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カラミティ

「ロング・ウェイ・ノース」の日本公開は遅れに遅れて2019年になってしまったものの、この年の秋頃に海外のアート系アニメーション映画の公開が相次いだことから、相乗効果もあって、他の海外アニメーション作品とともにシネフィルや海外アニメーションのファンからの高評価を集めることができた。
「ロング・ウェイ・ノース」をはじめとするそれらの作品はいずれもミニシアター系での公開だったり、ミニシアター以外の劇場で上映されても小規模なものだったりした。
でも、中には、中国アニメーション「羅小黒戦記」や「白蛇:縁起」のように、この時期に注目されたことをきっかけに、後に日本語吹替版が作られて拡大公開されるなど、さらなる評価拡大につながっていったものもあった。

本作「カラミティ」が新宿バルト9などのシネコンで上映されているのも、「ロング・ウェイ・ノース」が高く評価されたレミ・シャイエ監督の新作だからという理由にほかならないと思う。

ミニシアター公開で話題となった作品をきっかけに、その作品の監督や主演俳優に対する注目度が高まり、その監督や俳優の次回作の公開規模が拡大されるということはよくあることだしね。
まぁ、そういうのを見ると、配給会社が言う“ミニシアター文化を守ろう!”的なメッセージは嘘っぱちだってのがよく分かるよね。

結局、ミニシアターでのちまちまとした興行よりも、シネコンでどーんと稼ぎたいってことだから、シネコンから上映したいって声がかかれば、ミニシアターを捨てて、そっちに流れるってことだしね。

TOKYO MXなどのローカル局やBS放送のBS11が「鬼滅の刃」のブームの礎を作ったのに、2期の放送は、フジテレビが最速で、TOKYO MXや BS11などは、各配信サービスでの配信開始よりも後という酷い扱いになっているのと同じようなものかな。

そして、ミニシアター発で話題となったコンテンツの関連作がシネコンに奪われても、シネコンでの待遇が良いかというと、そうでもないのが現状だったりもするんだよね。

結局、シネコンというのは、邦画大手3社やハリウッドのメジャー大作の方が金になるから、そちらの上映を優先するしね。
ミニシアターでの上映なら、1日フルに上映されるけれど、シネコンだと1日に数えるほどしか上映されないしね。
あと、こういう海外アニメーションだと、ミニシアターでは字幕版も吹替版もほぼ均等に上映され、日中でも字幕版の鑑賞ができるけれど、シネコンだと遅い時間しか字幕版は上映されないしね。

ミニシアターのコンテンツを奪っておいて、本来の客層が見られるような上映の仕方をしないんだから、なんだかなって感じだ。

TOKYO IDOL FESTIVALの客さばきのやり方があまりにも酷く、それに腹が立ち、会場滞在時間を短くしたから、何とか本作を見る機会に恵まれたけれど、そうでなければ鑑賞見送りのままになっていたかもしれないな。

そして、シネコンの上映ということもあってか、普段、ミニシアターで見る海外のアート系アニメーション映画とは客層も違うように感じた。
上映開始後に入場したり、上映時間は短い作品なのに途中でトイレ行くのがいたりってのは、普段、こういう作品を見慣れていない人が多かったってことなんだろうね。誰か有名な人がテレビか何かで絶賛でもしたのかな?

ここからは、作品自体について語りたいと思う。

まず気になったのは台詞だ。
米国を舞台に米国人を主人公にした作品なのに、というか実在の人物を題材にした作品で、しかも、西部劇的な内容なのに、何故、主人公のみならず登場人物が皆、フランス語を話しているのかは謎に感じてしまった。

まぁ、本作がフランス映画だから、台詞がフランス語でもおかしくないんだけれどね。
日本製のアニメで日本国外が舞台の作品だって、日本の声優が日本語の台詞を発しているんだから、それと同じと考えればおかしくないんだよね。

ディズニーのアニメーション映画だって、フランスが舞台の「美女と野獣」や「ノートルダムの鐘」、中東が舞台の「アラジン」、中国が舞台の「ムーラン」、いずれも台詞は英語だし、アフリカの動物たちを描いた「ライオン・キング」や神様の世界を描いた「ヘラクレス」だって台詞は英語だからね。まぁ、台詞に関しては気にしないってことで。
日本以外が舞台のジブリ作品をオリジナルの日本語版で海外の人が見た時と同じような条件ってことかな。

そして、これは「ロング・ウェイ・ノース」の時にも思ったが、この監督の作品はアニメーションとは本来、こういうものだよねというのを思い出させてくれる。

日本のアニメのようにきれいな画で魅せるわけでもないし、米国のアニメーションのように最新の技術を使っているようにも見えない。キャラクターデザインにしたって、日本製のように恋愛感情を抱いてしまうようなものでも、米国製のように誰もが親しめるものでもない。

でも、キャラクターがイキイキと動いていれば面白いんだよね。それがアニメーションの基本なんだよということを思い出させてくれる。
日本のアニメみたいに止め画でごまかすこともなく、台詞のないキャラでもきちんと動いているからね。
そして、見ているうちに、この日本や米国の感覚だとパッとしないように見えるキャラクターに感情移入できるようになってくるんだよね。

それは、やっぱり、画の動かし方がうまいからだと思う。

まぁ、アート映画扱いだけれど、エンド・クレジットを見る限りだと、スタッフの数は結構いるみたいだしね。日本のアニメ映画でエンド・クレジットに3曲もかかることなんてまずないからね。

《追記》
主人公と鎖でつながれた男性がずっと主人公が女性だと気付かなかったのはおかしいだろ!用を足さなかったのか?
用を足すといえば、鑑賞した新宿バルト9の男子トイレの大便器、“おこぼれ”で汚れていた。別に小便器が混んでいる時に大便器で小用を足すなとは言わないけれどさ、大便器でするなら座れよ!そして、こぼすな!ウイルスを撒き散らすんしゃない!
それができないなら大便器を使うな!

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