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20歳のソウル

噂通りのクソ映画だった。

おそらく、ツイッターやヤフー映画で本作を絶賛している人はほとんどが、本作の4番手でクレジットされているジャニーズメンバー佐野晶哉(Aぇ! group / 関西ジャニーズJr.)のファンだと思う。ジャニオタはどんなにクソ映画でもジャニーズメンバーが出演している映画はマンセーするからね!何しろ、あの「大怪獣のあとしまつ」ですら絶賛した人たちだからね。

そもそも、本作は実話を基にした同名のノンフィクション小説を映画化した作品だが、2時間17分の映画にするには無理のある内容なんだよね。

本作の主人公・大義は、船橋市立船橋高等学校吹奏楽部出身で、在学中に自校野球部の応援曲となった“市船soul”を作曲したことで知られている。
しかし、彼ががんを発症したのは大学に進学してからだ。亡くなったのが20歳の時であることは本作や原作のタイトルを見れば誰でも分かる。

つまり、彼の最大の業績である“市船soul”を描くとなれば高校時代のシーンが。彼の人生で最大の事件である“がん発症”を描くとなれば大学時代のシーンが必要となる。

そのため、どうしても高校関係のエピソードと大学関係のエピソードがごちゃ混ぜになってしまう。だから、これを2時間ちょっとの映画としてまとめようとすると、どうしても無理があるんだよね。舞台や周囲の登場人物がころころ変わる構成の朝ドラならこういう内容でもいいんだけれどね。

なので、普通なら映画化する際に脚色をすると思うんだよね。たとえば、エピソードを全て高校時代の話にするとか、あるいは大学時代の話にするというやり方だ。

ところが、全て高校時代の話にすると、「20歳のソウル」という原作のタイトルが無視されることになってしまう。
また、全て大学時代の話にすると、“市船soul”は単なる過去の話になってしまうので、ただの闘病日記になってしまう。

しかも、大義は吹奏楽部員だが、高校在学中の最大の業績は先述したように野球部の応援曲を作ったことだから、高校野球のエピソードも入れなくてはならない。さらに、この学校が吹奏楽部員にソーラン節を踊らせるというワケの分からない教育方針を掲げていることから、ソーラン節のエピソードも入れなくてはいけない。
おそらく、地域おこし映画、市船のプロモーションビデオ的な需要もあるのだろうから、吹奏楽部・ソーラン節・高校野球の全てを盛り込むことが義務付けられているのだろう。

だから、大義が高校を卒業し大学生になってからもたびたび、高校絡みの場面が描かれるし、大義が同級生と再会する場面も幾度となく描写されている。その結果、大学生になってから知り合った彼女(この程度の役で売り出し中の福本莉子を使うのって勿体なくないか?まぁ、可愛いからいいか…)との絡みや同級生がシングルマザーになる話まで盛り込まれてしまっている。

結局、ノンフィクション小説を書いた人間が映画の脚本も書いているから、エピソードや登場人物の取捨選択ができなくなっているんだよね。
若くして死んだ才能ある者の実話ということで大義は勿論、周囲の人間にも感情移入しまくっているせいだろうね。

その結果、ダイジェストみたいな作りになってしまった…。あと、説明台詞が多いのも脚本としてダメダメだ!

その一方で、何の説明もされず進んでいくことも多い。冒頭で高1だった主人公たちは何の苦労の場面も提示されないまま、それからわずかの時間であっという間に3年生になってしまう。1年や2年の時の苦労の場面が何もないから、いつの間にか3年生として最後の吹奏楽コンクール出場とかソーラン節の旗持ちの話になっても、何の感情移入もできないんだよね。というか、吹奏楽部なのにコンクールで負けた時にロビーで合唱していたのは何故?

それから、大義が大学生になってからのシーンも闘病関連を除くと、ほとんどが高校絡みなんだよね。やっぱり、原作ノンフィクション小説のタイトルは無視することになるけれど、高校在学中に死ぬ話にすべきだったと思う。

ところで、佐藤浩市演じる音楽教師以外の教職員が出てこないのはどういうことなんだよ!
学校にやってきた消防士とか出すヒマがあったら、他の教職員を出せよ!
まぁ、日本の映画やドラマ、アニメの学園ものって、本作に限らず大人の存在が薄いよね。
ターゲットとされている観客・視聴者層が中高年俳優に興味がないとか、中高年の俳優はギャラが高いからなるべく中高年キャラを出さないようにしているとか、そういう理由なんだろうけれどね。

ついでに言うと、船橋ってあんなに田舎だっけ?いわゆるキラキラ映画や学園系深夜ドラマでよく見かける地方の学校とその周辺にしか見えなかったのだが…。

ところで、タイトルの「20歳のソウル」だが、本作の製作に朝日新聞が入っているので、ネトウヨがソウルを違うソウルと勘違いして、反日映画とか言いそうだよね。
そもそも、韓国人が何かというと難癖をつけてくる旭日旗そっくりな社旗を掲げている朝日新聞が反日なわけないでしょ!どちらかと言えば、ウヨ寄りでしょ!安倍が朝日批判していたのはどう考えてもプロレス的なものでしょ!

結局、無理矢理、高校野球要素を厚めにしているのは朝日新聞が夏の甲子園を主催し、春のセンバツを後援しているせいなんだろうね。要はパブ案件ということか。

とりあえず、コロナ禍になってから毎日、自分が死ぬ時のことを考えるようになってしまっているので、こういう死期の迫った人物の話というのは見るのがつらいよね。

それから、死期の迫った大義が後輩たちの演奏を見に来るシーンがあったが、大義作曲の曲は演奏されたものの、演奏を感動的に締めくくったのはこの曲ではなく荒井由実の“ひこうき雲”だったのは意味不明だ。もしかすると、同曲が使われているパヤオの「風立ちぬ」を意識しているのかな?「風立ちぬ」は主人公の妻が病人という設定だし、何気に本作の主人公にも通じるところがあると思う。

結局、実話を基にした映画って、映画としてはおかしな展開でも、“実話だから”で逃げることができるからずるいんだよね。
特に本作のような、闘病・障害もので主人公やヒロインが死ぬと分かっているものって、どんなに映画としての作りが酷くても、どこかで泣いてしまうからね…。
自分みたいな映画好きとか批評家は泣いたシーンがあったとしても、映画としてはクソだと批判できるけれど、一般人、特に若い女性なんて泣ければそれだけで名作だと言ってしまうからね。

《追記》
本作はTOHOシネマズ日本橋で鑑賞した。入場開始時間までの待ち時間にロビーの椅子に座ろうとしたら、20代と思われる女性に「連れが座るので座るな」と言われた。椅子には何も荷物が置かれていないし、この女性がその椅子に手をかけて取られないようにしているわけでもない。
思わず頭に来て、この非常識な女(こいつに女性なんて言葉を使う必要はない!)を怒ってしまった。
「荷物も何も置いてないよね?」と聞いたら、慌てて自分のバッグをその空いている椅子に置きやがった。

しばらくして、その辺りを見てみると、チャラそうな男が座っていた。彼氏なのかな?
彼氏がトイレだかなんだかで席を外している間に席を取られたら、怒られるからこの女はこっちに食ってかかってきたんだろうね。
つまり、この男は男尊女卑主義で下手するとDVの傾向もあるってことなんだろうね。そこまで彼氏を怖がっているんだったら、最初から自分の荷物を置いておけよって思う。
まぁ、この男尊女卑DV彼氏は“自分の席”に彼女のモノが侵入してきただけでも文句を言ったり、暴力を振るったりするタイプなのかもしれないが。
クソだね。

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