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トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代

アーティストには基本的にはずっと同じことをやっているタイプと、複数のジャンルにまたがるなど様々な音楽性を変遷していくタイプがいる。

前者の代表格はAC/DCだ。黄金のワンパターンと呼んでいいくらい全ての楽曲が同じ系統に属すると言っても過言ではない。

後者はソウル/R&Bにカテゴライズされるアーティストでありながら、ロックンロールの女王と呼ばれたティナ・ターナー、キング・オブ・ポップと称されたマイケル・ジャクソン、名前自体がロイヤルなプリンスなどが代表例だろうか。
ラッパーとしてブレイクしたが、近年はロック寄りの音楽性の楽曲が目立っているほか、今年はカントリー・ソング“I Had Some Help”で全米ナンバー1 を獲得したポスト・マローンが最近の分かりやすい越境アーティストの例だ。

加藤和彦も後者のタイプだ。

ザ・フォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドといった日本のポピュラー音楽史に残るバンドのメンバーとしての活動、ソロ活動、初期の竹内まりやなど様々なアーティストへの楽曲提供やプロデュース。知らない人が聞いたら同じ人の楽曲とは思わないだろう。

というか、フォークルだけでもかなりの振り幅がある。代表曲と言えば、“帰って来たヨッパライ”、“イムジン河”、“悲しくてやりきれない”といったあたりだと思うが、この3曲をフォークルのことを知らない人が聞いたら同じアーティストの楽曲だとは思わないだろう。

また、サディスティック・ミカ・バンドはハード・ロック、グラム・ロック、プログレッシブ・ロック、ファンク、フュージョン、レゲエなど様々なジャンルにカテゴライズされる楽曲を発表した。

ソロでは、バブル世代から団塊ジュニアくらいの人ならみんな知っている曲なのにこの曲が主題歌となっている映画は誰も見たことがない“だいじょうぶマイ・フレンド”や、北山修とのコラボ曲で、いかにもフォークな感じの“あの素晴しい愛をもう一度”、吉田拓郎とのコラボ曲でロック寄りの“ジャスト・ア・RONIN”と幅広い音楽性を披露している。
初期のソロ作品やデビュー当初の竹内まりやに提供した楽曲はシティ・ポップにカテゴライズしていいと思う。

そんな様々なジャンルをクロスオーバーしていった加藤和彦という音楽家の全盛期を再確認するという意味ではこのドキュメンタリーの価値はあると思う。

ほとんどが関係者のインタビュー(高橋幸宏やコシノジュンコといった故人を含む。音声のみだが坂本龍一も登場)と音源(ジャケ写のみで動画がないものも多い)で構成されているので、加藤和彦が手掛けた楽曲に多少でも興味がある人なら、そこそこ楽しめるとは思う。

ただ、サディスティック・ミカ・バンドの代表作と言っていいアルバム『黒船』は1974年のリリースなのに、映画「未知との遭遇」(1977年)の影響を受けたなどと語っている人もいるので、正直なところ、関係者の証言の信憑性は高くない。思い出補正ではないが、捏造とまでは言わなくても、無意識に修正・改竄されたエピソードは多いと思う。

それに、「音楽家 加藤和彦とその時代」なんてサブタイトルをつけるのだったら、本作で取り上げられている彼の全盛期の1960年代から80年代の高度経済成長期や学園闘争、バブル期などの社会情勢を背景にした音楽性の変遷みたいなストーリーにすれば良かったのに、そういう要素もほとんどない。せっかくの題材なのに活かしきれていないとしか言いようがない。

というか、バブル期に入ってからの活動はほとんど描かれず、唐突に2009年に自殺した話に飛んでしまう。そして、ちょっとだけ、関係者の振り返りコメントが紹介された後、最後は加藤チルドレン的なアーティストやさらにその下の世代が出てきて、“あの素晴しい愛をもう一度”を合唱・合奏して終わりという何だかよく分からない構成になっている。

非常に惜しい作品だなと思う。

バブル崩壊以降、日本人は変化を求めなくなってしまったから、給料が30年も変わらず、それまで見下していた途上国に抜かれてしまい、気付けば、外国人に安く楽しめる観光地として見下される存在になってしまった。

バブル崩壊というのは加藤和彦のピークが過ぎた頃とほぼ一緒だ。

経済的、政治的な面のみならず、エンタメの世界でも日本は成長を止めてしまった。

いまだに根性論・精神論ばかりでギャラなど労働条件は良くならない。
アニオタはいまだにCGアニメーションを手抜き仕事扱いするから、手描きアニメが主流のままで、アニメーターの低賃金は改善されない。

邦楽は確かに80年代までに比べたら国内レコーディングでもスカスカの音にはならなくなった。音質や演奏の面で向上したのは間違いない。

でも、この30年以上、新しい音楽は生まれていない。欧米や韓国の音楽の進化・変化と比べると日本はほとんど変わっていない。

だから、時代に合わせて音楽性を変える音楽家・加藤和彦は、国民が変化を好まなくなったために居場所を失い、音楽家としての存在意義が薄れ、さらにそれが悪化して自ら命を落とすような不幸な結果に繋がったというストーリーにすることだってできたと思う。

というか、このサブタイトルならそういう内容にするものでは?別に関係者の昔話を垂れ流すだけなら、わざわざ、映画として公開する必要はないと思う。BSで深夜にひっそりと放送される音楽ドキュメンタリーという扱いで良かったのでは?

繰り返しになるが、いくらでも良い映画にできた題材だったのに残念だ。日本の音楽界に蔓延する政治批判=自民批判は悪という考えがこういうつまらない似非社会派ドキュメンタリーを生み出す悪因なんだと思う。

※画像は公式HPより

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