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私をくいとめて

オープニング・シーンで「13日の金曜日」シリーズでおなじみのテーマ曲というか、SEに“キ…キ…キ…”みたいなのがあるが、いきなり、そんな感じの音声から始まった瞬間から、この作品はクソ映画だろうなという予感が漂っていた。ちなみに、この「13金」みたいな音声は、食品サンプルを作っている時の声だった。全く意味不明だ。

そして、その後もクソつまらない演出や台詞が延々と続く。正直、途中で退席したい気分になったほどだ。こんな気持ちになる作品なんて、年に数回あるかないかのことだからな…。

でも、個人的にはどんなクソ映画でも、批評する資格があるのは、プロの批評家だろうと、素人の書き込みだろうと、その作品を冒頭の映画会社ロゴからエンド・クレジットまで見た人間だけだと思う。

よく、カンヌ国際映画祭に参加したジャーナリストが“あまりの出来の酷さに途中で退席した”なんて偉そうに語っていることがあるが、そんな連中には映画を批評する資格はない。

また、素人でもヤフー映画のコメント欄とか、各種掲示板に平気で“途中で寝てしまった”とか書いているのがいるが、そんな連中には作品の名前を出して批判する資格はない。“○○を見て寝てしまった”という話は友達とかにするだけにとどめておいてほしい。

さらに、有村昆という映画評論家を名乗っている輩は複数台のプレーヤーで同時にDVDなどを再生し、ザッピング視聴したものを鑑賞作品本数にカウントしているらしいが、こんな奴はとっとと、映画評論家とか映画コメンテーターみたいな肩書きを名乗るのをやめてほしいと思う。

なので、そうした信条を持っている自分は最後までガマンして本作を鑑賞した。

結論としては、この作品ほど、のんが可愛く感じる映画はない。でも、それだけであり、作品としては年間ワースト争いをするレベルのクソ映画だった。

いや〜、酷い…。

心の声がローマ旅行シーンでは突然なくなるのはご都合主義だった。旧友との再会がローマ旅行の目的だから、友達と一緒だと心の声が聞こえなくなるってこと?しかも、このローマ旅行関連の外食シーンで、旧友だけがマスクをしていたのは意味不明だった。コロナ禍での撮影だったの?それで、友達役は妊娠しているという設定だから、さすがにマスクをさせないとダメかなという判断?それとも、内向的なキャラだから、家から出たらマスクをするという設定なの?意味不明な演出だ。

さらにいえば、ローマ旅行へ行こうと決めたのに、それより前に同僚からもらったタダ券でお一人様温泉旅行に行くのも意味不明!構成が支離滅裂としか言えない!

それから、謎目線のカメラワークも意味不明。心の声の存在を表現しているのかもしれないが、出来の悪いPOVにしかなっていない。

のんの心の声との対話シーンも正直言って、出来の悪いホラーにしか見えない。

全体としても、パワハラとかセクハラ、女性が活躍できない社会への批判とかもしたいのだろうが、何か空回りしているようにも感じた。

こんな映画が東京国際映画祭の観客賞受賞なんて意味不明!今回はコロナの影響でコンペティション部門を設けなかったので、この観客賞が最高賞扱いになるはずだが、こんな映画が最高賞なんて、本当、東京国際映画祭は国際と名乗るに値しない恥ずかしい映画祭だと改めて実感した。

のんのファンか、のんと恋仲になる年下男子役の林遣都、あるいは心の声役の中村倫也役のファンの女性による組織票なんだろうね。

林遣都は現在放送中のテレビドラマ「姉ちゃんの恋人」にも出演しているが、個人的には林遣都の演技は良いとは思うが、作品自体はクソだと感じている。でも、女性ファンは“素晴らしいドラマ”みたいにマンセーしているしね。

劇場に来ているのは、林遣都や中村倫也が好きそうな女性が多かったが、東京国際映画祭における過大評価はのん信者のせいかな?

“改名騒動”以来、芸能事務所やマスコミ批判したい勢力が極端にのんを支持する傾向が目立っている。そして、声優として主人公を演じた「この世界の片隅に」以降、彼女の出演作はテアトル新宿をメイン館として公開するのが定着しつつあり、今年は本作を含む3作品がテアトル新宿で上映されているからな…。(本作は他の劇場で鑑賞したが)

まぁ、マスゴミ批判大好きなオッサンの映画ファンのアイドルになっているんだろうね。そういう勢力がマンセーしているだけってことかなとは思う。

そして、本作を一言でいうと、昔の言葉の“ヤオイ系”だと思う。ヤマなし、オチなし、イミなしで“ヤオイ”って呼ばれるやつ。要は今でいうところのBLの走りみたいなやつだけれど、女性って、BLに限らず、“面白ければいいじゃん”とか“イケメンがカッコよく映っていればいいじゃん”って主義の人が多いんだよね。

男だと、“ああいう展開は辻褄が合っていない”とか“あの台詞はあの人物の性格と整合性が取れていない”とか“あの時代背景に○○が映っているのはおかしい”とかディテールにこだわるけれど、女性って、クリエイティブ職の人間でもそうではないのが多いんだよね。

男から見れば、「鬼滅の刃」って面白いとは思うが、そこまで大絶賛するほどではないよねって感じるが、女性ファンが大絶賛しているのは、やっぱり、作者が女性だからってのもあるのかもしれないなと、ふと考えてみたりもした。ネットの声とか見ると、久々に「鬼滅」で漫画の世界に戻ってきた人から、“ヤオイみたい…。今はヤオイって言わないんだっけ?”みたいな声も上がっているようだしね。

そして、本作は原作も監督・脚本も女性だ。だから、そういう女性が好む、その場が美しければ、その場が面白ければ、前後のつながりや全体は気にしなくてもいいじゃないという構成になってしまっているんだろうなとは思った。

まぁ、本作は女性向けなんだろうし、男でも東宝・東映・松竹の大手以外の邦画をマンセーするような層に受けるタイプの作品なんだろうから、自分のような雑食系は対象外で、あなたの酷評は気にしませんよって態度の作品なんだろうなとは思う。本作に出てくる“お一人様”の描写ではないが、“お一人様”を歓迎しない店のように、自分のようなタイプの観客はターゲットになってはいないんだろうなってことかな。

 ところで、大滝詠一の「君は天然色」が何度もかかっていたが、何の効果もなかったし、歌い出しの“くちびる”の文字をビジュアル化しているのも意味不明な演出だった。この作品がバブルに取り残されて気が付いたら50代になっていたみたいな女性の話なら、あの曲を使うのも意味があるとは思うが、現代のアラサー女性だと、何故、この曲かの説明が必要だと思うんだよな。

大九明子監督にとっては自分のピチピチ時代の思い出の曲かもしれないが、原作者の綿矢りさの世代にとっては関係ないでしょ!原作者の世代に合わせれば、小室サウンドかミスチル、スピッツあたりなのではと思ったりもしたが、原作にも言及あるのか…。ということは、アラサーになった自分というよりも、アラサーになって醜態を晒していたバブル世代を皮肉る目的もあったのかな?

とりあえず、今年はコロナ禍で映画館の営業が停止していた時期があるにもかかわらず、ワースト映画候補作品が次から次へと出てくるな…。

結局、コロナの影響で外国映画の供給が減り、日本映画の鑑賞本数が増えた影響もあるのかな?

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