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「責任」ヲセオイ投げ

社会化された「私」に気付ける人は少ないのかもしれない.
日本の柔道界という社会で,空気を感じてきた.目に見えないが,暑いときもあれば寒いときもあった.もちろん,自然にその空気を吸って吐いてきた.文化なのかシステムなのか.よくわからないが,自然に価値観が刷り込まれていた.
この社会で育ってきたのに息苦しい.息を大きく吸っても,満たされない.それどころか,酸欠でぶっ倒れそうになる.ふらふらしてきたから,外に出て息をしたい.

2014年,モスクワの6時間説教

2014年,チェリャビンスク世界選手権大会を終えて,帰路のモスクワで斉藤仁先生に6時間の説教を受けた.あるスタッフの仕事に問題があったからだ.私は,自分自身に責任はないといったような言い訳をしてしまった.その瞬間に,火をつけてしまった.
サポートスタッフの失敗は,サポートを統括しているお前の責任だ.チームの失敗,選手が結果を出せなかったら俺が責任を取る.だから,ちゃんとやれ!!」と厳しく言われた.日本ナショナルチームに関わるものの責任は,「世界一」という成果をあげること以外にないことを伝えられた.この時,自分の努力は独りよがりだったことに気付かされた.努力を評価してほしいというヌルい考えを持っていた.そんな世界ではない.プロフェッショナルとして「結果がすべて」で,「日本柔道は世界一である」を証明できたときに責任を果たしたことになる.

勝負の螺旋から降りられない価値観

戦後,競技スポーツとして盛んになった日本の柔道.今生きている人のほとんどが,柔道=競技スポーツで生きている.勝負というゲームで,冒険に出て,世界にいる強敵を倒していく.オリンピックの決勝でラスボスを倒せば,ゲームクリアだ.ゲームで結果を出せば,裏面で優遇されて,様々なポジションが与えられる.多くのポジションについている人が,このゲームでそれなりの成果をあげた人だから,このゲームの設計が変わることなく,価値観も変えられない.
日本のナショナルチームは,このゲームの最終局面にいる.ラスボスを倒すために,仲間を揃えて,装備も揃えて,パーティーを強化する.ラスボスを倒しにいくという最終局面に関われることに価値があるとされ,大きな責任を課せられる.
競技人口比だけでみれば,サッカーのワールドカップで日本が優勝するより難しい.あまりにも難しいゲームなのに,「日本柔道は世界一である」を証明しなければならない.その「責任」はあまりにも大きすぎる.
このパーティーに参加しても「責任」に見合わない条件(報酬)しか提示されていない.この責任を果たすために,犠牲にする時間は,ブラック企業を超えて漆黒である.汗をかくだけでは前に進めない.血反吐を吐いても,誰も処理してくれないから,それを自分で飲み込んで前に進む.
このパーティーに参加して20年目.冷静と情熱のあいだで,俯瞰してみることができるようになった.俯瞰してみると,このパーティーの多くが便秘になっている.だから,便秘を解消するために,大便をしようと思う.

代弁できたらいいな…

「結果がすべて」だから,結果で証明するしかない.だから,言い訳はしないし,弱音も吐かない.

私たちは,何をしても,否定され続ける.過程を認められて,褒められることもない.感謝されることもない.選手からありがとうと言われることもない.もちろん,それを求めているわけではない.
責任に見合った条件でもない.時給500円未満だった時の方が長い.それでも,最善を尽くしている.外から観てる人は,そんなことは知らない.だから配慮することはない.

ゲームをクリアしたとしても,パーティーの一員が評価されることは,ほとんどない.20年,パーティーの一員として,世界(他競技を含めて)のどのパーティーよりも成果を出してきたが,クソみたいな物差しで評価されて「そんなに甘くないんだよ」と潰される.
理不尽の中で,異常なプレッシャーがかかり続けていても,私たちのメンタルをケアしてもらえることはない.
あれ,言い訳.弱音吐いてるよねって?
いやいや,事実として便秘だから,大便(代弁)してるだけ.
言うと野暮ったくなることはわかっている.
今が大事な時期ということもわかっている.
だからこそ,今の価値観の「責任」を背負投でぶん投げてみるのもありだと思っている.

私の「責任」はこれだけじゃない

条件についてあれこれ言ったが,どんな条件を出されたとしても,取り返しのつかないものがある.それは「時間」だ.子どもとの時間,家族との時間,自分の幸せのための時間,理想の自分になるための時間.すべてを犠牲にしている.父としての責任は?家族としての責任は?
子どもたちの今しかない大事な時間を犠牲にするほど,このゲームに価値があるのだろうか.自分の命を削るほど,このゲームに価値があるのだろうか.

子どもの「もっと一緒にいたいよ」って言葉が重い.

多くのものを犠牲にして,このゲームで最善を尽くしてきた.周りの否定的な言葉を受け止めて,改善をしてきた.苦しいことの方が多い.いや,苦しいことしかない.それでも,弱音を吐かない.とてつもない孤独感に襲われる.もし,このゲームの価値観の中で,責任を果たせたとしても,報われることはあるのだろうか.
日本柔道界の空気で,最優先の「責任」を課せられているが,そのほかの大事な責任は見て見ぬふりをしているだけだ.このゲームの外の責任を果たせることはない.考えるだけで,毎日吐き気がする.いや,血反吐を吐いている.

このゲームの「責任」を一手に担っているのは,船長(監督)だ.私には計り知れない葛藤があるだろう.
残り限られた時間,最適な意思決定をし続けなければならない.

何度も言うが,結果が求められることは,わかっている.だから,過程を評価しなくていいし,褒めなくてもいい.
でも,否定ばかりでなく,敬意を持って,背中を押すような言葉をかけてみてはどうか.
純粋に応援してみてもいいと思う.
このパーティは,耐え難い,多くの犠牲で成り立っている.
船長がその責任を果たす.

私は,尊敬している.

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