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第35回東京国際映画祭 コンペティション「山女」

山田杏奈は去年、主演・助演を含めて5本もの映画に出演した。それらの作品をジャンルわけすると、青春もの2本、ホラーも含めたサスペンス系2本、その両方の要素を持った作品1本といった感じだ。

テレビドラマはゲスト出演も多いので、ジャンルの幅はもう少し広がるが、一般的には彼女が得意とするジャンルは、若干トリッキーな要素を含む青春ものや、サスペンス系ということになる。

ドラマでは江戸を舞台にした妖怪ものとか、若者が戦国時代にタイムスリップする話といった変化球的な作品には出演しているが、本格的な時代ものである本作は彼女のキャリアの中では異色の1本ということになる。
 
もっとも、ネタバレになってしまうので多くは語らないが、ファンタジー要素も含まれてはいるので、歴史ドラマやチャンバラものといった“正統派”の時代劇ではないが。

そして、本作を語る上で無視してはいけない要素と言えるのがNHKを中心に日米合作作品として作られていることだ。単発のスペシャルドラマをまず放送して、その後、バージョンの異なる劇場版を公開するというパターンは「太陽の子」と同じだ。

なので、どうしても、日本の視聴者・観客からすると、日本の映画やドラマを見ているはずなのに、何か違うという雰囲気を感じてしまうシーンもある。

たとえば、当時の結婚適齢期に達している男女なら、女性キャラは男性キャラを呼び捨てやタメ口にしないんじゃないかなと思うしね。子どもなら別だけれどね。

また、政治思想とか差別問題の描写は最近のポリコレ仕様になっていると思った。おそらく、第2次安倍政権以降の約10年間の日本人の生き方を反映しているのでは?

明らかに悪政のせいで貧しくなっているのに、為政者に対して直接不満をぶつけるわけでもなく、逆に為政者の言いなりになっているのは、消費増税やインボイス導入、円安放置など、国民を苦しめることばかりしている自民党を支持している、まるで洗脳された奴隷状態の今の日本国民のようにも見える。

また、本作では犯罪者の血を引く主人公一家が村民から迫害されていたが、そうした社会で最も立場の低い者を攻撃するのは、生活保護を受ける世帯や障害者、在日コリアンを攻撃することでストレス解消しているネトウヨ思想の連中そのものだ。

なので、国産の時代劇を見ているというよりかは、「ラスト サムライ」や「沈黙 -サイレンス-」といった洋画として作られた時代劇に近いテイストになっている。

ところで、今回は東京国際映画祭での鑑賞ということもあり、英語字幕付きでの上映となったが、これがなければ理解できなかった台詞もかなりあったのではないかと思う。
舞台となった東北の言葉が結構聞き取れなかった。聞き取れたとしても、標準語に置換できないこともあった。
なので、一般公開の際には標準語の日本語字幕付きで上映した方が良いのではないかと思った。

そう言えば、台詞で“ばっ様”と言っていたのが、英語字幕で“obaba”となっていたのが面白かった。

とりあえず、山田杏奈の新たな一面を見られる作品として本作は見る価値があると思う。

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