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21歳になりました

 こんにちは!指導者2年目の油井です!

私事ながら、昨日21歳の誕生日を迎えました。TwitterやFacebookのお祝いメッセージありがとうございました!Twitterのアイコンも10ヶ月ぶりに変え、くそイキってる人みたいになっています。一応、昨日シャンパンを飲みました。人生生きていく中で

「シャンパンを飲む」

というのは人生の成し遂げたいことリストの1つだったので、嬉しくてあんな顔で飲んでいました。これから老いや徐々に若いというチャームポイントがなくなり、◯◯の自覚に追われるもう歳をとるデメリットのほうが多いと思いますが、ご指導ごべんたつのほどよろしくお願いいたします。


 さて、お盆休暇の10連休を堪能しているので割と脳もリフレッシュして疲れもいい感じに取れています。そんな今日は20歳を振り返って21歳の目標を執筆していきたいと思います。

審判合宿で目にしたものと決意

 

 去年の今頃僕は審判資格を取るために御殿場方面に某企業主催の女子サッカー大会の運営、審判合宿を行っていました。審判で40分ハーフの試合を裁きましたがそれ以外にも、スパイクのメーカー調査など色々とビジネス的なことを経験させていただきました。そこの経験は非常に貴重なものではあったんですが、そこで某強豪高校の指導者の選手に対する卑劣な対応を見てしまいました。内容は割愛しますが(Twitterでその頃の僕のツイートを見ればわかります)当時の僕は腸が煮えくり返りました。こういう指導者がいるから、サッカーの思い出が苦くて嫌なものになってしまうケースがある。もともとサッカーは楽しいからやるというのが根底にあるのに、そのサッカーを通じてこのような行為は卑劣で愚行である。絶対に許せないという思いが根底にありました。そのときに僕は1個の思いと志を決めました。

1個の思いは女子サッカーにいつか関わって女子サッカーの環境を変えた。志は自分が指導で携わった子どもには、絶対にサッカーは楽しいものだという思いを持ってほしい。そのために常にスタメンでもベンチでも扱いの差は付けないようにするということはその当時決意しました。

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人生初の就活


 こんな見出しを書いといてなんですが、そりゃ人生初に決まってるわな。ということで、就職活動をしていました。とはいえ、この業界は人の流れは流動的で多分3年以内にはまた僕は就活をしているはずです。知りませんが、一般的な企業とは違い、終身雇用なんて言う制度はありません。したがってどのみち就活はしなきゃいけないんですが、まあ初めてでした。学生という良い意味で立場に守られていたので色々な場所に動けました。アポを取って練習見学に行って、話を聞いて面接をしてということを繰り返しました。結果現在のジュニアユースのチームでお世話になっているわけですが、その頃は色々なクラブチームに行きました。余談ですが、僕自身スクール指導というものがどうも好きではありません。まあ運営とかは好きなんですが、スクールで指導をするというのは割と向いていません。試合がないので目標設定の難しさや目的意識のズレ、何よりデモができないというね笑。まあできなくはないけど、やっぱりサッカー経験が浅い分そこには高校や大学まで下手したら現役に勝てるわけないんですよ。という意味でスクール指導者は尊敬していますね。キャッシュはいいんですけどね笑。

ということでクラブチーム一本に絞って就活しました。色々なチームに行ったわけですが、もう少しクラブ数絞ったほうがいいと反省しています。多分メール送ったチーム数は30くらいだったと思います。それは最後の方の指導実践や面接で謎の頭痛と咳に見舞われるわけで。ただ、今のクラブチームに所属して色々経験し、そこで良かったと心底思っています。

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※就活中の年末に京都・大阪に遊びに行っていました

    指導者としての1年間振り返り


 この1年間ジュニアのクラブ、ジュニアユース、学校で運営していたスクール含め述べ150日ほど指導に携わりました。これが多いのか少ないのかは知りませんが、社会人の週7現場で荒稼ぎしている感が否めません。まあこの1年間で多くのことを子どもたちから学び、経験してきました。チームマネジメントという難しさも実践してきた1年間でした。指導に関しては普段書いているので、思い出を少しだけ書いてみます。

この1年間の1番の思い出はジュニアで初めてメインで見た現2年生が初めて対外試合を行った日ですかね。去年はコロナの影響で8月ごろに入会してきた子どもたち述べ(当時)7人で当日1人欠席しましたが、このチームの学年にとって初めての試合は本当に指導者人生で1番幸せな日でした。結果は4本か5本くらいして合計で0−6で負けましたが、子どもたちは一生懸命ボールを追ってくれてボールを持ったらゴールを目指してくれてプレーしてくれました。本当に嬉しく、感極まりました。今度は彼らにとって初めての大会がありますが、そのときにも子どもたちを一生懸命プレーできるような環境づくりを指導者として頑張っていきたいと思います。

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21歳の抱負


 18、19の頃に取り敢えず勢いでどうにかしていた頃がすごく懐かしいです。その頃はなにか恐れずにこともなく、多くのことにチャレンジしていました。結果多くのことに悩んで、大変な思いはいっぱいしましたが成長しました。今はその経験値があるということもあり、なにか当時と比べると置きにいっている感が否めないのが自分の課題です。ということで、歳は重ねても取り敢えず行動力の鬼でいたいと思います。まずもともと油井飛龍という人間の最大の強みは行動力です。ご時世に負けずに、まずは行動して見る景色に対してそれを現場で還元する。まだまだ僕は若手指導者の部類に入ります。若手指導者こそ勉強してなんぼです。成長するための行動を今以上にどんどんフットワークの軽さを活かし、頑張っていきます!

 もう1つは指導者としてより個性を確立することです。具体的には指導者としての色をより濃くするということです。僕は色々な指導者の練習を見たり、何人もの指導者のアシスタントに就きました。将来監督を目指していて正直アシスタントという職に抵抗を抱いていた頃はありましたが、今はアシスタントという職はむしろ楽しいです。その指導者の色を間近で感じ、見てそれぞれの指導に対する価値観を見れるのは非常に勉強になります。アシスタントについていると、その指導者の価値観や色がそれぞれあります。僕自身メインでやるとなったときに僕の色を作ったほうがいいと思います。指導価値観というものを作っていきます。何をより大事にするのか、指導する選手にどういう価値を提供する指導者になるのか、自分の武器をがなんのなか、ということをこの1年間で探し、指導者としても人間としても少しずつ日進月歩していければなと思います。


改めて、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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