脚色問題を考える
ネット民には漫画や小説が好きな人が多いから、SNS上では普段から漫画や小説の映画化・ドラマ化作品に対しては否定的な意見であふれている。
でも、原作通りに映像化した作品が良いとは限らないと思う。
ケネス・ブラナーの「ハムレット」はウィリアム・シェイクスピアの原作戯曲を完全映画化した約4時間の作品だったけれど非常に退屈な作品だった。
映画としてはフランコ・ゼフィレッリの2時間ちょっとの作品の方が面白かったと思う。
バカの一つ覚えみたいに原作通り映画・ドラマ・アニメ化しろとか言っている人たちは無知の塊だと思う。
勿論、尺とか予算、キャスティングなどの都合で、キャラクターの設定を変えたり、複数のエピソードを混ぜたりして、辻褄の合わない展開になってしまったクソ作品も多いけれどね。
脚色担当の脚本家を無能とか言っている連中は黙っていて欲しいと思う。
今回の問題で脚色を担当した脚本家を批判している人たちって、映画やドラマをまともに見たことないのでは?
アカデミー賞にオリジナル脚本賞とは別に脚色賞があることからも分かるように、オリジナルでストーリーを作るのと同じくらい原作を脚色するには労力がいるってことを分からない連中が脚本家を批判し、原作者が全て正しいと言っているんだと思う。
とりあえず、原作を脚色することを批判している連中は「アダプテーション」というアカデミー脚色賞にノミネートされた作品を見たら驚くだろうね。何しろ、原作はノンフィクションなのに、映画はこの原作の脚色に悩む脚本家の話だし、ノンフィクションに登場する人物はとんでもない人物として描かれてしまったからね。
ネット民には漫画やアニメのオタク、読書家が多いから、どうしても原作者の肩を持つけれど、あの原作者のやったことは映像制作関係者やドラマ・映画好きからすればふざけんなと言いたくなるものだったことは事実だ。
ネット民って、まともに映画やドラマを見たことがないから脚本家は悪、原作者は正義みたいな言い方になるのでは。
今回の問題で彼等は何かというと原作者を擁護するけれど、原作者は脚本家のプライドを傷つけたという点では加害者だったと思う。だから、脚本家側のファンに批判されたわけだし。もっとも、今回の騒動は原作者が死に至るような事案ではなかったが。
というか、この騒動が起きてから、間に入っていた出版社やテレビ局は何をしていたんだ?
そもそも、制作決定時も撮影中も出版社やテレビ局が原作者と脚本家の間に入ってきちんと調整していなかったのでは?
どちらも、“先生”だから言っていることを否定できないとか、注文つけられないとかで何もしていなかったのでは?曖昧にして逃げていたのでは?脚本執筆時や撮影時に本気で話し合っていないのでは?
そのせいで、こういう悲劇になってしまったんだよ!出版社とテレビ局の担当責任者は解雇されても文句を言えないと思う。間接的に人を⚪︎したんだからね。
とはいえ、脚色する際に原作者が脚本家につけた注文は申し訳ないが、映像寄りの立場の者から言わせてもらうと、ふざけんなと言いたくなるレベルだったと思う。
あそこまで注文をつけるなら、最初から自分で脚本を書くか、脚本を書く自信がないなら、映像化を許可すべきではなかったと思う。
映像作品というものを理解していないように思えた。
でも、それは間に入っている出版社やテレビ局がきちんと理解させるべきだった。それができていなかったからこういうことになったんだよね。
原作者vs脚本家
出版メディアvs映像メディア
それぞれにやり方が違うから、どちらの主張も正しい。原作者だって、脚本家だってプロだし、ど新人でもないから他人に自分の作品をいじられたくない、指図されたくないという気持ちは強い。
でも、どちらも好きなことを言いっ放しでは作品は作れない。
原作者は映像のプロではないんだから、もう少し脚本家を含むドラマ側の人間と話を詰めるべきだった。勿論、脚本家の方もきちんと、プロとして納得がいないことがあるなら原作者ととことんやり合うべきだった。
原作コミックの1話とテレビドラマ1話の時間感覚は違うし、文字で読んだ台詞をそのまま耳で聞くと違和感を抱くことだってある。
だから、原作者や原作ファンの言う通りに映像化することは必ずしも正しくはない。
この問題に関しては間に入っている出版社やテレビ局の調停能力不足だった。これに尽きると思う。
途中で脚本家をクビにして、原作者に書かせたコレは悪手もいいところ!こんなの調停ではない。
テレビ番組のディレクターとかをやっていると、自分が提案したわけでもないネタを振られることがある。それでも、プロだから、そのテーマに沿ってリサーチして原稿・台本を書く。
そして、その原稿・台本がプロデューサーとかデスクとかチーフとか名乗る連中に原型もないほど書き換えられる。だったら、最初からお前が書けよと言いたくなる。
こういうのが日常茶飯事だから、自分のネタでないものをディレクションするという意味では脚色担当の脚本家、自分が書いたものを原型がないくらい書き換えられるという意味では原作者、どちらの気持ちも分かるんだけれどね。
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