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自民党赤松健擁立に思うこと

赤松健が自民党から参院選出馬を決めたというニュースを聞いて、まず思ったことは、何故、日本の文化人や芸能人は年を取るとウヨ化するのが多いのだろうかということだ。
いまだに左翼を続けている山田洋次や吉永小百合、野党批判はするけれど与党も批判するビートたけしなんて辺りは本当、例外中の例外のような気がする。まぁ、老害化はしているけれどね。特に山田洋次は酷い。

それはさておき、カウンターカルチャーのような存在だったり、新たな潮流を巻き起こしたりした人が中高年になってウヨ化すると、本当ガッカリなんだよね…。

本来、自民党なんて前近代的、体育会的な思想なんだから、芸能や芸術をやっている連中を見下しているはずなのに、何故か、こうした中高年の文化人や芸能人は自民党だけが芸能や芸術を守ってくれると信じ、結果として彼等のプロパガンダに協力しているのだから意味不明だ。
野党のせいで表現の自由が侵されるとか言っているが、表現の自由を侵しているのは自民党なのにね。

結局、日本の中高年の文化人や芸能人にとっての言いたいことってのは、政治的、経済的、社会的な主張ではなく、人種や性別、宗教、職業などについて偏見や差別に満ちた前近代的な発言をしたいだけなんだよね。
昭和の時代では、それは当たり前の考えだったかもしれないが、今はそうではない。でも、それが理解できていないんだよね。

未成年の目にふれるような公の場で、巨乳を協調した萌えキャラ、しかも未成年のキャラのディスプレーとかポスターを設置するというのは、今の世界基準で見れば、明らかに女性や子どもを性的搾取していることになるんだよね。

だから、公の場、ましてや公共機関や大企業のディスプレーやポスターにそうしたキャラを使うのはよろしくないと主張するのは至極真っ当な意見なんだよ。

でも、日本の文化人や芸能人、そして、彼等に同調するオタクやネット民は、それが理解できていないんだよね。

だから、こうした公の場から性的なものを排除しようとするフェミやリベラル、左翼といった思想の人たちや野党を敵と思うようになっているんだろうね。

一方で自民党にとっては、こうした昭和のセクハラ、パワハラから抜け出せない連中は利用しがいがあるんだよね。

漫画やアニメの性的な描写というのは昭和以前の価値観によるセクハラ、暴力の描写というのはパワハラにつながるところがある。要は男尊女卑の家長制度だ。

つまり、自民が主張する古き良き日本とやらと、文化人・芸能人が主張する差別だらけの表現の自由とやらの思想が合致してしまっているんだよね。

だから、自民側としては、こいつらにアメを与えておけば、ちょっとのムチくらいは無視して何でも自分たちの犬になってくれるって思っているんだろうね。

本当、ナメられているんだよ!
ウヨ化した文化人や芸能人、オタク、ネット民は。

それにしても、表現の自由とか歴史修正主義って言葉の意味が日本では世界と真逆になっているよね…。

歴史修正ってのは、自国に都合の悪いことを隠そうとすることなのに、日本では自虐的なことを内外にアピールする非国民って使われ方だしね。

表現の自由だって、本来は権力=与党側を批判するものなのに、日本では野党側の主張をはねのけるという意味になっているしね。

本当、海外のエンタメやアートにきちんと触れず、国内のものにしか接していないから、こういうバカばかりになるんだよね、一般人も含めて。

どう考えたって、自民の連中は漫画やアニメを規制する側なのに、赤松健とか山田太郎のおかげで規制を免れているとか思っているオタク連中はバカなんじゃないかとしか思えないな。

麻生の漫画好きアピールとかもかなり怪しかったしね。何しろ、麻生は東京国際映画祭の舞台挨拶で、「手塚治虫はディズニーのライオン・ドッグに影響を与えた」とか意味不明なことを言ったくらいだからね。「ライオン・ドッグ」って何だよ!
ディズニー批判すれば、ディズニー嫌いのオタクが喜ぶと思って言ったんだろうが、つけ焼き刃の勉強だから、「ライオン・キング」って言葉が出てこなかったんだろうね。

話は赤松健に戻るが、やっぱり、ひと時代を築いた者がウヨ化するってショックなんだよね。

ここ20年ほどの間に世に出た、漫画、ラノベ、アニメなどのいわゆる“ハーレムもの”と呼ばれるジャンルの作品のほぼ全ては、赤松健の代表作「ラブひな」の影響下にあると思うんだよね。

その後のハーレムものは基本、「ラブひな」のフォーマットで作られているしね。冴えない主人公の周囲に様々なタイプの女子がやって来る。中には最初から好意を持ってくれている一途な娘もいるが、何故か、主人公が一番好きになるのは、最初は自分に対して冷たくあたるツンデレ娘みたいなヤツね。そして、その本命ヒロインも徐々に主人公を好きになるが、既に主人公に好意を持っていた娘との間でライバル関係にもなりみたいなパターン。

現在進行系の作品でいえば、アニメ2期の制作が決まっている「彼女、お借りします」なんて、完全にそのフォロワーと言ってもいいよね。「かのかり」のメインヒロイン千鶴なんて、完全に「ラブひな」のメインヒロインなるの直系だしね。

確かに「ラブひな」にはお色気シーンも多く、フェミやリベラルからは批判される要素もあったとは思う。
でも、「ラブひな」のハーレムメンバーには外国人がいたし、初期作品「AI止ま」のヒロインはAIだし、「ラブひな」以上のヒット作になった「ネギま!」には吸血鬼も出てくる。
つまり、マイノリティの活躍を作品では描いていたわけだよね。
「ラブひな」の主人公が冴えないメガネをかけた浪人生というのだって、スクールカースト下位の者を差別するな、人を見た目で判断するなという主張だったはず。

そういう、弱者に目を向ける作品を作っていたはずの赤松健が弱者を切り捨てる自民の犬になってしまったというのは本当にガッカリでしかない。

まぁ、最初は“ふざけんな”のつもりで自民に陳情に行ったのだろうが、何度も何度もロビー活動で話しているうちに、そりゃ、どこかで意見が合うこともあるだろうから、気づけば、仲間のような感じに思えたんだろうね。そして、何度も会っているうちに自分も権力者のように思えてきたんだろうね。
だから、与党的思想を持つようになってしまった。

ぶっちゃけ、赤松健とか山田太郎とかわずかな人間だけが自民党内で動いたって変わらないのにね。自民全体としてはオタクカルチャーは利用しても、オタクの言いなりになる気はないし、それどころかオタクを見下している連中が多いんだからさ。

それに、世界的な流れを考えたら、性的なものや暴力的なものに対する規制は強化せざるを得ないわけで、日本は漫画やアニメを数少ない世界に受ける輸出産業として利用しているわけだから、外圧が来たらポリコレ要素をいれさせられることになるんだよね。
縮小する一方の国内需要だけではやっていけない。そう考えると、ポリコレ路線は好き嫌いに関わらず、取り入れざるを得ないんだよね。

脱炭素とかと同じなんだよ。

つまり、赤松健の主張する表現の自由とやらを守るのであれば、性的、暴力的、差別的な要素を持った作品は海外ではごく一部にしか売れない成人向けになってしまうということ。

どこが日本のオタク産業の発展に寄与しているのだろうか。

もう仕方ないんだよ。好き嫌いに関係なく時代が変わったんだから、嫌でも変えないとやっていけないんだよね。
少なくとも、漫画やアニメは海外でも商売しているんだから、その辺は理解しようよ!

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