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朝ドラ史上最低作品と言わざるを得ない「ちむどんどん」

自分が朝ドラ視聴者になって6〜7年しか経っていない。初めて完走したのは2015年9月放送開始の「あさが来た」だ。というか、それまではたまたま、目に入ったレベルでの視聴しかしたことがなかった。
続く「とと姉ちゃん」は見るヒマがなくて離脱してしまったが、その後の「べっぴんさん」以降は全作品、本放送を全話見ている。
まぁ、総集編や1週間のダイジェストは基本見ないし、スピンオフは見ていない作品もあるので熱心な朝ドラファンとは言えないのかも知れないが。

30年、40年、あるいはそれ以上ずっと朝ドラを見ている人からすれば、“お前に語る資格はない”状態だろうが、それでも13作品を見た中で、「ちむどんどん」はダントツの駄作だったと思う。

とはいえ、酷い出来なのは本作だけではない。あまりにも本作の出来が酷いので、ここ最近の朝ドラが名作扱いされているけれど、コロナ禍になってから放送開始された朝ドラは全て駄作だと思うし、本放送中には批判的な声もかなりあったしね。

2020年3月放送開始の「エール」の初回はいきなり原始人が出てきて大酷評されたし、前半は主人公夫妻(本作は珍しく主人公が男の作品だった)の性格を受け入れられないという意見の人もかなり多かった。
そうした否定派主流だった風向きがガラリと変わったきっかけはコロナだ。この影響で撮影が中断されて2ヵ月半もの間、再放送を行うことになった。この期間は在宅勤務の企業が増えたこともあって朝ドラの熱心な視聴者層でない人たちが再放送を見るようになり作品に対する評価が変わった面もあると思う。

また、作中で描かれた戦争の描写と現実社会のコロナが否応なくリンクしてしまったこともあり、戦禍を生き抜こうとする人たちの姿を見て、視聴者がタイトル通り、エールを送られているような気持ちになったことも作品の人気を高めたと言っていいと思う。
しかも、朝ドラとは思えないほど(勿論、映画に比べればしょぼいと言われても仕方ないスケールだが)、しっかりとした戦場の描写(特に恩師の戦死の場面)をしたことも評価を高める要因となった。

続く、20年11月からの「おちょやん」は放送開始からしばらくは、関西文化圏に抵抗がある関東の視聴者からは酷評されていた。
主人公(この作品からは主人公=ヒロインという構成に戻っいる)を含む登場人物の誰もが自我を通そうとする者ばかりで、声のボリューム自体も大きい。というか、キンキン声で不快。そして、全体を貫く新喜劇テイストのギャグは関東民にとっては何が面白いのか理解できない。そんな評価だった。
でも、主人公・千代が女優を目指すようになった辺りからは不思議と彼女に愛着を抱くようになってきたし、最初は嫌な奴だった芝居茶屋の娘・みつえも作品には欠かせない存在になっていった。
それどころか、全視聴者の敵だったテルヲ(千代の父親)に対してですら、多くの視聴者が彼の死に泣いたくらいだった。

「エール」や「おちょやん」は後半になって支持されてきたパターンだったが、21年5月からの「おかえりモネ」は、序盤の方が評価されていたパターンだ。
主人公・百音(モネ)が宮城で生活していた頃は朝ドラには珍しくロケ撮影のシーンも多いこともあり地方民を中心に支持されていた。また、モネの幼なじみをジャニーズが演じていたこともあり、ジャニオタが熱心にネット上で絶賛コメントを連発していたということもあり、不評の声は抑えられていた。

とはいえ、序盤からシネフィル系の人たちからは酷評されていた面もあった。それは、その後の朝ドラですっかりおなじみとなっている、「意味深な言動を見せて中途半端なところで描写をやめ、そのシーンの“答え合わせ”を後日、後出しの回想シーンで提示する」という作劇の仕方が連発されていたからだ。
本来、回想シーンというのは、一度作中で提示された場面を改めて振り返ることだし、伏線回収というのは、後に重大な展開につながる要素を作中にこっそりとまぶしておくことだ。
意味深なまま投げっ放しだったエピソードについて、後日、後出しの回想シーンとか説明台詞で種明かしするのは、伏線回収でもなんでもない。

また、モネがブツブツ話すことが多くて暗いという批判もよくされていた。
さらに、このモネが気象予報士の資格を取り、東京で天気キャスターになったものの、結局、すぐに宮城に舞い戻るという展開も批判の対象になった。しかも、宮城の人は気象情報を精査もせず、カンで仕事をする前近代的な連中みたいな描写をしているんだから、本当に東日本大震災から10年に合わせて作った作品なのかと言いたくなるくらいだった。

また、その東日本大震災の描写も、被災者や遺族への配慮なのかなんなのかは知らないが、発生の瞬間や被災地の様子をきちんと描かないので、主人公たちが抱えている葛藤も全然、リアリティのないものになってしまっていたことも作劇的に問題だったと思う。
それから、終盤になって、モネの妹や幼なじみのジャニーズまで闇落ちして暗い話になったことも評価を下げる要因だった。

そんな、ジャニオタ以外には全般的には評価が決して高くなかった作品が愛される作品となったのは言うまでもなく、モネと恋仲になる奥手の医師・菅波のおかげだ。何しろ、“俺たちの菅波”なんていう言葉がネット上で流行ったくらいだからね。まぁ、ネット民には自分も含めて恋に奥手な者が多いから彼に共感するのも納得だが。
そして、そんな愛されキャラが生まれたことで作品自体も愛されたまま終わることができた。

朝ドラとしては前作にあたる21年11月からの「カムカムエヴリバディ」は、あまりにも、「ちむどんどん」が酷いから、朝ドラ史上最高傑作みたいな評価を受けていると歴史改竄されているけれど、本放送中の評価は結構、山あり谷ありって感じだったんだよね。

初代ヒロイン・安子編は途中まで好評だったけれど、やっぱり、終盤、戦死した夫の実家の助けを借りたくないからという理由で無茶な仕事をして、娘・るいの顔に傷をつけたり、米兵との関係を深めたりした挙句、るいから“I hate you”と言われて行方不明になるという展開は酷評されたからね。

二代目ヒロイン・るい編は概ね好評だったけれど、やっぱり、働かない元ジャズ・ミュージシャンの夫・ジョーの存在は突っ込まれていた。

三代目ヒロイン・ひなた編は川栄李奈の演技が素晴らしかったけれど、時代背景の描写はかなりデタラメでSNSで指摘されることも多かった。
また、終盤、誰が見ても安子と思われる謎の老女を登場させ、その謎解きに長々と時間を割いていたことは批判されたし、その老女がひなたから逃げるために長距離を全力で苦もなく疾走するシーンは苦笑された。
さらに、最終的なオチは、このドラマはひなたの書いた英会話テキストでしたという事実上の夢オチだったので、せっかくのこれまでの展開が台無しだと思った人もいたはずだ。

つまり、コロナ禍で撮影スケジュールが思うように進まない状況で、地上波連ドラ換算で40話分くらいの分量の作品を1年間で作るのは無理なんだよね。しかも、コロナ前からNHKは働き方改革を推進するという理由で労働時間を削減しているからね。

「ちむどんどん」というか、民放も含めて最近の日本のドラマの画って、やたらと黄色味が目立つけれど、多分、きちんと照明をセッティングしている時間がないんだと思う。下手すると、人件費削減とか、撮影時間短縮といった名目で照明スタッフや撮影スタッフを減らしているのではと言いたくなるほどだ。普通のカメラマンなら、あんな色味でOKを出すとは思えないからね。ぶっちゃけ、ディレクターやADがカメラを回しているのではと言いたくなるくらいだ。

そうした余裕のなさは、照明・撮影だけでなく、演出や脚本にも影響してくる。勿論、俳優の演技にだって悪影響を与える。

だから、クソドラマになって当然なんだよね。

ただ、今回の「ちむどんどん」はツイッターでたびたび、“ちむどんどん反省会”という言葉がトレンドになるほど酷評の嵐を巻き起こしたので、クソの度合いが桁違いということは言えるとは思う。

とはいえ、朝ドラの“反省会”タグというのは別に「ちむどんどん」で始まったことではない。

「ちむどんどん」が登場するまでは朝ドラ史上最低の駄作争いをする1本とされていた2015年放送の「まれ」の時点で既にそうしたタグはあったらしい。

自分の記憶でも2016年「とと姉ちゃん」の時にはそうしたタグが存在していたことは把握していた。確かに「とと姉ちゃん」は自分も最後まで見ることができなかった。半分ちょっとまでは行けたんだけれどね。

ちなみに、「まれ」と「とと姉ちゃん」の間には「あさが来た」という作品があったが、これは視聴率も評判も良かったし、主題歌“365日の紙飛行機”を歌ったAKB48は、この曲が新たな代表曲となり、本来はCDシングルのカップリング曲であるのにもかかわらず、長期間チャート上位にランクインし、レコード大賞の大賞候補である優秀賞受賞作品にもなった。

ぶっちゃけ、この曲以降、朝ドラ主題歌の“国民的”ヒットって生まれていないと思う。「とと姉ちゃん」の宇多田ヒカル“花束を君に”や、「ひよっこ」の桑田佳祐“若い広場”、「半分、青い。」の星野源“アイデア”辺りは、朝ドラ効果でヒットしたというよりかは、そのアーティストの固定層的なファンの支持で順当にヒットしたといった感じだった。というか、そのアーティストにしては、ちょっと物足りないのではと言ってもいいレベルのヒットだった。

つまり、主題歌のヒットの仕方でも分かるように、そこまで、社会現象になるような朝ドラというのは、「あさが来た」以降、生まれていないということだ。

それは、ドラマや映画をこれまでに何本も見てきた人や、脚本や小説の書き方を学んだ人からすれば、凡作・駄作と呼ばれる作品がほとんどだったということを意味すると言ってもいいと思う。

だから、作品の内容を突っ込む反省会タグが拡散されやすい状況は「あさが来た」以降のほとんどの作品にもあったということだ。例外は「ひよっこ」と「まんぷく」くらいだと思う。

「ひよっこ」は、東京制作にしては珍しく、関東の中だけで話が完結したことが批判されにくかった要因だと思う(茨城出身の主人公が上京する話)。東京制作の朝ドラはどうしても、地方民の東京や関東に対する妬みから、東京制作というだけで批判の対象になってしまう。
しかも、東京作品というのは関東圏外の地方から上京してきた者を主人公とすることが多いため、地方民からすると、“東京の方が偉いのか?関東の方が偉いのか?”と言われのない批判をされがちだ。

大阪制作作品は、関西・近畿圏内で完結する話が多いので、地方民から批判されにくいというのはあると思う。「ひよっこ」が東京作品にしては珍しく高評価だったのは、関東圏外を舞台にしなかったからというのもあるのではないかと思う。

「まんぷく」に関しては、(主に脚本家の不用意な発言に起因する)炎上騒ぎが相次いだ「半分、青い。」に続く作品ということもあり、序盤はパッとしないとか地味とか言われたけれど、途中からキャラが愛されて支持者が増えたって感じかな。

この2作品は支持者の数が圧倒的多数という珍しいケースと言っていいのかも知れない。

結局、朝ドラというのはネット民がツッコミながら見るものになったということなのかな。

以前、朝ドラの視聴者はながら見がほとんどだった。専業主婦や高齢者、自営業者が朝食を取りながら、マスコミ関係など夜勤明けの者が就寝の準備をしながら見るものだった。

でも、BSで午前7時台に放送されたり、地上波でも放送時間が繰り上がって午前8時からになったり、配信でも見られるようになったり、ジャニーズや秋元系アイドルが出演するようになったりと、色々な要素が重なったこともあって、視聴者層が変わってしまったんだよね。

その新たに加わった視聴者層に含まれるのが、2013年の「あまちゃん」以降増えたサブカル系ネット民だ。彼等は当然、マニアだから、画面や音声のあらゆる所をチェックしながら視聴する。ながら見なんてしない人も多い。今まではスルーされていたことも批判の対象になるのは当然だよね。

その一方で、熱心な信者というのも生み出すこととなった。これは、大きくわけると2つの流派がある。脚本家のファンと、ジャニーズやイケメン俳優など出演者のファンだ。彼等もまた、ながら見などせずにドラマを視聴する。

当然、両者の意見が噛み合うことはない。

その結果、ツイッターで朝ドラに関してハッシュタグをつけてつぶやく時は、肯定的な意見の場合はタグにつけるのは作品タイトルのみ、批判的な意見の場合は作品の後に反省会をつける、もしくは、作品名をもじった言葉にするという謎のルールができてしまった。

自分たちのルールから1ミリでもずれると、ネトウヨとかパヨクとか在日とか反日とか認定したがる、いかにも日本人らしい本来のツイッターの使い方を無視したルールだよね。

まぁ、これまでの朝ドラは後半戦になると、反省会タグというのは非活性化するのが常だった。
それは、否定派の人たちが途中で離脱してしまった=視聴者ではなくなったからだ。否定する人が減れば反省会タグを使ってつぶやく人も減るのは当たり前だ。

「カムカム」のように、終盤にとんでもない展開が押し寄せて、それまで、マンセーしていた人たちが、否定派に転じて反省会タグが盛り上がるケースもあるが、これは例外中の例外。

でも、「ちむどんどん」は終盤まで反省会タグが盛り上がり続けた。

というか、これまで、ワケの分からないローカルルールで、作品名のみのタグでは批判してはいけない。作品名のみタグと反省会タグを併記してはいけないと言われていたのに、作品名のみのタグで批判する人も多いし、両方のタグを併記する人もかなりいた。

これまでの朝ドラはどちらかというと、賛成多めの賛否両論だったが、本作については、賛1:否9くらいになっている。

中には批判したいためにわざわざ見ている連中がいると揶揄する人もいるが、まぁ、批判するために見る人の気持ちも分かるよね。

朝ドラ史上最低の作品になる可能性が高いんだから、そりゃ、10年後なのか20年後なのかはさておき、“俺はあの伝説のクソドラマを初放送時に1話も逃さず見たんだぜ”って自慢したいがために見る人がいると思うしね。

それにしても酷い作品だった…。

沖縄返還(何故か今まで返還と言っていたのに、最近になって復帰と言い換えるようになったのがちょっと気持ち悪い。返還だと米国が主語になるという主張なんだろうが、これまで、「沖縄が日本に返還されて」と受動態で言っていたのだから何の問題もないのに)50周年作品なのに、政治的は話はほとんど出てこない。というか、米軍のものと思われるヘリのSEは使われていたが、米兵らしき人物は1人も出てこないし、米兵と沖縄女性の間に生まれた子どもみたいな者も出てこない。

料理人になる主人公の転戦の仕方も意味不明だ。
父親に沖縄そばの作り方を習ったのに、那覇のレストランで食べた料理の美味しさに影響されて東京へ行って美味しいものを食べたいと言い出す。

そして高校卒業後、上京して、銀座のイタリア料理店に就職するものの、何故か、下宿先は鶴見の沖縄料理店。そして、杉並に自分の店を持つことになるが、それは沖縄料理店。じゃ、銀座を職場にする必要も、イタリア料理店で働く必要もないよね。最初から鶴見の沖縄料理店で修行すれば良かったわけだしね。
しかも、せっかく都内で沖縄料理店を出したのに、故郷の沖縄で店を出したいと、とっとと里帰りしてしまう。さらに、故郷でやっと開業できたと思ったら、客は知り合いばかりだし(儲けは出ないよね?)、開店早々、妹が体調を崩して休業になるし、何がやりたいんだか…。

「半分、青い。」の主人公も漫画家を目指して上京し、一応デビューはしたものの挫折して、100円ショップ店員になり、挙句の果てには、それも辞めて故郷の岐阜に戻っていってしまった。

「半青」もなかなかのクソドラマだったので、主人公の転戦の仕方が似ていることから、登場人物がコロコロ立ち位置を変える=史上最低のクソドラマと思っている人もいるかも知れないが、それは大きな間違いだ。

確かに「半青」は酷い作品だった。でも、それは団塊ジュニアを主人公にしておきながら、時代背景の描写が団塊ジュニアのものではなくバブル世代のものだから、チグハグなものになっただけのことだ。

それは、脚本の北川悦吏子が団塊ジュニアに興味がないことに起因している。そして、そのデタラメな描写を視聴者から指摘されても居直るどころか逆ギレしていたから、余計、批判されただけのことだ。

でも、漫画家や映画監督(一時期、主人公の夫となった人物の職業)など、いわゆるクリエイティブ職の人間の苦悩というのはよく描けていた。

ドラマの主人公としては、コロコロ仕事が変わるのは一般的にはダメダメなのかも知れない。でも、挫折したクリエイティブ職の者の人生としてはめちゃくちゃリアリティがあるんだよね。

だから、団塊ジュニアを描いたドラマとしてはクソ中のクソだったけれど、クリエイティブ職を描いたドラマとしては良作だった。だから、個人的にはネット民が言うほど、「半青」は駄作だとは思わない。まぁ、クリエイティブ職に就いている者、あるいは就いていた者。もしくは目指している者or目指していた者じゃないと理解できないとは思うが。

それにしても、朝ドラってクリエイティブ職を描くの好きだよね。

自分が完走した2016年秋以降の朝ドラを振り返ってみると、

●主人公がクリエイティブ職
「べっぴんさん」「わろてんか」「半分、青い。」「なつぞら」「スカーレット 」「エール」「おちょやん」「おかえりモネ」「カムカムエヴリバディ」

●主なキャラにクリエイティブ職がいる
「ひよっこ」(幼なじみが女優)「ちむどんどん」(夫が新聞記者のちにフリーライター、妹が民謡歌手)

●間接的にクリエイティブ職と接点を持つ
「まんぷく」(主人公は夫の興した企業のテレビCM製作を発案、夫はかつて幻灯機の事業を行っていた)

何と全作品が何らかの形でクリエイティブ職を描いているんだよね…。手っ取り早いから題材にしやすいんだろうね…。

でも、これらの作品の中で一番リアリティがあると思ったのは、「半分、青い。」だった。だから、言うほど駄作ではないんだよね。それに、主人公の祖父が語る戦争の話は、「ちむどんどん」よりも余程、しっかりと反戦メッセージが込められていた。

まぁ、主人公が里帰りするという展開を地方住民や今は都会で生活する地方出身者が嫌う気持ちはなんとなく分かるけれどね。どうしても、都会で成功できず、地方に帰ってきたという印象を持たれるから(「ちむどんどん」は単なる主人公の思い付きだけれど)、彼等からすれば、“そんなに東京の人間は偉いのかよ?”って言いたくなるんだろうね。

というか、「ちむどんどん」で気になったことがある。これまでの朝ドラのクレジットの出し方がどうだったのかは覚えていないけれど、本作は月曜日以外は脚本家と音楽以外のスタッフの名前は出ないんだよね。
しかも、その脚本家のクレジットは“脚本”ではなく、“作”となっている。
それって、実際に撮影で使われる台本をきちんと脚本家が書いていないってことだよね。そりゃ、支離滅裂な展開になるわけだよね。

そして、この世紀の駄作に出たおかげで化けの皮が剥がれてしまったのが、主演の黒島結菜だ。

前任の朝ドラヒロインである川栄李奈は童顔でありながら、きちんと、高校生からもうすぐ60歳となるおばさんまで演じきった。演じるキャラの年齢が上がるにつれて彼女の演技もその年にあったものに変わっていった。

でも、黒島の演技は高校生の時だろうと、20代の時だろうと、30代の時だろうと、高齢者になろうと変わらない。
しかも、高齢者になった最終回以外はコントっぽいカツラやメイクすらもしないから見た目も変わらない。服装もずっと、ダサいチェックのシャツ。

さらに酷いのが料理人に全く見えないこと。味見をする時に、すくったスプーンを鍋の上に持っていくとかありえないからね。演出やカメラは普通、注意するよね?
それに、包丁さばきも下手くそ。ここまで下手なら、普通は本人に習得させるのは諦めて手タレか何かを用意して、包丁さばきのシーンだけ手元のアップとかにするのにそれすらしない。

黒島には何も言えないのか?
演出家やプロデューサーは何の弱みを握られているんだ?

朝ドラは半年間の放送だから、10話程度で終わる民放ドラマに比べると、俳優は演じた役のイメージで見られることが多い。また、俳優自身に至っては撮影期間が1年ほどの長期に及ぶことから、そのキャラの性格が自身の性格に乗り移ってしまうこともある。

永野芽郁なんて、一時期、「半分、青い。」の主人公同様、自分勝手な性格のように見えたくらいだしね。

「おちょやん」の時だって、多くの視聴者が主人公の父親役のトータス松本に対して、“○んでくれ!”という感情を抱いたしね。

だから、本作を見た視聴者が黒島を嫌いになるのも仕方のないことだと思う。

というか、JTのCMを見ると、イラッと来る!

喫煙シーンは全く描かれていないものの、明らかに作中のリフレッシュしているシーンは喫煙をイメージしているものだから、喫煙を爽やかに描いているだけでも腹が立つのに、そのCMに出ているのが黒島だから、余計、イライラしてくるんだよね。

永野芽郁は「半青」終了から1クールあけて2019年1月から放送された「3年A組-今から皆さんは、人質です-」が人気ドラマとなったことから、ネガティブなイメージを払拭することができたけれど、黒島結菜は難しいと思うな…。永野芽郁は演じたキャラと本人が同一視されてイメージが悪くなっただけで、演技自体は批判されてはいないからね。

本当、最後まで「ちむどんどん」はデタラメなドラマだったな。

最終回で描かれた202X年っていつだよ?
店頭に飾ってある記事には開業35年(1985年オープンは作中で提示済み)って書いてあったから2020年なのか?
それとも、この記事は大雑把な年数を書いただけとか、記事が出てから何年も経っているとか、そういうことなのか?その辺がいい加減なんだよ。

というか、この202X年が20〜22年9月までのことなのか、現実では訪れていない22年10月以降のことなのかは知らないが、病弱な歌子はコロナの影響を受けなかったのか?10年間、風邪をひいていないとか言っていたが、そんなわけないだろ!

というか、コロナの描写を描くのが面倒だから(沖縄に一族集合なんて2020年〜22年春くらいまでならありえないしね)、ぼかしたとしか思えないんだよね。

結局、ちむどんどんの半年間の放送期間のほとんどが1978〜79年の描写にさかれたのって、高度経済成長もバブルも描かなくて済む=適当なセットと衣装でごまかせるからなんだろうね。

バブル以降現在までは視聴者の記憶が鮮明だからデタラメな描写はすぐに批判されるしね。

それから、やっぱり黒島の演技は批判せざるをえないよね。

「カムカム」の最終回、川栄が演じたヒロインは彼女自身が童顔だから60近いようには見えなかったが、演技はきちんとおばさんの演技になっていた。

でも、本作最終回の高齢者になった黒島はコントみたいなカツラとメイクをして見た目を年寄りにしているのに演技がこれまでと全く変わっていないんだよね…。

ちなみに自分が完走した(ダイジェストや総集編、スピンオフはカウントしない)朝ドラの評価はこんな感じだ。(満点は⭐︎5)。

あさが来た⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
今までダサいと思い避けていた朝ドラを初めて見たが、これは視聴率が良かったのも納得
べっぴんさん⭐︎⭐︎⭐︎
駄作ではないが暗い
ひよっこ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
ツッコミどころは多いがここ最近の朝ドラでは一番愛された作品。スピンオフなどは見ないことも多いがこれは続編まで見てしまった
わろてんか⭐︎⭐︎⭐︎
最近は東京制作作品というだけで酷評したがる大阪制作作品至上主義者が多いがこの頃は大阪作品でも批判されていたんだよね…
半分、青い。⭐︎⭐︎
脚本家が団塊ジュニアの話なのにバブル世代の風俗を描いたことが駄作になってしまった最大の要因
まんぷく⭐︎⭐︎⭐︎
半青が酷すぎた反動で持ち上げられているだけで実際は普通の作品
なつぞら⭐︎⭐︎
アニメーターの話なのにその描写が少ないことと何でもかんでも主人公の都合の良いように話が進むことが問題だった
スカーレット ⭐︎⭐︎⭐︎
なつぞらに批判的な声が多かったせいで持ち上げられているパターン
エール⭐︎⭐︎
コロナで撮影が中断するまでの前半は酷かったし、メタな最終回も酷い
おちょやん⭐︎⭐︎
どのキャラにも感情移入できない前半は見ていて辛かった
おかえりモネ⭐︎⭐︎
後出し回想シーンと説明台詞で伏線回収した気になっているダメな作劇
カムカムエヴリバディ⭐︎
後出し回想シーンと説明台詞で伏線回収した気になっているダメな作劇がモネよりもさらに悪化していた

そして、ちむどんどんの⭐︎だが、多少は感動した場面や笑った場面もあったから、ゼロとかマイナスにはできないけれど、1はつけられないってところかな。0.5だね。

そういえば、榊英雄の性暴行騒動に巻き込まれた佐津川愛美に男に騙されたこともある夜の女役を演じさせたってのもなかなかゲスいよね…。

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