいたが、彼の気持ちも分からないでもない。もっとも、このオッサンもうるさいんだけれどね。

というか、配給・宣伝の人間がリサーチという名目で公開初日に主な上映館の視察にやってくる古い慣習、いい加減やめればいいのに。
まぁ、劇場側は観客の個人情報を教えてくれないから、どんな観客が来ているか実際に自分の目で見たいという気持ちは分からないでもないが、やっぱり、あのやり方って、時代に合わないと思うな。

そして、改めて見て感じたことは以下の通りだ。

そりゃ、親が子どもを連れて見に行こうとは思わない映画だよね。というか、テレビ初放送の時も一緒に見ようとしなかった理由が今になってみるとよく分かった。
主題歌がオリコン総合チャートで1位、主題歌の日本語カバーが日本のテレビドラマ主題歌となり、こちらも大ヒットって感じだし、水を浴びるダンスパフォーマンスのシーンはバラエティ番組でパロディにされたりしたので、お茶の間に浸透した映画というイメージがあったけれど、実際は全然、お茶の間向きではなかった。

下ネタも多いし、セクシーな描写も目立つし、それどころか主人公ではないものの、その友人役は乳首も見せているしね。
まぁ、現在のポリコレ的観点だとNGな描写も多いとは思った。セクシーな描写だけでなく、パワハラ的な描写とか人種的な描写とかね。黒人女性ダンサーがバナナを楽屋でかじっているシーンなんて今ならカットでしょ。

あと、基本的な流れって、その後のブラッカイマー作品「コヨーテ・アグリー」と同じだね。あれも、成功を目指す若い女性の話で、主人公は性的なパフォーマンスをすることに対して批判的なスタンスだし、何よりもダンスとサントラが話題になった作品だしね。

それから、本作の上映時間は1時間35分とコンパクトなものになっているけれど、当時は青春映画とかコメディ映画などハイバジェットでない作品って、このくらいの上映時間が普通だったんだよね。最近のハリウッド映画が長すぎるんだよ!
もし、今、本作をリメイクしたら上映時間は2時間くらいになるのでは?
現在の映画ファン的視点だと唐突にシーンが変わったように感じる箇所も多かったから、作り直すとしたら、補足するような説明台詞とかが増えるような気がする。

その一方で、ダンスシーンは長い!

最近の映画なら30秒くらいで終わってしまうようなシーンもじっくり見せているからね。だから、MTV映画なんて揶揄されたんだろうね。
でも、本作同様、ジョルジオ・モロダーが音楽に携わった「トップガン」や「オーバー・ザ・トップ」などと比べると、楽曲がかかっている時間って、そんなに長くないんだよね。
“ホワット・ア・フィーリング”はオープニングに1コーラスちょっと流れたあとは、本編中にスコアにアレンジされたものがちょこっと流れるのを除けば、クライマックスのオーディションシーンでワンハーフよりちょっと長いくらい使われているだけ。
もう一つの大ヒット曲“マニアック”は前半にワンコーラス程度流れたあとは、エンド・クレジットにメドレーで流れる楽曲群の大トリとして最後にこれまたワンコーラス程度流れるだけ。
80年代末以降のアカデミー歌曲賞の選考基準なら、どちらもノミネートされなかったのでは?

まぁ、ジェニファー・ビールスが当時、アイドル的人気を誇ったのは納得した。野暮ったさと可愛らしさが同居している感じの女子って男は好きだしね。でも、この作品以降、コンスタントに仕事はしているけれど、これといった作品には恵まれていない気もするな。
あまりにも、本作のイメージが強すぎたんだろうね。

ところで、1983年公開の映画で主人公が18歳ということは、もしかすると、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の3代目ヒロイン・ひなたと同じ年の生まれってことか?ひなたが映画村で謎のバイトをしていた頃、本作の主人公・アレックスは昼は溶接工、夜はダンサーという生活を送っていたってこと?

≪追記≫
本作を語る時に、ジェニファー・ビールス、ジェリー・ブラッカイマー、ドン・シンプソン、アイリーン・キャラ、マイケル・センベロといった名前は出てくるけれど、メガホンをとったエイドリアン・ライン監督については忘れられることが多いよね。
80年代から90年代前半にかけて彼が手掛けた作品を列記すると、「ナインハーフ」、「危険な情事」、「ジェイコブス・ラダー」、「幸福の条件」と傑作かどうかはさておき、映画史に残るような印象的な場面や他の作品に影響を与えた演出がされている作品ばかりなのにね。

《さらに追記》
固有名詞が続けて出てくる際に文字数の都合で字幕ではいくつかの名称がカットされるというケースはよくあるが、本作ではコメディアンの名前が省略されていた。

リチャード・プライヤー、スティーブ・マーティン、エディ・マーフィの名前が原音ではメンションされていたが、字幕ではリチャード・プライヤーのみが表示されていた。
本作の日本初公開時の字幕をそのまま流用しているから、こういう表示になっているんだよね。
当時、この3人の中で日本で一番知名度があったのがリチャード・プライヤーだから、彼の名前のみを出したんだろうが、今だったら、一番知られていないのはリチャード・プライヤーだよね。というか、亡くなってだいぶ経つし…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?