なぜ,嘉納はセネカ(ストア哲学)を引用したのだろうか.
この文章に似た文章は,他にもあっただろうに.
私は,そう考えてしまう.だから,勝手に読み解いてみる.
ストア哲学は,ヘレニズム時代(BC500年くらいからBC27年)に隆盛を極めた4大学派の哲学の一つである.アカデメイア,リュケイオン,エピクロス派,そしてストア派である.
エピクロスの快楽主義とストアの禁欲主義は聞いたことがあるかもしれない.ここでいう快楽は,美味しい飯や酒に心が奪われ,恋人に夢中になることではない.「快楽」と「禁欲」の言葉は,大きく違うように思えるかもしれないが,両方とも「心の平静」を追求するものである.
この文章からもわかるように,ストア派は,徳を実践することが重要である.嘉納は,セネカの「賢明に生活する」を徳を実践すると読み,この文章を引用したのかもしれない.ただ,エピクロスは不幸な運命を背負った女性たちが,学びに来ていたと伝えられており,ストア派の哲学はローマのリーダーたちの哲学として確立される.
という特徴もあり,エリートでリーダーである嘉納にとって受け入れやすかったという見方もできる.
この章の早々に引用したノックアウトクラスの2つのパンチ(孔子とセネカ)は何を意味しているのだろうか.それは,この2つの類似する精神状態にあるかもしれない.
これと孔子の「忠恕」が類似している状態にみえる.
また,ストア派は
これが,前半で引用した
と一致してくる.「忠恕」で徳を知っている状態になると「道」がみえて,実践することでアパテイアに至り,幸福になると読むこともできる.
これは,無意味に生死終始することとは明らかに異なることがわかる.嘉納がこのように読んだかはわからないが,2つの引用を並べたことに意味があるとするならば,私はそのように解釈した.
嘉納も,
と,解釈の難しさを先にあげており,この章では要領を述べるとしている.
先ほど,ストア派では「善を実現する力である徳」というものを人が持っているとしたが,嘉納は多くの生物と人類の違いを以下のように述べている.
だから,この能力を運用することが大事だよということである.で,ここから,怒涛の嘉納のご鞭撻モードに突入する.
ここまででも,かなり厳しいが,最初に目的を立ててた人も追い込みだす.
厳しいすぎる(;´Д`)
この他にも「世間多数の人の実状は~」とさらに厳しい言葉が続く.皆さんにも是非この章をすべて読んでほしいと思う.
ここまで読むと,先述したがエリートやリーダーの養成にもみえてしまう.
この章の最後は,以下が引用されている.
マルクス・アウレリウスもストア派であることから,嘉納はストア派の哲学に共感しているのだろう.ここでは,前半にも引用した嘉納の以下の言葉で終わる.
と,青年に対して,二度とない人生だから早く理解して,実践しようということだと思う.第二は,内容も難しく,長くなってしまったので,最後にもう一度,この章の主張を簡単にまとめて終わる.
第二の嘉納の主張まとめ
人として生まれたなら禽獣草木とは異なる「人」として生きよ
人として生きるというのは,天賦の能力を修養し運用すること
天賦の能力とは,天賦の本能とは違い,自己の取るべき目的を定め,工夫して手段を講じ,障壁を乗り越えて,目的を実現すること
人は社会から多大な恩恵を受けているので,報いるのは当たり前で,一層進んで社会の益になることを図るべきである
二度とない人生だからこそ,猛省して,覚悟しよう