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劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」

2019年11月よりスタートした劇場版「Gのレコンギスタ」全5部作が遂に完結した。
コロナの影響で制作・公開スケジュールが狂ってしまい、第4部と完結編となる本作(第5部)がわずか2週間のスパンでの連続公開となり、在庫一掃セールみたいになってしまったのは残念ではあるが…。

まあ、秋にはテレビシリーズ「水星の魔女」の放送が始まり、劇場公開作品「閃光のハサウェイ」の第2部も制作中ということで、ガンダム関連プロジェクトが渋滞していることを考えると、とっとと、「Gレコ」の劇場版を片付けなくてはいけないのは仕方のないことだとは思う…。ぶっちゃけ、劇場版「Gレコ」シリーズは、「ハサウェイ」どころか、「ククルス・ドアンの島」にも遥かに及ばない興行成績しかあげていないからね…。

そんなわけで、3年近くかけて劇場版「Gレコ」が完結したわけだが、完結編である本作単体の感想としては、“ロボット”アニメのテレビシリーズをほぼノーカットで映画としてまとめたものの終盤部分だから仕方ないのかも知れないが、延々とバトルシーンが続くだけで、ほとんどストーリーのないものだった。バトルシーンが好きな人はおそらく絶賛するのだろうが、自分のようなストーリーや台詞を楽しみたい人からすると、非常に退屈な作品だったと言わざるを得ないと思う。

あと、4部、5部と連続公開になったことにより作業時間が足りなかったのか、5部である本作はテレビ版そのままの画になっている箇所が多いようにも見えた。つまり、映画的カタルシスは足りないようにも感じた。

そして、完結したということでシリーズ全体についても語っておきたいと思う(ちなみにテレビ版は未見)。

テレビ版初放送時、“よく分からない”という感想がかなり多かったようだ。テレビ版を見た上で劇場版も見ている人からは、“多少は分かりやすくなった”という声も上がっているようだが、劇場版のみしか見ていない自分としては、“よく分からない”というのが正直な感想だ。

というか、ストーリー展開やキャラクターの変化が唐突なんだよ!

アイーダさん(可愛い!)が主人公ベルリの姉であることが判明したり、謎の少女ラライヤが記憶を取り戻したりという事案が中盤で発生するけれど、こういう衝撃の事実発覚みたいなものは、普通は終盤に入ってから明かした方が盛り上がるのでは?

あるいは、中盤で判明してもいいけれど、ベルリがアイーダに抱いていた恋心を捨てて姉として認めるのではなく、もう少し、近親相姦的な雰囲気を引っ張るとか、ラライヤを巡る秘密を小出しにしていくとか、展開の仕方はいくらでもあったと思うんだけれどね…(ネットの声を見ると、テレビ版はそうした要素を引っ張ってはいたようだが)。

まぁ、「Gレコ」は若者受けするガンダムにしたいという目標のもと作られたなんていう説もあるから、すぐに結末を知りたがる若者の感性に合わせて、終盤で事実が判明するベタな展開をやめて、中盤であっさりと謎解きしてしまうようにしたのかもしれないけれどね。

でも、そこで謎が明らかになったら、あとはバトルだけだからね…。

そもそも、ガンダム映画って松竹配給作品が多いのに、本シリーズはそうではない(バンダイナムコ配給)ということは、期待されていないってことだしね。実際、上映館も少ないから、この劇場版「Gレコ」というのは第1部はともかく、第2部以降は敗戦処理みたいなものなのかな…。

敗戦といえば、おそらく本シリーズの基本思想となっているのは戦前の日本の軍国主義に対する批判なんだろうけれど、時々、思想的に矛盾しているように思える描写もかなり出てくるんだよね…。
それから、さんざん、西洋人っぽいキャラばかり出しておいて、ラストに富士山が出てくるのもよく分からない。

というか、アイーダさんが可愛いということ以外、ほめられるところもなかった作品だったな…。

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