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午前十時の映画祭11 デジタルで甦る永遠の名作「モスラ 4Kデジタルリマスター版」

復活した「午前十時の映画祭」にやっと行くことができた。
といっても、今回の「午前十時の映画祭11」は“FINAL”とうたわれた「午前十時の映画祭10」の終了からたった1年で復活しているんだけれどね。

復活した理由は、シネコンでも旧作の上映が金になるということがコロナ禍になって分かったからという感じなのではないかと思う。

ミニシアターでは旧作のリバイバル上映や特集上映は一定の需要があったが、シネコンでは需要がないと思われていた。
だから、これまでの「午前十時の映画祭」ではその名の通り、1日1回、午前十時からの上映という形式をとってきた。

平日の午前十時に映画館にやって来ることができるのは高齢者か夜勤明けの人くらいだし、土日はそれに映画マニアが加わるだけ。映画マニアでない若者は平日は学校や仕事があるし、土日の午前中は寝ている。
だから、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作の連続上映や「七人の侍」のデジタルリマスター版上映のようなイベント性の高いものを除けば、幅広い層にアピールする機会はなかった。

また、2010年の映画祭スタート当初はフィルム上映、2013年以降はデジタル上映となったが、フィルム上映時代はニュープリントで上映していたし、デジタル上映になったといっても、DVDやBlu-rayをそのまま流しているわけではない。だから、金がかかる。

でも、高齢者と映画マニアしか来ないのでは運営が成り立たないとして、コロナ禍になる前から映画祭は一旦、2020年春で終了とアナウンスされてしまった。

それが復活することになったのは、去年の緊急事態宣言明けで映画館の営業が再開された際に、多くの配給会社が新作の供給を躊躇したことから、シネコンで上映作品不足が起きたためだ。

その際に多くのシネコンで旧作が上映されたが、中でも好評だったのがジブリ作品4本の再上映だった。そのうちの1本「千と千尋の神隠し」は、3週連続で週末観客動員数ランキングで1位を獲得し、この再上映期間中に8.8億円もの興行収入を上積みしてしまった。

つまり、昼や夕方、夜に上映すれば、映画マニアでない若者でもシネコンにリバイバル上映作品を見に来てくれるということが分かったんだよね。

だから、あっさりと「午前十時の映画祭」は復活することができた。
そして、映画マニアでない人たちも見に来られるように、午前十時上映開始という大前提の取り決めもなくしてしまった。

昼以降の上映もできるし、逆に早起きの中高年やファミリー層向けの作品であれば、午前九時くらいから上映することも可能になったということだ。

その一方で、商売になると分かった途端、アコギなこともやり出した。
入場料金は前回までは一般料金がシニア料金よりも安い1000円、学生以下は映画文化に親しむ若者を増やすという名目でかつての名画座なみの500円という低料金だった。
ところが今回からは一般料金が1500円と一気に値上げされ、新作のムビチケ程度の料金となってしまった。学生料金なんて1000円と倍増されている。さすがにこれだとアレだから、シニア料金などは設定されているようだが。

そして、今回の「午前十時の映画祭11」の日程がまだ、4分の1ほど残っているのに、次のシーズンの開催が発表されているということは、この上映開始時間や入場料金のレギュレーション変更によって安定した収入が見込めるということなんだろうと思う。

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ちなみに、映画祭が復活して最初のシーズンが4分の3ほどまで経過するまで1度も足を運べなかったのは、緊急事態宣言の影響で今年も都内のシネコンでは営業が休止された時期があったというのもあるが、一番の大きな要因は旧作の再上映を見に行くヒマがないほど次から次へと新作映画が公開されていることに尽きる。

映画業界的にはコロナ禍に突入したのは去年2月下旬あたりからだと思うが、これ以降、映画の公開スケジュールは本当、コロコロと変更させられてきた。
本国の意向で公開日程が変わるハリウッド映画のみならず、邦画や本国で既に公開済みだけれど日本ではまだ公開されていない洋画も緊急事態宣言などが発令されるたびに公開延期になったりしていた。

そうした作品が緊急事態宣言が解除されたり、映画館の営業に関するレギュレーションが緩くなったりするたびに大量に公開されるので、空前の公開ラッシュ状態が続いている。
酷いと、同じ週に公開される作品で見たいと思うのが10本くらいあることだってある。そんなの追いきれないよね。

しかも、公開ラッシュ状態だから、公開初週の時点で上映回数が少ないものも多いし、ましてや、そうした作品が観客動員数ランキング上位に入らなければ2週目以降の上映回数、館数はさらに減る。
その上映スケジュールをじっくりと眺めながら、ハシゴできないかと考えて鑑賞日程を組むから、とてもではないが旧作を見る時間を工面できないんだよね。今回の映画祭でこれまでに上映された作品で見たいものは何本もあったんだけれどね。

個人的には映画ファンとか映画批評家と名乗る資格があるのはリアルタイムで新作映画を見ている者だけだと思う。勿論、名作映画は1本でも多く見ていた方がいいし、名作映画を含む旧作の知識は多ければ多いほど良い。
でも、昔の映画を見直してばかり、あるいは初見でも旧作ばかり見ている人には映画を語る資格がないと思う。
映画について語る以上は1本でも多くの新作映画にリアルタイムで接すべきだから、新作映画の鑑賞と名作映画をリバイバル上映で見ることのどちらを優先すべきかとなったら、そりゃ、新作でしょってなる。

そんな新作映画至上主義の自分が久しぶりに(コロナ禍になって初)「午前十時の映画祭」に足を運ぶことにしたのは、今回上映される「モスラ」が単なる4Kデジタルリマスター版ではなく、初公開当時に一部劇場で上映されただけの“序曲”(本編前に曲が流れる。画は黒味)つきのバージョンだからだ。

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そんな4Kデジタルリマスター版で見た感想としては、ミニチュアを使って撮影したシーンや、合成処理を行ったカットなどは、いかにもミニチュアや合成に見えるよねという残念な点もあった。
あと、映像がクリアだから、使い回しのようなものも目立ってしまう。
それから、ところどころ、カットの切り替わりが不自然なところや、音声の区切れが中途半端なところもあったが、初公開版を見ていないので何とも言えないが、現存するマスターを使った最善の策でもこれが修正できる限界なんだろうなと理解した。

まぁ、現在の感覚では明らかにNGだよねって描写も結構あったよね。60年前の作品だから仕方ないんだけれどね。

原住民という言葉は当時は普通に使っていたけれど、原という文字からも分かるように原始人扱いしている=見下した呼び方だから、今は先住民と言っているしね。
それから、日本人俳優がメイクで顔を黒くして先住民の扮装をするというのも、老害ネトウヨは問題ないといまだに言っているけれど、世界基準では明らかなNG行為だしね。

あと、本作が公開された1961年は、終戦からまだ16年、第五福竜丸の問題からは7年しか経っていないから仕方ないんだけれど、作中における外国人の扱いが敵対勢力みたいになっているのも、現在の視点で見るとネトウヨとかパヨクのツイートを見ているような気分になってしまうんだよね。

先住民の人権を守れと言っている日本人たちが、先住民を商業利用している某国の人間に対して敵意むきだしで、別に指名手配されているわけでもないのに、登場人物のほとんどがこの外国人を呼び捨てにしているし、それどころか新聞報道でも呼び捨てにされているからね。

この某国の主要都市の名称がニューカークとなっているのは、ニューヨークをモデルにしているのは明らかだから、自分たちを敗戦国にし、広島や長崎に原爆を落とした米国、しかも、戦前・戦中は鬼畜と思い込まされていた米国に対する敵視はそう簡単には消えないってことなんだろうね。

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で英語やジャズに対して複雑な心境を吐露しているキャラクターが何人も登場しているが、それと共通しているのかな。

それにしても、60年前の作品の方が今の日本映画と呼ばれているものよりも遥かにスケール感があり、きちんと映画として作られていたなというのを本作を見て実感した。

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