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劇場版 アーヤと魔女

スタジオジブリの劇場公開作品としては、日仏ベルギー合作のアート作品「レッドタートル」以来5年ぶりの“新作”となるが、これは元々、去年の年末にテレビ放送された単発作品に手を加えただけの作品であり、そういう意味ではテレビ放送用に作られ、後に限定的に劇場でも上映された1993年の「海がきこえる」みたいなものなのかもしれない。

つまり、本作は「レッドタートル」や「海に聞こえる」と同じく、ジブリの本筋のフィルモグラフィーからは無視される作品だということだ。

それは、テレビ放送のされ方でもよく分かる。
「レッドタートル」は日テレの深夜枠でしかテレビ放送されていないし、「海がきこえる」は新作の単発長編アニメーションとして初放送された時は夕方のオンエアだったし、再放送時は「金曜ロードショー」枠でオンエアされたとはいえ、イレギュラーな2部構成の前半パートで放送。つまり、通常の放送時間帯で放送される別のジブリ作品の前に流す前座というか、オマケ映像みたいな扱いだった。

そして、本作が去年の年末に新作長編アニメーションとしてテレビ初放送された時は「金曜ロードショー」枠どころか、日テレですら放送されず、NHKでオンエアされることになった。
要はCGアニメーションというのは日本の視聴者が求めているジブリの世界観ではないから、「金曜ロードショー」の枠で放送しても視聴率が取れない、あるいは放送時にツイッターなどで話題にならないと判断したということなのだろう。

いまだにCGアニメーションを受け入れられない、新しい技術を受け入れられないアニメファンが多い。そして、そうした人たちに媚びた作品ばかり作っているから、日本製アニメは世界的には前近代的な古くさくてダサいものとなり、全然、クールなものではなくなっているのに、アニメファンやマスコミ、政治家連中はいまだに日本のアニメは世界中で人気があると思っているんだから、お花畑もいいところだ。

要は日本市場ではヒットする見込みが薄いから、本作は日本ではテレビ用作品になったし、日テレではなくNHKでの放送になったってことなんだよね。
一方でCGアニメーションが当たり前の存在になっている海外では普通に劇場公開がアナウンスされるという、つまり、“日本映画”が日本ではテレビ作品扱いなのに、海外では映画として公開されるというおかしな現象も起きてしまった。


でも、そんな期待されていなかった作品が日本でも公開されることになったのは、米国の映画賞レースに参戦できるかもという期待が起きたからであることは間違いないと思う。下馬評では、「劇場版 鬼滅の刃」よりもアカデミー長編アニメーション賞にノミネートされやすいという声も上がっていたしね。

まぁ、最終的には、本作も、「鬼滅」も、その他の日本作品もノミネートされなかったんだけれどね。出来を考えれば当然だけれどね。技術的な挑戦をしているとか、政治的・社会的なメッセージがあるとか、全米で記録的な大ヒットとなったとか、特筆すべきものがなければアカデミー長編アニメーション賞にノミネートなんてされないから、世界基準と比べたCGアニメーション技術でいえば凡作レベル、政治的・社会的メッセージも薄いし、話も尻切れトンボだし、米国で大ヒットしたわけでもないから、ノミネートされるわけがないのは、洋画も見る映画ファンなら誰でも分かることだしね。

そんな、テレビ放送時に見て、技術的には凡作、ストーリー的には駄作と思った作品をわざわざ劇場で見直す気になったのは、ジブリの“新作映画”を映画館で見たいというものが最大の理由だ。

そして、それと同時に、今回の劇場公開版がテレビ放送版とどう違うのかを確認したいという思いもあった。

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そんなわけで、今回の劇場版を見た感想としては、どこが追加シーンなのか、イマイチ良く分からなかった。でも、テレビ版を見た時に抱いた、「テンポが悪い」、「つまらない」、「シーンとシーンがつながっていない」、「尻切れトンボだ」などといった不満要素をほとんど感じることはなかった。

テレビで見る作品ではなく、映画館で見るべき作品だったってことか。

まぁ、最大の不満は母親役の声優が下手すぎることかな。というか、演技が下手というより、日本語が聞き取りにくいんだよね。何故、インドネシア出身の人にやらせているのか理解できないな…。こういうこと言うと、人種差別扱いされてしまうのかもしれないが、日本語作品として作ったんだから、そこはやはり、きちんと日本語で演技できる人を起用してほしいな。

あと、原作の邦訳がそうなっているのだから仕方ないのかもしれないが、主人公の名前をアーヤ・ツールという日本語っぽい名前に変更しているのはなんだかなって感じがするな。
 
それから、主人公の母親と主人公を引き取った2人が過去に結成していたバンドの話をもうちょっと、きちんと描けばいいのにって思った。

ところで、今回の劇場版の予告編とかチラシなどを見ると、パヤオの表記が宮﨑駿と“たつさき”に変わっているのは何故?でも、本編では普通に宮崎表記なんだよね…。
しかも、息子のゴローは本編だろうと、予告編やチラシだろうと、宮崎のまま。よく分からないな…。

ついでに言うと、劇場版の宣伝に使われている“GOROが挑む”ってキャッチコピーもダサいからやめた方がいいと思うな。そもそも、パヤオの息子が宮崎吾朗で、ジブリ作品などの監督をしているってことを、ジブリ作品が好きだと言っている人でも一般の人はほとんど知らないからね。

ゴローの名前を出して、ゴロー作品の悪口を言っているのはアニオタだけだからね!
ちなみに、私は本作は絶賛できる作品とは思わないが、アニオタが酷評している「ゲド戦記」はそこそこ面白いと思っている。
そして、「コクリコ坂から」に関しては、名作とまでは言えないものの、パヤオや高畑以外の監督によるジブリ作品ではトップクラスの出来だと思っている。


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