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大阪城天守閣 復興90周年記念テーマ展『豊臣時代』鑑賞レポート

大阪城天守閣は今年11月、再建90年を迎える。
豊臣時代の天守が30年、徳川時代の天守は39年で焼失しているため、昭和6年に市民の寄付によって再建された現在の天守はぶっちぎりで最長記録である。

これを記念して大阪城天守閣では「テーマ展 豊臣時代」が開かれている。
「豊臣家が存続した30年とは、どのような時代だったのか?」
戦国・安土桃山時代をテーマとした博物館としては日本最大の規模を誇る大阪城天守閣の素晴らしいコレクションを生で見て、歴史を感じる展覧会だ。

写真提供:大阪城天守閣『伊予札腰取二枚胴具足』。兜の脇立ては耳ではなくて二枚貝の貝殻である。

私の大好きな甲冑や、刀剣、火縄銃、九鬼嘉隆が着用した陣羽織などの展示も見ごたえ充分なのだが、今回注目したのは2つだ。

まずは「つゆと落ち、つゆと消えにし、我が身かな。なにわのことも 夢のまた夢」
あまりにも有名な豊臣秀吉、辞世の歌である。
秀吉が書いたホンモノ。重要文化財「豊臣秀吉辞世和歌詠書」が展示されている。
秀吉の正室・北政所の実家である備中足守藩木下家に代々伝わっていたものだという。
秀吉は聚楽第が完成した時にこの和歌を詠んでいて、いざと言うときにすぐに出せるようにと侍女に保管させていた。
非常に綺麗な字。ひらがなを多用している。最初のつゆの「つ」に「徒」の字が使われていて、これも「つ」と読んだ。
「ゆめのまたゆめ」の「ゆ」の形がとても美しい。「浪速のこと」も「なにもかも」が夢のようだったという秀吉の万感の思いが文字にも現れている。

写真提供:大阪城天守閣『大坂夏の陣図屏風 右隻』

もう1つは重要文化財『大坂夏の陣図屏風』だ。
歴史の教科書や資料集で一度はご覧になったことがあるだろう。
落城寸前の大坂城と、真田幸村、毛利勝永、本田忠朝、徳川家康・秀忠父子ら20人以上の参戦武将の姿を確認できる。
この屏風は6曲1双。つまり右隻と左隻がある。武将たちの奮戦の様子が描かれているのは右隻だ。

写真提供:大阪城天守閣『大坂夏の陣図屏風 左隻』

では、左隻には何が描かれているのだろうか。
ここには戦禍から逃れようともがく一般の人々の姿がある。
必死で京都を目指して進む避難民の行列。野盗に襲われ、略奪され、殺される人々。神崎川でおぼれる人…。
真田幸村が奮戦する戦国最後の大戦の裏側でどれほど理不尽な死があったか。いかにこの時代の人命が軽かったかを描いていることから「戦国のゲルニカ」とも呼ばれる。
『大坂夏の陣図屏風』は「豊臣家滅亡」という日本史の大事件と、名も無き民衆の受難を同等のテーマとした非常にメッセージ性の強い作品なのである。

大阪城天守閣 復興90周年記念テーマ展『豊臣時代』は12月19日まで大阪城天守閣で開かれている。入館料は¥600。中学生以下、大阪市内在住の65歳以上の方は無料で観覧できる。

この屏風の前に立って、じっくりと眺めてみていただきたい。

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