どんべえとの出会い〜18年前の夏の日のこと〜
初めてどんべえに会ったのは、今から18年前の8月だった。
都内から埼玉へと引っ越して3年が経っていたが、この頃はまだライターとしての収入もほんのわずかで、本腰を入れてやっていたバンドも思うようにいかず、インド好きが高じて始めたタブラも一向に上達しないという、30代半ばにして僕はうだつの上がらない日々を送っていた。
楽しみといえば、週末にふらっと訪れる近所のペットショップで犬や猫を愛でること。この頃はまだ保護犬や保護猫の存在も知らず、ホームセンターの一角や国道沿いにあるペットショップを覗いては、「いつか飼えるといいよね」などと妻(当時)と話していた。
どんべえがいたのも、そんないくつかマークしてあったペットショップの一つだった。そこは熱帯魚や爬虫類、鳥なども扱うプレハブでできた小さなお店で、夜中でも車の往来が激しい国道のすぐ脇にあった。
店に入るとすぐ犬のいるコーナーへ。そこにはぶるぶる震えながら不安そうな目でこちらを見ている子犬の柴犬がいた。
「あの子、触ってもいいですか?」
ほとんど反射的にそう言うと、お店のスタッフはすぐにケースからその子を出してくれた。手のひらで体を支え、片手に乗せられるくらいの大きさの子犬は、手渡した妻の腕の中でもまだ震えていた。
いつもはこんなふうに、ケースから出してもらうことなど殆どなかったのに、なぜかこの時は2人ともその子が気になっていた。
「誕生日は6月25日だから、生後2ヶ月くらいですね」とスタッフ。え、俺の誕生日の前日じゃん! 一気に親近感が沸いてくる。妻の方を見ると、その抱いている子犬と同じような顔でこちらを見ながら、かろうじて笑顔を作っている。
ちょっと力を入れたらすぐ壊れてしまいそうな、小さくて脆い生き物を手に乗せている、そんな滅多にない状況に戸惑っていたのだろう。その並んだ2つの不安そうな表情は、18年経った今も脳裏に焼き付いている。
「あの子、可愛かったね」
「めちゃくちゃ可愛かった。誕生日も近くてびっくりした」
帰りの車の中で、口々にそう話す我々。結局その日は迎えることなく、いつものようにショップの動物たちにひとしきり癒され帰宅したのだった。
翌日の昼下がり、自宅で仕事をしていると珍しく妻からメールが届いた。
「昨日のあの子、気になるんだけど今夜もう一回見に行ってもいいかな」
これまで何度もペットショップに立ち寄ってきたけど、彼女がこんなことを言うのは初めてのことだった。
確かにかわいい子犬だったけど、まさか「飼う」ということまで自分は想像だにしていなかった。時おり図書館で『柴犬の飼い方』みたいな本を借りてきては、犬のいる暮らしを夢見てはいたことが、一気に現実味を帯びてきた模様。え、彼女はあの子犬を迎えるつもり? 俺たちに育てられるのか? てか、俺なんて自分のことだけでも精一杯なのに。
それから妻が帰宅するまで、どうやって過ごしていたかまったく覚えていない。とにかくその夜、閉店間際のペットショップへ滑り込み、昨日と同じように不安な表情を浮かべているその子を確認し、家に連れて帰ることになった。僕にとっても妻にとっても初めての犬、どんべえとの日々があまりにも唐突に始まった。
今日はどんべえの初盆。なので盛大にお出迎えしようとお花もたくさん供え、大好物だった梨や鹿肉のおやつ、山羊のミルクも一緒に。まあ、ゆっくりしていけや。
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